2013年 12月 24日
この父にしてこの娘あり、『父 吉田健一』(吉田暁子著)のこと
吉田健一の文庫本の解説者としてだったのは確かだから、小説『埋もれ木』の解説だったのかも知れない。
吉田健一のことを「父」と書いているから、おそらく健一の娘であることは間違いない。
文章にも随所に吉田健一の節回しが感じられ、この書き手が彼の文章を愛読し、自分の体の一部になっていることも好ましく、その達意の筆さばきから相当に文章を書きなれた人であろうと思われ、いったいこの人は何者だろうかとずっと気になっていた。
だから、先日、出張の合間に神保町の「東京堂書店」を訪れた際に、偶然平台でその吉田暁子著による『父 吉田健一』を見つけた時は、「あっ、やはり」と声が出そうになった。
「やはり」というのは、「いつかはこの人が吉田健一について書いた文章が本になるのではないか」という予感があったから。
もちろん、すぐに買い求めて読み始め、今朝読了し、とても面白く、堪能した。
本の作者紹介によれば、吉田暁子は翻訳家(フランス文学)であるとのこと。
なるほど、この人の遺伝子の中には吉田健一が息づいているのもむべなるかな。
父への畏敬の想いと、程良い距離感が読んでいて心地よく、吉田健一とその父吉田茂との関係も垣間見えて興味深い。
しかし、何より文章の呼吸が吉田健一そのものであるのが嬉しい。
例えば、「吉田健一が一日の時間割を正確無比に守り、はめをはずして飲むのもその日、その時期を正確に決めていた」ことについて次のように語る。
「何かを本当にするにはそれに馴染んでいなければならない。馴染むには繰り返さなくてはならない。来る日も来る日も一つのことだけをしていれば勿論そのことに馴染むはずだが、人間には一つのことだけをして生きることはできない。一つのことだけでは満足できないし、したいことだけをしていて済むわけでもない。寝食を忘れてというが、いつまでも忘れているわけにはいかない。当然それぞれのことに適宜に時間を割り振る必要がある。割り振る他ないのであって、それを呪うなら、「生まれてこなければよかった」ということになる。日が出てから日が沈むまで刻々と変る庭の趣きをどれも善しとするように、いくつもの、それぞれ質の違ったことを順々にして一日を過ごすのを善しとすることで、一人一人の人間がそれぞれその人間として確かに、自然に、屈託なく生きることになる。」
読んでいて、陶然となるほど吉田健一そのものであり、僕は全く幸福感に満たされてしまうのだ。
年末にきて本年度本のベスト3候補に出会えた幸福を感じます。