2012年 02月 26日
柳家小さんを聞き直す
一気に読了した。
中でも僕には志ん朝の、社交性と人嫌いの二面性を語った章が面白かったけれど、それはまたの機会に書く事にして、今日は、(先代)小さんについて。
僕が学生時代に寄席に通い始めた頃(昭和50年代後半)、小さんは落語協会会長職にあり重鎮として君臨していたけれど、その高座は20代の若者だった僕には、あんまり渋すぎて面白くなかった。
声も小さいし、表情も乏しく、なんだかいかにも面倒くさいような感じで演じているのが、「なんだかなあ」という感じだった。
当時僕が好きだったのは、圓生。
いかにも名人然とした風情で、かたわらの白湯を飲む姿も格好よく、「えー、どうもこの」なんという語り口に痺れた。
それに比べると小さんは、いかにも野暮ったいように思えた。
しかし、この本の著者の小さん評を読んで、少し小さんを聞き直してみようという気になり、図書館で「うどんや・千早ふる」の入ったCDを借りてきて聞いてみた。
すると驚いた事に、確かに愛想はないけれど、何とも惚けた味わいがあり面白いのだ。
特に「千早ふる」は、その間合いや言葉使いが、そっくり小三治で、「ああ、なるほど小三治のおかしみは、見事に小さんを引き継いだものだったのだ。」と今更ながら気がついた。
30年経ってようやくその真価を知りました。
いやはや。
小さんという人の滑稽味に気づくまで30年かかってしまいました。これから少し聞き始めたいと思います。
小さんの落語は「まさにこれこそ落語」という感じです。