2015年 05月 02日
ラズモフスキー・セット 親和的世界からの逃走
以前、ベートーベンの弦楽四重奏曲全作品を作曲順に聴いていた時期があり、ラズモフスキー・セットの3曲を聴き終えた時に、ハイドン、モーツアルトから出発して随分遠くまで歩いてきたなあ、と感じたことを思い出した。
いや、歩いてきたというより、この3曲でベートーベンは今まで親しんできた世界(四人の弦楽奏者が、室内楽を弾く事を、まるで会話のように楽しむ親和的世界)から、一気に逃走してしまったようだ。
そこには、闘いや孤独や瞑想など、それまでの弦楽四重奏曲には含まれなかった要素が、厳格な形式とせめぎ会うように盛り込まれ、それらを解決した先に、誰も表現しなかった解放感(アウフヘーベンと呼んで良いのか)がある。
それはまさに「弦楽四重奏曲の完成」なので、この先を行くものはバルトークのように、蕀の道を満身創痍で歩むしかなかったのだろう。