2013年 05月 21日
描くことは救いか、はたまた更なる修羅への入口か
この美術館は、学生時代に住んでいた大泉学園のある西武池袋線の中村橋にあるけれど、途中下車したことはなく、初めて訪問した。
牧野邦夫は未知の画家である。
レンブラント、ルーベンス、ルドンなどに影響を受けた、写実的でありながら幻想的な絵画。
その濃密な絵画は、自意識の罠に絡め取られるように何層にも絵具が塗り重ねられる。
何枚もの自画像、歪んだ画面、植物には悪夢のような蒼ざめた顔がある。
見ていて心地良い絵画ではないけれども、眼を離す事が出来ない。
世にほとんど知られることなく、孤高のまま逝った牧野邦夫にとって、果たして描くことは救いだったのか、はたまた更なる修羅への入口だったのか...
追記
5月22日付け「日本経済新聞」文化欄に「牧野邦夫展」の展覧会評が掲載された。
「聖と俗、現実と幻想が入り乱れて、濃厚な世界を作り出している」「「写実」とな何かを深く考えさせられる牧野は、今後、さらなる研究と評価が待たれる画家の一人に違いない」との記載あり。
沢山の自画像から救いを求めているのでしょうか・・・。疲れて池袋でボーっとしてきました。
歪んでいない対象は千穂さんら極く僅かで、だからたくさんそれらを描いて心の安静を保とうとしたのかもしれないと思いました。歪んだ対象ももちろん描きながら。
東京の都会。牧野が観て感じてしまった外界は、さらに猥雑になっているかな。
ご覧になりましたか。
まあ、公立美術館の対応はこんな感じかなと思いますが、僕も以前豊田市美術館に行ってその対応のひどさに辟易したことがあります。
ただのパート感覚で受け付けに座っている・・・
それはさておき、牧野の絵画は、見終えて現実に戻るまでに少し時間がかかる、というか、心の奥に見えない変化が生じている・・・
これだけ毒を持った絵画は今の「現在絵画」にはないように思います。