2016年 06月 18日
さらば、政治よ 旅の仲間へ
まるで遺書のようなタイトルだけれど、内容もそう呼んで差し支えないもの。
熊本に住む著者は、今年4月14日に起きた大震災を経験し、この本のあとがきにその経験について触れている。
敗戦の翌年、16歳の著者は家屋を接収され六畳間に家族四人で住んだ。
「私は家主の許しを得て、そこに小さな座り机を持ち込み、その上にブルックハルトの『伊太利亜文芸復興期の文化』など手持ちの文庫本を何冊か並べて悦に入っていた。ガラス窓からは寒々とした冬景色が見えた。暖房なんてなかった。石炭は最早手に入らなかったから。日常口にするのは高梁の粥だった。でも、まだ十六歳だったので、なんともなかった、体力、気力とも十分だった。自分がラスコーリニコフになった気がして得意だった」
そういう経験を経て著者は「人間とは戦争や災害や飢饉に追われて流浪するのが本来のありかただと思い込むようになった」
しかし、八十五歳になった今年、大震災に見舞われ身の回りがめちゃくちゃになり生きているのが面倒くさくなってしまう。
しかし「(この本の)初校ゲラを校正しているうち、思い出したのは、あの仮住まいの二階の小さな机のこと。それが今その前に座っている座卓と重なった。私は遂にあの十六歳の小ラスコーリニコフに戻ったのである。あのときの私の前途には七十年の歳月が控えていた。今は残るは何年か。野戦攻城といえば恰好よすぎる。野宿ならぬ仮の住まいこそわが境涯と、ふたたび思い定める。そしてまた仮寝の夢を見よう。ラスコーリニコフの超人の夢などではない。この後どう生きるか、道が定まっている。心を新たにして旅の仲間と歩もう」
この本にはそのタイトルに込めた著者の赤裸々な肉声が随所に見て取れ胸が熱くなる。