2013年 01月 30日
吉田秀和がベートーヴェンを語ると
そんな時、吉田秀和さんはこんな時にどう書いているだろう、と『私の好きな曲』を書棚から探しだした。
吉田さんは、あの長大なハンマークラヴーア・ソナタのアダージョ楽章についてこんな風に書いている。
「深い出口のないような憂鬱のまっただなかで、突然、頭の上のおおいがはずされて、そこから一条の光が、慰めの光明がさしこんできたような、そうして、それによって、何か新しいものに目が覚め、しかも、その覚めたことが、そのまま新しい陶酔につながり、一段深い眠りを意味するほかならないとでもいったことの新しい体験。」
まさに、ベートーヴェンの後期のビアノ・ソナタのアダージョ楽章を聴くとは、そうした体験をすることであり、この言葉に付け加える言葉を、今の僕は持たない。