2016年 10月 01日

理想のショパンとは

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青柳いづみこさんの新刊『ショパン・コンクール』(中公新書)はとても興味深い本だった。

2015年のショパン・コンクールの裏側を生々しく描いたレポートは、クラシック音楽と言えども国や師匠の政治的な思惑と無縁ではなく、当然の事とは言え「コンクールとは一体何だろう?」と考えさせられてしまう。

また、ショパン演奏の2つの流れ(「ロマンティック派」と「楽譜に忠実派」)を軸とした(時に辛辣な)演奏評は青柳さん自身優れたピアニストだからとても説得力がある。

しかしこの本はそれだけに留まらない様々な問題提起を(主にエッセイで)読むものに投げかける。
特に最後のエッセイ(「ディーナ・ヨッフェとの対話」)ではコンクールの未来、ピアニストの人生にまで射程が及びあれこれと考えを誘う。

更に僕が刺激を受けたのは「2015年の神はソコロフ」というエッセイ。
2015年のショパン・コンクールのファイナリストの中の9名へのインタビューにおいて何と7名のピアニストが「理想のピアニストは誰か?」という問いかけに対して「グレゴリー・ソコロフ」の名前を挙げているのだ。

僕は恥ずかしながらソコロフの演奏を聴いたことがなかったので、果たしてそんなに凄い現役ピアニストがいるのかしら?と半信半疑ながら少し気になりAmazonで「ザルツブルク・リサイタル」というアルバムを取り寄せ聴いてみた。

そしてソコロフというピアニストが空前絶後のピアニストであると初めて知った。

リサイタルはモーツァルトのピアノ・ソナタ2曲とショパンの前奏曲。
そこに6曲!のアンコールが加わる。

モーツァルトではアダージョ楽章が、まるでシューベルトの晩年のソナタのように深くデモーニッシュに響き唖然とする。

そして何と言ってもショパンの前奏曲の凄さには言葉を失ってしまう。
先のコラムでディーナ・ヨッフェが「ポーランドでは柔らかくシンプルな演奏が好まれるようですが、私自身はショパンをもっと激しく、単に綺麗なだけではなく複雑で深い音楽ととらえています」と語っているけれど、ソコロフのショパンは本当に激しく複雑で深い音楽になっていて、まるでシェイクスピアの最良の舞台を見ているように、時に深淵でありながらユーモラスでもあり、繊細さと暴力的なまでの力強さが同居し、聴いていて魂を鷲掴みにされて激しく揺さぶられるような感覚に充たされ、まるで自分の細胞の1部が入れ替わってしまったようなカタルシスがあるのだ。

こんな音楽はもしかすると初めてかも知れない。

ソコロフ、こんなに怖ろしいまでのピアニストがいたとは…
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# by maru33340 | 2016-10-01 22:37 | 未分類 | Trackback | Comments(8)
2016年 09月 22日

何十年ぶりの…

昨夜、来月会社を卒業される先輩がアートハウスの展示を見に来て下さったので、ささやかな送別の宴を開きあれこれ歓談し愉しい夜を過ごした。

話の中で、昔僕の上司だった人と先輩が同期だったことを知った。

もう何十年も前の事だからもう時効だけれど、その頃の部門長が非常に激しい人で、ふとしたことで僕はその人の逆鱗に触れて半年くらい仕事を与えられず単純作業しかさせてもらえない時期があった。
(今ならパワハラとして訴える事例かも知れないけれど当時はそんな言葉さえなかった…)

その時の僕の上司(先輩の同期)はとても穏やかで、玄人はだしの絵を描くような文化人でとても尊敬していたのだけれど、その時は部門長を怖れて僕をかばってくれることはなく、会社でも口をきくこともないまま転勤で別れて以来今まで一度も会うことはなかった。

その時期はとても辛い時期で、ひどい心の傷になり、あれから何十年も経つのにいまだに時々古傷のように思い出すことがあった。

昨夜先輩からその上司だった人から「あの時は彼(僕のこと)にとても悪いことをしてしまった。もし会うことがあったら本当に申し訳なかった、と伝えてほしい」と言われたのだと教えてもらい、彼も長く辛い時期を過ごしていたのだと知り、涙が止まらなくなった。

