新・クラシック音楽と本さえあれば

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2017年 12月 17日

エディト・パイネマンの演奏に魅せられる

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「日経新聞」(日曜版)のコラム「名作コンシェルジュ」は、未知の音楽等に出会えるから毎週楽しみにしている。
(その分手持ちのCDが増えてしまうのがちと悩ましいけど…)
先週12月10日に紹介された1937年にドイツに生まれたエディト・パイネマンというヴァイオリニストの演奏は聴いたことがなかったけれど「即物的・禁欲的で音楽に余計な味付けをせず、媚びることなく奏でるスタイル」という評に惹かれてAmazonで取り寄せ昨日到着。
早速聴いて直ぐにその清楚で気品のある美しい演奏に魅せられた。
このCDには、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、シベリウス、プロコフィエフの4つのヴァイオリン協奏曲が収められていて、どの演奏も知性と技術のバランスの取れた素晴らしい演奏。
いささか聴き慣れたメンデルスゾーンの協奏曲もこの人の演奏で聴くと、まるで目の前で初めてこの音楽が生まれているのを眺めているように新鮮で、瑞々しく艶やかで自然にこぼれ落ちてくる詩情に聴き惚れてしまう。

これから繰り返し愛聴する演奏になりそうです。

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# by maru33340 | 2017-12-17 08:11 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2017年 12月 15日

バッハの音楽を聴きたくなる時は

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長く遠くにあったバッハの音楽が、12月に入って次第に近づいてきている気配を感じている。

僕にとって日常生活が穏やかであまり問題のない時にはバッハの音楽は少し遠くにあるようだ。

一方少し体調が優れない時や、精神的に疲れてしまいあまり人に会いたくない時にはバッハの音楽はとても近くにある。

バッハの音楽は深い森や山奥の湖のようにどこか人間という存在から遠い所にあって、日常生活の煩悶とは別次元の宇宙に僕を連れていってくれる。

吉井亜彦さんは『名盤鑑定百科 バッハ』の中でバッハの音楽についてこんな風に書いている。

 「「私が幸せ」なときにはバッハの音楽を聴いてみよう。「私が悲しい」ときにもバッハの音楽を聴いてみよう。「私」が関係していようといなくとも、あるいは、どのような状況であろうとも、ひとまずバッハの音楽を聴いてみよう。そうしさえすれば、そこで聞こえてくる音楽はまさに不可思議としか言えないような作用を生み、我々人間が内包している様々なものごとを全てきれいに洗い落とし、いわば「素」のような状態へと導き、そこで人間が持つ諸属性から可能な限り自由となった音楽が、素朴に音楽たろうとしている現場に、誰もがあっけらかんとするほど 自然な姿で立ち会うことができるであろう」

これからカール・リヒターによるバッハのカンタータ集(75曲、26枚)を聴き、心を洗い流す旅に出たいと思います。
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# by maru33340 | 2017-12-15 17:40 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2017年 12月 11日

座る位置からの眺めは

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ここ数日あまりに冷えるから部屋に炬燵を入れた。
炬燵に入り部屋を眺めていると見慣れた景色が新鮮に見えるし、何よりとても落ち着く。
窓から見える夕景や朝の雲がゆっくり動いている様子も好ましい。

「座る位置からの眺め」が落ち着くのは、やはり長く日本人が見てきた風景の潜在的記憶が僕の中にもあるからだろうか?

写真は明日12月12日が命日(であると同時に誕生日)である映画監督小津安二郎の『東京物語』のワンシーン。
小津の代名詞であるローポジションも、やはり座る位置からの眺めのもたらす安心感を与えてくれます。
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# by maru33340 | 2017-12-11 07:52 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2017年 12月 10日

『宇多田ヒカルの言葉』について

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宇多田ヒカルの歌詞には少し不思議な所があると思ったのは「travelling」の中のこんな歌詞を聴いた時。

  「どちらまで行かれます?」
    ちょっとそこまで
   「不景気で困ります
     (閉めます)
     ドアに注意」

普通こんな日常会話を限られた文字数の歌詞に入れないだろうし、この会話は無くても歌は成立する。
でも、この違和感が何となく味わいになっている。

先日、偶然彼女の新曲『あなた』のMVを見て、改めてその歌詞の不思議な深みを感じていたら、12月9日に『宇多田ヒカルの言葉』という本が出たばかりだと知った。
(また12月9日!)

この本では宇多田ヒカルのこれまで書いた全ての日本語詩を三期に分けている。

初期(1998-2001) 15歳~18歳
第二期(2001-2008) 18歳~25歳
第三期(2010-2017) 27歳~34歳

彼女はそれぞれの時期についてこんな風に書く。

初期は「自分の無意識にあるものを表面に救い上げる行為」を無意識にしていた。それを意識的に行うようになり、すくいあげるというより潜りに行くようになったのが第二期で、表現の密度も増して物書きとして新しい段階に入った手応えがあった。第三期では、活動休止とともに一個人としての止まっていた時計が動きだし、自らに課していたさまざまな検閲を取り払うことで、表現の幅も広がり、それまでになく己をさらけ出すような作品もそれまでになくフィクション性の高い作品も登場する。

自らの音楽についてこんなに意識的に見ている宇多田ヒカルという人、やはりただ者ではない。
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# by maru33340 | 2017-12-10 20:11 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)
2017年 12月 09日

