2010年 05月 19日
『徒然草』と井上陽水の歌詞
例えば、第七段より。
「化野の露、消ゆる時無く、鳥部山の煙、立ち去らでのみ、住み果つる慣らひならば、いかに、物の哀れも無からん。世は、定め無きこそ、いみじけれ。」
ここには、この世は無常であるとしながら、それ故にこそ、人は「ものの哀れ」を知り、そのことによって人は人となるのだ、という強靭な思考がある。
「弾き語りパッション」での井上陽水の歌詞(歌唱)にも、とてもパセティックで虚無的な歌詞(歌唱)の中に、そこを超え出ていこうとする人間という存在の尊厳に対する、暗く深い賛歌のようなものの存在を感じるのだ。
機会があれば是非一度お聞き下さい。
何度聞き返しても飽きる事がありませぬ。