2017年 11月 18日
ドナルド・キーンさんの講演会から
昨日のドナルド・キーンさんの講演会「聞かせてキーン先生」から印象に残ったこといくつか。
(自身の心覚えとして)
18歳の時、タイムズスクエアの本屋でアーサー・ウエーリー訳『源氏物語』に出会い日本語を学ぼうと決意する。
戦争中日本兵捕虜の通訳を務める(23歳)。戦後中国で日本兵の戦犯調査の任務につくも、その調査にいたたまれず除隊を申請。焼け野原の東京に立ち寄り、親しくなった日本人捕虜たちから託された手紙を持ち、消息を家族に伝えて回る。キーンさんを見た家族は、最初はひどく恐れ警戒するも彼が訪ねてきた目的を知ると涙を流し喜んでくれた。
日本からハワイへ戻る上陸用舟艇から見たピンク色に染まる富士山に向かい「再び日本へ戻れるように」と祈った。
ニューヨークに戻り大学院で角田柳作先生に日本文学を学ぶ。
31歳の時に日本留学の夢がかない、京都に住み、谷崎潤一郎や三島由紀夫らと親交を結ぶ。
谷崎潤一郎夫人松子さんは聡明で非常に美しく、日本からアメリカに帰国する際の御餞別には松子さんの舞を所望した。(その姿はまるで天女のようだったいう)
三島由紀夫の死の1ヶ月前に二人で伊豆下田を旅する。(昨日はその時二人が書いた絵馬を見ることが出来た)
二人で蟹を七杯食べる。三島は時折何事かを胸に秘めている表情を浮かべたが最後まで何も語ることはなかった。
三島から届いた最後の手紙には「あなたには私の心を全て理解していただけると思うから」と事件については多くは書かれていなかった。
1974年(54歳)から東京都北区無量寺の近くに住み現在までその場所に住み続けている。(「近所の人は皆私のこと知ってます(笑)」) 2011年(89歳)東日本大震災の後「今こそ私は日本人になりたい」として日本国籍を取得。
2014年には無量寺の垂れ桜の下に自身の墓を建てる。
キーンさん(現在95歳)が、講演会の最後にこれだけは言っておきたいとして「長い間生きてきたけれど今が一番楽しい」と笑顔で語る姿に、こんなにも日本をそして人生を愛している人が今目の前にいるということに胸が熱くなるのを感じました。
お寺の近辺を今度歩かなければ・・・\(~o~)/
近くには旧古河庭園もあるそう。僕も今度自宅に帰ったら付近を散策したいと思います。
ひょっこり散歩中のドナルド・キーンさんに会えるかも知れません。
そう思っていただける日本。おそろしく嬉しい。それを保っていこうと強く念じます。たいへんかもしれないけれども、キーンさんの思いをわれわれも共にして。