何十年ぶりに凍っていた時間が溶けだし、胸のつかえが降りたような気がした夜だった。
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# by maru33340 | 2016-09-22 20:18 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2016年 09月 14日

晩夏の夜更けに

狂おしい暑さの後には激しい雨が降り続き、そんな夏がいつまでも続くかと思っていたのに、気がつけば秋の虫が鳴きかわし、湿り気を帯びた風にはひんやりとした空気が混じりいつの間にか季節は晩夏の様相。

陽は日に日に短くなり黄昏が胸に迫り、失った時間が戻らぬ切なさの中に佇む時間が増える。

ここ数日、坂本龍一のピアノに大貫妙子の浮遊感のある声が寄り添う美しいアルバム「UTAU」を繰り返し繰り返し聴いている。

まるで三島由紀夫の初期の短編小説のような売野雅勇による歌詞が晩夏の季節に似合う。

 眼差しの不実さと
 気高さに溺れてた

 狂おしい夏だった
 青空も 声も
 小さな死のように

 これ以上 愛さない
 禁じる愛おしさで
 瞳は 傷口と知る魂の

もう、秋がきたのだ。

UTAU(2枚組)

大貫妙子 & 坂本龍一 / commmons


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# by maru33340 | 2016-09-14 00:42 | 日常 | Trackback | Comments(5)
2016年 09月 09日

昭和からの呼び声

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夜半「ラジオ深夜便」を聞いていたら、女優の木野花さんが青函連絡船について語っていた。

青函連絡船には高校生の頃北海道への修学旅行の時に乗ったことがある。
この船は青函トンネルの完成により昭和63年に就航を終えたからまさに昭和と共に姿を消したことになるなあ、などと考えていたら、今は姿を消した昭和のあれこれと共に小学生から高校生の頃の日々を思い出した。

小学生の頃、まだ大阪に住んでいたので何度も通った万博で1度だけ「月の石」を見たこと。

父の転勤のため東京に引っ越し、その勤め先の旧丸ビルを見に行ったこと。

有楽町にあった旧日劇で映画(「キングコング」だったか)を見たこと。

今はなき浅草国際劇場にその頃ファンだった小柳ルミ子ショーを見に行ったこと。

54歳の若さで亡くなった爆笑王先代林家三平の高座を1度だけ生で見たこと。

まさに日本の高度経済成長とその終焉に向かう時代のど真ん中に、若き日を過ごしてきたのだなあ…
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# by maru33340 | 2016-09-09 05:41 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2016年 09月 06日

ラジオから聞こえる遠い響き

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昨夜、今年何度目かもうわからないくらいになった高松出張から戻る。

遠距離の移動には慣れたもののやはり疲労が残り、テレビを見るのも本を読むのもおっくうで、ふとスマホでラジオをつけニュースや天気予報を聞いてみた所、アナウンサーの遠い世界から語りかけるようなひっそりと落ち着いた声に心慰められた。

そのままNHKのラジオソフト「らじる★らじる」で過去のアーカイブ番組や、夜中の「ラジオ深夜便」を聞いているうちにいつの間にか眠りについた。

今朝はNHKFMの「古楽のたのしみ」で微かに愁いを帯びたイタリアのバロック音楽を聴きながら新聞を眺め、緩やかな気持ちになっている。

しばらくラジオにはまりそうな予感がしています。
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# by maru33340 | 2016-09-06 06:52 | 未分類 | Trackback | Comments(3)
2016年 09月 02日

明日ハ晴レカナ、曇リカナ

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長く黒澤明の映画の記録係を勤めた野上照代さんによるエッセイ『完本 天気街ち』を読んでいる。

