新・クラシック音楽と本さえあれば

maru33340.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:日常( 108 )


2016年 09月 14日

晩夏の夜更けに

狂おしい暑さの後には激しい雨が降り続き、そんな夏がいつまでも続くかと思っていたのに、気がつけば秋の虫が鳴きかわし、湿り気を帯びた風にはひんやりとした空気が混じりいつの間にか季節は晩夏の様相。

陽は日に日に短くなり黄昏が胸に迫り、失った時間が戻らぬ切なさの中に佇む時間が増える。

ここ数日、坂本龍一のピアノに大貫妙子の浮遊感のある声が寄り添う美しいアルバム「UTAU」を繰り返し繰り返し聴いている。

まるで三島由紀夫の初期の短編小説のような売野雅勇による歌詞が晩夏の季節に似合う。

 眼差しの不実さと
 気高さに溺れてた

 狂おしい夏だった
 青空も 声も
 小さな死のように

 これ以上 愛さない
 禁じる愛おしさで
 瞳は 傷口と知る魂の

もう、秋がきたのだ。

UTAU(2枚組)

大貫妙子 & 坂本龍一 / commmons


[PR]

by maru33340 | 2016-09-14 00:42 | 日常 | Trackback | Comments(5)
2016年 06月 08日

梅雨の晴れ間に

f0061531_5401895.jpg

昨夜から降り続いていた弱い雨は止み、ひんやりとした空気の中に朝の光が射し込む。

道はまだ雨に濡れ、あちらこちらから鳥の鳴き交わす声が聞こえる。

梅雨は少しうっとおしいけれど、それだけに晴れた朝のありがたさを感じさせてくれたりする。

少し濃いめにいれた緑茶を飲みながら屋外を眺めていると、日々の仕事で疲れぎみの心が少しだけ楽になってくるよう。
[PR]

by maru33340 | 2016-06-08 05:40 | 日常 | Trackback | Comments(4)
2016年 03月 25日

たおやかでやわらかな

f0061531_5423968.jpg

f0061531_5423959.jpg

先月、今月と仕事で高松に通っている。

そして、その風景のたおやかでやわらかな様がとても気に入り、勝手に第二の故郷が出来たような気分になっている。

瀬戸大橋から眺める瀬戸内海はおだやかで静かに耀き、微かに霞む空気の中で、平野のあちらこちらにぽつねんと佇む丸みを帯びた山々の姿は柔らかい曲線を描く。

そこで交わされる言葉はおっとりとゆるやかでとげとげしい所がなく耳に心地好い。

高松の宿で隣になった家族の会話はとても優しいもので、おばあさんの語る「ありがと」という言葉のイントネーションは「東京物語」で東山千栄子が語る言葉そのままで嬉しくなってしまう。

四国では時間までゆっくりと静かに過ぎてゆくようだ。

これから仕事で何度か通うことになるけれど、その時間を大切に過ごしたいと思う。
[PR]

by maru33340 | 2016-03-25 05:42 | 日常 | Trackback | Comments(7)
2015年 12月 05日

ひどい風邪をひく

ひどい風邪をひいてしまい、3日間寝込んでしまった。

最初は悪寒があり、あっという間に熱が上がり、夕方には39℃を超えた。翌日も38℃後半の熱が続き、医者に行き強い抗生物質をもらうも2日間はほとんどものも食べられず、3日目も終日横臥したまま。
4日目でようやく熱が下がり、5日目の今日ようやく日常生活に戻れるようになった。

この所、西へ東へ出張が続き、疲れがたまり、免疫力が落ちていたのかも知れないけれど、今年の風邪は実に手強かった。

もちろん音楽も聴けず、本も読めない。

それにしても熱がある時は、何故あんなに時間が経つのが遅いのだろう。
1時間は眠っただろうか、と思って時計を見ても10分も経っていない、そんな繰り返しの中にいるとまるで悪い夢を見ているようで、実に苦しかった・・・

