2011年 10月 31日
「猫町」幻影
萩原朔太郎の「猫町」に魅せられた。
原稿用紙で27枚程度の短編小説だけれど、そして随分以前に読んですっかりその内容を忘れているのに、そのイメージには妙に既視感がある。
その既視感は、まるで自分自身の心の中にずっと以前から潜んでいた心象風景のように懐かしく、そして少し怖ろしい。
詩人の清岡卓行も、「猫町」に魅せられた人であり、『「猫町」私論』(筑摩書房)という評論集の中で、一冊まるまる「猫町」について語っている。
清岡は、この小説の主人公である「私」を、朔太郎自身として、当時の朔太郎の上京後の苦しい私生活と作品を重ねて、丁寧に語っている。
(そのエッセンスは、岩波文庫の『「猫町」他』の解説にも収められてていて、こちらもとても興味深い。)
確かに、テキスト批評という観点から言えば、清岡の方法はいかにも古典的である。
しかし、ことこの作品に限って言えば、作者自身の心象スケッチのような作品と作者を切り離して考えることは難しいと思う。
というよりも、重ね合わせることで、この作品はより多層的な魅力を生むようだ。
まだ、『「猫町」私論』は最初の20ページ程を読み始めたばかり。
この私論が僕をどこに連れ去ってくれるのか、この先を読むのが楽しみだ。
萩原朔太郎。その心象風景に近づきたいな。