黒澤明と三船敏郎を中心に日本映画の黄金時代を生き生きと描き興味が尽きない好著だけど、その本に作曲家武満徹のエピソードが出てくる。

黒澤映画『乱』で音楽を担当した武満徹は、途中黒澤と意見が会わずスタジオから飛び出し、途中降板してしまう。

周囲の説得の甲斐あり最終的には武満が戻り映画は完成し、その打ち上げの席で酔った武満は即興の歌を披露する。

その歌詞。

「昨日の悲しみ、今日の涙
明日は晴れかな、曇りかな
昨日の苦しみ、今日の悩み
明日は晴れかな、曇りかな」

歌い終わった武満は「これはね、黒澤さんに捧げる歌なんだ」と語ったという。

野上さんは「その時の武満さんは、はしゃいでいるように見えた。でも、悲しかったのかも知れない」と書いている。

確かにこの歌詞には、映画が完成した安堵感と共に一抹の後悔と微かな哀しみが漂うようだ。
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# by maru33340 | 2016-09-02 20:54 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
2016年 08月 30日

ドビュッシーの島々を訪ねて

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先日丸の内のMaruzenで本を探していて、フランスのピアニストのパスカル・ドゥヴァイヨンによる『ドビュッシーの島々-前奏曲を中心に-』という本が目に入り、帯の「さあ、乗船なさいますか?」という言葉に誘われ思わず乗船してしまった。

ドビュッシーの前奏曲を曲順ではなく11のキーワードにより分類し、楽譜を交えて詩的な言葉で解説したあまり類書にはない手法で書かれた本。

おそらくピアニストをターゲットとした本かと思うけれど、楽譜をほとんど読めない僕が読んでもとても興味深く、1曲の解説を読む毎に該当の曲を聴くという方法で数日かけて読了。

ドビュッシーが楽譜に込めた音楽革命への思いが朧気ながらわかりかけてきて、再びドビュッシーがマイブームになってきました。
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# by maru33340 | 2016-08-30 19:50 | 未分類 | Trackback | Comments(6)
2016年 08月 14日

小雨降る朝に

立秋とは良く言ったもので、今週始めの暴力的な暑さを過ぎてこの二三日は少し過ごしやすく、今朝は昨夜から降り続く小雨も残り少しひんやりとしている。

昨日の昼間は赤トンボが飛び交う姿を見た。

毎年この時期になると

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
(藤原敏行)

という歌を思い出すのが常だけれど、今年もまた秋が隣までやってきている気配を感じる。
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# by maru33340 | 2016-08-14 05:40 | 未分類 | Trackback | Comments(3)
2016年 08月 12日

朽ちたるものの美しさ

歳を重ねるに連れてオリンピックの中継を見ることが苦痛になってきている。

もちろん鍛えぬき、精進の果てにメダルをつかんだ勝者は美しいだろう。

しかし、勝った選手のガッツポーズより、負けて競技場を去る選手の後ろ姿の肩口の淋しさの方に美しさを感じてしまう自分がいる。

滅びゆくものに対する愛着は、日本では平安時代からあり『徒然草』にも書かれている。

「花は盛りに、月は隈なきものをのみ見るものかは」

「散りしおれたる庭などこそ見所多けれ」

「花の散り、月の傾くを慕うならひは」

(『徒然草』第137段)

こうした朽ちたるもの、名残を過ぎたものの美しさへの愛着は日本人独特の美意識で、それが食べ物でも戻り鰹や落ち鮎など盛りを過ぎたものを珍重する意識へとつながっているようだ…

 

 

 
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# by maru33340 | 2016-08-12 19:59 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2016年 08月 10日

次第に明るむ夏空を眺めながらフォーレの歌曲を聴く

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日中は外出も危険な程激しい暑さで夜になっても気温は下がらないけれど、朝5時前の外気はさすがに少しだけ肌に涼しくて、暖かい飲み物を持ってベランダに出てひぐらしの鳴き交わす中、烏が二羽三羽と飛び立つのをぼんやり眺めていると次第に東の空が明るむのが見える。

最近は朝はこの時間に目覚めて音楽を聴いたり本を読んだりすることが多くて、それは一日の中でも大切な時間で、今朝はブログ知人の記事に触発されて無性にフォーレの音楽が聴きたくなり、久しぶりにスゼーとアメリングによる歌曲全集を聴き始めた。

フォーレの初期の歌曲の少し甘く息の長い旋律に身を委ねるように聴いていると身体の奥のしこりのようなものが少し溶けてくるような気がして、その感覚は少し吉田健一の文章を読んでいる時のたゆとうような感覚に似ている。
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# by maru33340 | 2016-08-10 05:32 | 未分類 | Trackback | Comments(4)