今日は、ようやく回復してきて部屋の掃除や洗濯をして軽い食事も作り、健康のありがたみを改めて思い知った、

久しぶりに音楽も聴きたいと思い、バッハのカンタータBWV4を聴いて、その冒頭の旋律の美しさに涙が出そうになってしまった。
[PR]

by maru33340 | 2015-12-05 17:27 | 日常 | Trackback | Comments(6)
2015年 09月 02日

サクサクとセザンヌ描く鰯雲

f0061531_2036594.jpg

今日は久しぶりの青空。

夕方、見上げると空一面に鰯雲が広がる。

ふとセザンヌの絵画のタッチを思い出す。
[PR]

by maru33340 | 2015-09-02 20:36 | 日常 | Trackback | Comments(3)
2015年 08月 08日

寝苦しい夜、夢をみる

昨日は夕方軽く雨が降り、少しだけ暑さがおさまり、夜はクーラーを消して扇風機だけで寝たけれど、やはり蒸し暑かったせいか、滅多に見ない夢を見た。

ある地方都市。
熱狂的な祭で有名で、日本中から観光客が集まり、僕も観客の一人。

揃いのユニフォームを着た幾つものチームが踊りながら街を練り歩き、観客の投票でその優劣を競う。

祭を見ていた僕は、各チームに漂う疲労感と、その街のどこか荒んだ空気が気になった。

路地裏を歩いていると、一人の女性が青ざめた顔で道端に座り込み、僕の顔を見ると小声で「助けてください」という。

聞けばこの街では「祭りに参加しなければ人でない」ような空気が蔓延していて、特に若い人達は強制的に踊らされるといい、それを拒めば近所から家族にも圧力がかかるらしい。

僕は、祭の実行本部を見に行くが、そこにたむろしている委員たちに怪訝な顔で見られ「邪魔をするな」と追い払われる。

祭は暗い熱狂を秘めたまま、クライマックスを向かえ、路地にいた女性は実行委員に引きずられるようにして、祭の輪の中に戻されていった…
[PR]

by maru33340 | 2015-08-08 06:25 | 日常 | Trackback | Comments(5)
2015年 07月 14日

真夏日には平均律で

f0061531_21153539.jpg

今日は代休。

青空に夏の雲がかかる。

ここ2、3日急に暑くなり、疲れも溜まっていたので、今日は1日家に引きこもる。

ここまで暑くなると、さすがにエアコンに頼らざるを得ない。

この所聴き続けていた弦楽四重奏曲にも少し暑さを感じて、今日は1日バッハの平均律を聴きながら、松浦弥太郎さんのエッセイ『続・日々の100』を読んだり、昼寝をしたりしてゆるゆると。

バッハの音楽は、1日聴いていても飽きることはなく、次第に部屋の空気も澄んでくるよう。

気持ちも陰りぎみなので、数日は何処にも行かず、音楽と読書三昧の日々を過ごしたいけれど…
[PR]

by maru33340 | 2015-07-14 21:15 | 日常 | Trackback | Comments(7)
2014年 01月 30日

パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム~サイモン&ガーファンクルの歌詞を読む~

サイモン&ガーファンクルの曲「スカボロー・フェア」の中でまるで呪文のように繰り返される「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」という歌詞のことはずっと前から(中学生の頃からだから40年以上)気になっていた。

だから、昨年NHKのカルチャーラジオのテキスト『サイモン&ガーファンクルの歌を読む』を書店で見かけたときに「買おう」と思っていたのに、うっかり買いそびれてしまい年が変わり、次のテキストのサイクルになってしまったので書店ではみかけなくなってしまった。

それでもnumabeさんのブログでこのテキストの紹介を読んで「やはり買わなくては」と思い捜し歩き、昨日京都の本屋で発見し、京都からの帰りの新幹線の中で一気に読み、自宅に帰ってからも読み続けた。

これはとても興味深いテキストだった。

外国のポップスの歌詞をこんなに真剣に読んだのは初めてのことだけれど、ポール・サイモンという人は本物の詩人であると今更ながら気づいた。

その歌詞は、どこか黙示録的であり、言葉を象徴的に使っているので、一読しても意味がつかみづらい。

例えば「スカボロー・フェア」。
この曲は、イギリスに伝わる口承のバラッド(バラードではなく「物語詩」という意味)を元に、二人が作り直したもの。

この曲の歌詞は、バラッドの部分と詠唱の部分からなる。

最初の部分の歌詞は、

 スカーバラの市に行くのかい、
 パセリ・セージ・ローズマリー・タイム
 あそこに住んでいるあの人によろしく、
 かつてあの人は本当の恋人だった。

とスカーバラに住むある女性への伝言だけれど、伝言内容は「縫い目もなく針の跡も見えないようなシャツを作るように言ってくれ」などと実現不可能なものばかりになっていて、伝言を託された人は一切返答をしない。
曲の中で4回繰り返される「パセリ・セージ・ローズマリー・タイム」も呪文のようで何を意味するのかわからない。