宇多田ヒカルのこと

昨夜、四国出張からの帰路。

長旅で疲れてしまい、新幹線の窓ガラスから冷たい雨に濡れる新神戸付近の景色をぼんやり眺めていた時、ウォークマンから宇多田ヒカルの『真夏の通り雨』が聴こえてきた。

夢の途中で目を覚まし
瞳閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻

聴きながら、ふいにこの歌詞は宇多田ヒカルが亡くなった母藤圭子のことを書いたものではないかという思いがよぎった。

この曲にはMVもあり、その美しい映像と暗示的な歌詞が彼女の切ない声と相まって、少し胸が締め付けられるような気持ちになります。

追伸

5年前の今日(2012年12月9日)のFBに「宇多田ヒカルが活動休止中にリリースした曲『桜流し』を聴き胸を打たれた」と書いていたことをこの記事を書いた後FBのお知らせで知りました。

宇多田ヒカルの母藤圭子はその翌年2013年の夏逝去する。


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# by maru33340 | 2017-12-09 07:47 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2017年 12月 06日

頭をガツンと殴られたような

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画家の山内若菜さんのフェイスブックで目にした新聞記事に、毎日をうかうかと流されるように生きていた僕は、頭をガツンと殴られたような気持ちになりました。

この文章を書いたのは小学五年生だという。

繰り返し、繰り返し読みました。

忘れてはいけない。

本当に彼女の言う通りだと思います。

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# by maru33340 | 2017-12-06 21:04 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2017年 12月 02日

今日は一日ラヴェル三昧

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今年はモーリス・ラヴェルの没後80年のアニバーサリー・イヤーだったことを思い出し、休日の今日は朝から家事をしながらラヴェルのアルバムをあれこれ聴き続けています。

ルイ・ロルティ演奏による切れ味のよいピアノ独奏曲全曲、ジャン・マルティノン指揮による管弦楽曲(生気に溢れた名盤!)と聴いてきて、今は「音楽三昧」という異色の音楽集団によるラヴェルを聴く。

これは5人の日本人の演奏家がラヴェルのオーケストラ曲を編曲して演奏しているいささか無謀なアルバムで、何とピアノ協奏曲(ピアノなしの!)や難曲ラ・ヴァルス(苦しいぞ!)まで演奏している。

ちょっと綱渡りを見ているような危うさもあるけど、面白いこと限りなし(^^)
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# by maru33340 | 2017-12-02 15:18 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2017年 12月 01日

「雨の樹」のこと

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昨夜、夜中に喉が渇き冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し飲んでいた時、ふいに「雨の木」という言葉が頭に浮かんだ。

おそらく随分昔に読んだ大江健三郎の小説の一節に「夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから「雨の木」と呼ばれている木がある」というような言葉があったから、水を貯えようとしている自分が「雨の木」のように思えたのかも知れない。

目が覚めてしまい、そういえば武満徹にその小説にインスパイアされた「雨の樹」という曲があったことを思い出し、高橋アキさんのピアノによる演奏を聴き始めた。

その音楽はとても美しく、今目の前で大きく傘を広げた樹から透明な雨が滴り落ちるのを見ているようで、生まれたばかりの音たちが僕の身体に沁み込んでくるような気がした。
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# by maru33340 | 2017-12-01 06:49 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2017年 11月 29日

久しぶりの「スターバト・マーテル」

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ペルゴレージの「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」を初めて聴いたのは、7年前。
初めて訪れた神保町の路地裏にある隠れ家のような酒場でだった。
小さな音でかかっていたその曲の美しさに友人と二人息を飲みすっかりその曲に魅せられ、いくつもの演奏を聴いた。
先日、朝起きてふと久しぶりに「スターバト・マーテル」を聴きたくなり、何気なく検索をしていて2013年に録音された未知の演奏を知りAmazonで頼んでみた。
歌手はロシアのユリア・レージネヴァ(ソプラノ)とフィリップ・ジャルスキー(カウンターテナー)の二人。
オーケストラは、イタリアの指揮者ディエゴ・ファゾリスが率いる古楽器アンサンブル「イ・バロッキスティ」。
この演奏は素晴らしかった。
二人の声は天井から射し込む陽射しのような透明感があり、オケは溌剌とした清潔な生気に満ちている。
少し気が重たく起きるのがしんどい冬の朝も、この演奏を聴いていると次第に細胞から目覚めてくるような気がします。
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# by maru33340 | 2017-11-29 07:04 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)
2017年 11月 28日

グレン・グールド再び

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少し前、夜中にふいにグレン・グールドの「平均律」が聴きたくなって以来、再び彼の残した録音をいろいろ聴き返している。

バッハ、バード、ギボンズ、ベートーヴェン…どの録音もまるで初めて聴くように面白い。
(うかつなことに、今年はグールドの生誕85年、没後35年の年だと最近気がついたけれど)

今朝は彼が1981年に録音した二度目の「ゴールドベルク変奏曲」を聴いている。
やはり特筆すべきはその「静けさ」。
冒頭のアリアは1955年の最初の録音では1:53秒に対し、1981年の二度目の録音は3:05秒と極端に遅いテンポになっている。

翌年彼は50歳という若さで亡くなることを知って聴くせいもあるからか、その音楽はまるでこの世界への惜別の思いと諦感に満ちた慰めの音楽に聴こえるのだ。
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# by maru33340 | 2017-11-28 06:29 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)