新・クラシック音楽と本さえあれば

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2011年 09月 04日

こんな粗末な音であっても…

3月の計画停電の時に、近くのヤマダ電機に携帯用ラジオを買いに走ったけれど、時既に遅く見事に品切れ。

仕方なく一番安いCDラジカセを買った。

自分の部屋で寝る前や本を読む時、BGMとして音楽を聴くときに、時折このラジカセでCDを聴く。

もちろん音はペラペラに薄く乾いていて問題にならない程音は悪い。

けれど今日久しぶりにグールドによるバッハのゴールドベルク変奏曲(55年版)を聴いていて、こんなに粗末な音なのに、グールドの想いやらバッハの信仰心やらがストレートに心に伝わってくるのに驚いた。

もちろんもっと良い音で聴けばもっと大きな感動があるやも知れないけれど、こんな粗末な音であってもしっかりと伝わる演奏や音楽があることの喜びもまた格別なものだと知った。
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by maru33340 | 2011-09-04 13:14 | お勧めの本 | Trackback | Comments(7)
2011年 09月 04日

レウ゛ィナス『他者と死者』を(とりあえず)読了する

昨日一日で『他者と死者』を読了。

見事なまでにわからなかった。

しかし、こんなにわからない本を最後まで読み終えることが出来たのは、やはり面白かったからだとは思う。

では一体何が面白かったのかと言われたら、その語り口なのかも知れない。

例えばレウ゛ィナスの次のような文章。

「無秩序な世界、善が勝利に至らない世界における犠牲者の立場、それが受苦である。」

この言葉自体はわからないけれど、レウ゛ィナスがユダヤ人でありながら、家族や親しい人とは異なり、アウシュヴィッツを生き残った人間である事を思うと少し理解出来るような気がする。

そんなヒントを内田樹は随所に仕掛けている。

彼のプロデュース力に導かれ、うっかり読了してしまったのかも知れない。
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by maru33340 | 2011-09-04 07:06 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)
2011年 09月 03日

ハードボイルドとしての『他者と死者』

胃痛は少し治まり昨日は会社へ。

この土日は、静養を兼ねて読書三昧とする。

昨夜から、内田樹著『他者と死者 ラカンによるレウ゛ィナス』(文春文庫)を読み始めた。
これがまた予想通りさっぱり分からない。
しかし、なんだか面白い。
この文庫版の解説には「ハードボイルド小説を読むようなつもりで『他者と死者』を読んでみてはいかがだろうか。」と書いてあり、その感覚は少しわかる。

この本はブランショの語る「同じ一つのことを言うためには二人の人間が必要なのだ。それは同じ一つのことを言う人間はつねに他者だからだ。」という謎のようなフレーズを理解するための、長いハードな旅を描いた本であるらしい。

果たして病み上がりの僕は、この旅を続ける事が出来るだろうか…
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by maru33340 | 2011-09-03 09:59 | お勧めの本 | Trackback | Comments(1)
2011年 09月 01日

ただ生きているだけで…

相変わらず胃痛と背中の痛みのため、身体に鉛の板でも入っているようで全身が重く歩くのが辛い。

この状態では仕事にも行けず、部屋で横になるばかり。

一人部屋に居ると、「自分の存在の意味は何なのか」などとラチもあかないことをぐるぐる考えてしまう。
横になり本を読んでも、こんな時は、何を読んでもしっくりこない。

漠然と本棚を眺めていて、ふと五木寛之さんの『歓ぶこと悲しむこと』というエッセイに目が止まり少し読み始めた。

新しい事が書いてあるわけではないけれど、最初のエッセイ「生きているだけで」の中の次のような言葉が今は胸に染みる。

「人間は生きているということに、あるいは今日まで生きてきたことに大きな意味がある。
後のことは、二番目三番目であろうと思うのです。
今日まで生まれて生きてきた、今も生きている、これからも当分の間生きていくであろう。このことに、人間の値打ちの大半はあるのではないか。
人間は存在において評価されなければならないのではないか。」

生きていくというのは、それ自体が、大変困難な作業であり、どんな生き方をしたかではなく、ただ生きているということに存在の価値がある、という考えが、ようやく自分の心にしっくりくるようになりました。
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by maru33340 | 2011-09-01 13:13 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)