テキストによると「このバラッドにはキリスト教以前の原始信仰の跡が残り、語り手は異界の住人、つまり異形のもの、あるいはフェアリー(実は悪魔のようなもの)であり、聴く者を異界へと誘い込もうとしている」らしく、「繰り返される薬草の名前は、異界人の言葉に対する魔除けのような役割を果たす」とのこと。

ちょっと怖いけれど、この曲が持つなんとも神秘的な雰囲気を考えるとわかるような気もする。

更にこの曲の詠唱部分の歌詞は、戦争のイメージに満ちている。
例えば、

 丘の中腹にはあちことに葉が茂る。
 墓を洗うのは銀色の涙。
 1人の兵士が銃を磨く。

こんな歌詞の詠唱が3ヶ所に織り込まれており、バラッドと詠唱部分はまったく異質の歌詞で、それがかみあわされることで不思議な「異化効果」が現れる。

このテキストでは、他にも有名は「コンドルは飛んでいく」や「ミセス・ロビンソン」などについてもその歌詞を精緻に読み込んでおり興味はつきないのだ。




[PR]

by maru33340 | 2014-01-30 20:51 | 日常 | Trackback | Comments(3)
2013年 10月 15日

スマホがダウンして思ふこと

ここ数日なんとなく不調気味だったスマホがダウンしてしまった。

個人的な連絡手段はスマホに頼っていたから、これが繋がらないとなんだか無人島に一人取り残されたような寄る辺ない気持ちになる。

今日はたまたまシフトで休日だから、この後お店に修理に行くけれど、なんとなく足元がすうすうするような気分。

しかし、ふと思い返すと、ほんの20数年前までは携帯もパソコンもなく、連絡手段は、固定電話か手紙ぐらいしかなかったけれど、それはそれで今考えれば不自由だけれど、なんとかやっていたわけで、携帯やパソコンが普及して便利にはなったものの、果たして人の幸福の総量が増大したのかと考えると、少し複雑な気持ちになる。

さらに遡って電話がなかった時代は、連絡手段は、もう手紙か直接会いに行くしかないわけで、その頃と今とで格段にコミュニケーションの質が向上したかと考えると、それは果たしてどうかしらと思ってしまう。

つい最近友人が、僕が学生時代に彼とやりとりした手紙を見せてくれて、それはもう穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい内容だけれど、もしその時代に携帯やパソコンがあったらおそらくそのやり取りは生まれたなかったわけで、では、もし携帯やパソコンがあれば同じような内容のやり取りをしたかと考えると、それはなかったように思う。

コミュニケーションの形は時代によって変化していくけれど、少なくとも「便利の量の増大=幸福の質の増大」という公式は成立しないのかも知れないなあ。
[PR]

by maru33340 | 2013-10-15 08:32 | 日常 | Trackback | Comments(4)
2013年 10月 06日

早くも気持ちはDecember

f0061531_17372362.jpg


今日は休日。

昨日、アートハウスの秋の新しい展覧会も無事スタートし、さすがに疲労困憊だったので、今日は終日自宅で過ごした。

先日ラジオで早くもベートーヴェンの第9が流れていたとブログ友達から聞き、ふいに第9が聴きたくなり、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルによる演奏を聴き始めた。

あたりが次第に夕暮れの気配になるこの時間にちょうど三楽章のアダージョに差し掛かる。

瞑想的でどこか神秘的で美しいこの音楽は、日に日に日が短くなるこの季節の夕暮れにふさわしく、胸がしめつけられるような郷愁に襲われる、

先日本屋に行ったら、店頭には来年の手帳が山積みになっており、2014年のカレンダーも発売になっていた。

早くも気持ちはDecember。

今年も残り3か月なのだ。
[PR]

by maru33340 | 2013-10-06 17:37 | 日常 | Trackback | Comments(6)