2011年 12月 29日
フルトウ゛ェングラーのシューマン
吉田秀和がこんなに多くこの指揮者について語っていたとは思わなかったけれど、こうして一冊にまとまってみると随所に発見があり、興味がつきない。
特に次の一節は、この指揮者のテンポについて語りながら、その音楽の本質を一言で表現しているようだ。
「フルトウ゛ェングラーの指揮者としての魅力、そのかけがえのない高い価値の根本は、このテンポの変化が、音楽の論理と人間心理との必然に裏づけられていたこと。それから、一つのテンポからつぎの違うテンポへ移ってゆく、その移り変わりに、ほかの人よりも格段に見事で慎重な準備が行われていること、この二点にある。」
特にシューマンの交響曲4番の3楽章から4楽章への推移は、まるでワーグナーの音楽の舞台転換の音楽のように壮大で、空の色が夕暮れから次第に闇を深めていくような濃密な気配に満ちていて、彼のテンポの移り変わりがいかに音楽自体の必然と密接に繋がっているかが良くわかる。
この演奏を聴いてしまうと他の演奏がまるで薄味に聴こえてしまうのが難だけれど。
今日から冬休み。
この年末年始は少しフルトウ゛ェングラーの演奏を集中的に聴いてみよう。
チェリビダッケのシューマンはまだ聴いた事ありませんでした。是非聴き比べてみたいと思います。ありがとうございました。
同じCDにカップリングされていた「マンフレッド序曲」も聴いてしまい、それはまた、苦悩を突き詰めようやっと道を探し出そうとするような情念の塊で、それが序曲だとすると次の音楽をすべて聴きとおすことはできまい、と思うのでした。