2016年 04月 25日
30年前の春のことなど
18歳だった。
僕はその頃入社4年目。
そのビルの斜め前にあるお店を担当していて、営業で四谷方面を回っている時にそのニュースを車の中のラジオで聞いた。
そのアイドル歌手の後を追うように多くの若者がそのビルから飛び降り、一時は社会問題にまでなったけれど、その後その事件のことを思い出すことはなかった。
ところが今日読んでいた2冊の本で、本当に偶然にその歌手のことを読んだ。
1冊は小泉今日子の新しいエッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』。
小泉今日子というひとはその書評集を読んで、実に頭の良い、素晴らしい文章を書く人という印象を持っていたけれどこのエッセイもとても良く、アイドルとして時代のスポットを浴びながらも時折よぎる自身の寂寥感をきれいに掬い取っていて胸を打たれる。
このエッセイ集の中で彼女は、自分より2年後輩のそのアイドル歌手のことをこんな風に書いている。(名前は書いていないけれど、あの時代を生きた人間には誰でもそうわかる)
「とても内気で、仕事じゃないときは牛乳瓶の底のように分厚い眼鏡をかけていて、時々ものすごく楽しそうに満面の笑みで話しかけてくれる、やわらかくふわふわした優しい女の子だった」と。
そして今日読んでいたもう1冊の本、北村薫著『うた合わせ 北村薫の百人一首』の中でも、まさかの偶然でそのアイドル歌手のことを歌った短歌に出会った。
「散華とはついにかえらぬあの春の岡田有希子のことなのだろう 藤原隆一郎」
この短歌を読んだ時に、そのあまりの偶然の符合に少し背筋にひんやりとしたものが走った。
あの四谷の事件の日、私は新入社員で四谷見附でお花見の場所取りをしていました。救急車やパトカーのサイレンに驚いて、何事かと思っていたらあの事件のことを知らされました。忘れられない日です。
バッハの、特にマタイ受難曲の記事を大変興味深く読ませていただいています。私はキリスト教徒ですが、マタイ受難曲と出会いは、私の人生にとって、信仰にとって大きな出来事でした。
コメントありがとうございます。
そうでしたか…
まさか30年経ってあの事件を思い出すとは思いもしませんでした。
キリスト教徒の方に読んでいただいているかと思うと思いつきの間違いばかり書き連ねてるんじゃないかと少し恥ずかしくなります(>_<)
ご容赦。
この年の4月は我が高齢出産で愚息誕生、あっという間の30年でした。
「光陰矢のごとし」とはこのことですなあ。