新・クラシック音楽と本さえあれば

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2012年 11月 30日

10年に一度の傑作『火山のふもとで』(松家仁之著、新潮社刊)のこと

偶然書店で見つけて読み始めたこの『火山のふもとで』という小説を驚きと深い満足感をもって読了した。

著者は、かつて新潮社の雑誌『考える人』の編集者であり、50歳を超えて、この作品でデビューした。

驚くべき完成度であり、10年に一度の傑作である。

物語は・・・

1982年、フランク・ロイド・ライトの弟子であった老建築家村井にあこがれて、東京・青山の設計事務所に入ったぼくは、「国立現代図書館」の設計コンペを控えて、浅間山にある村井の「夏の家」で共同生活を始める。
建築設計コンペに向けた闘いに、ひそやかな恋を絡めて、物語は静かに深く展開されていく・・・


読書することの喜びをこれほど感じさせて入れる作品には、ここ数年出会ったことがなかった。

なによりその透徹した完成度の高い文体に陶然たる思いになる。

もう一度読み返して、しっかりとした書評を書いてみたいと思うけれど、今日はまず、この傑作との出会いを記録することにとどめておきます。
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by maru33340 | 2012-11-30 06:06 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)
2012年 11月 27日

微笑みのベートーヴェン

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この所毎日ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いている。

同時に、もう一度ベートーヴェンの作品を勉強しなおしていたら、彼の七重奏曲という曲が、生前大変な人気作品だったらしいと知った。

僕は果たしてこの作品を聴いた事があるかな?と思い返したけれど、おそらくない。

そこで家宝のウエミン59を探すと、ありました。

しかも、バリリ+ウィーン・フィルの管楽奏者による極めつけの名演。

早速聴いた所、これは本当に喜悦に満ちたとても楽しい音楽。

ベートーヴェンたら、こんな楽しい曲も書けるんじゃん、とつっこみたくなるほど。

ここでの彼は終始微笑んでいます。

本当にい〜い曲です。
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by maru33340 | 2012-11-27 06:41 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2012年 11月 26日

大井川鉄道でSL に乗る

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昨日は母が遊びにきたので、大井川鉄道のSL で紅葉を見に行く。

まだ随所に真っ赤な紅葉が残り見事な景観。

女性の名物車掌さんの話術もまたたいしたもので、久しぶりにゆっくりした時間を過ごす。

今度は桜の季節に再訪するつもりです。
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by maru33340 | 2012-11-26 07:22 | お勧めの本 | Trackback | Comments(1)
2012年 11月 20日

ベートーヴェンの闘いから僕らは何を学ぶか

ベートーヴェンは闘っている。

何と?

まずは、先人の残した偉大な業績と。

そして何より自分自身の過去と。

彼は、生涯に渡って常に自分自身の作品を乗り越え、最後に仰ぎ見るような最高峰に到達した。

交響曲、ピアノ・ソナタ・・・彼はいくつもの連峰を踏破し続けたけれど、その中でももっとも峻厳で美しい峰は、やはり弦楽四重奏曲だろう。

初期の作品十八の六曲では、ハイドン・モーツァルトの作品の影響が顕著でありながら、例えば、ヴァイオリン・ソナタの楽章構成を弦楽四重奏に応用するなど既に様々な実験を行っており、伝統を無批判に踏襲することを嫌ったベートーヴェンの独自性が随所に見られる。

初期の作品からラズモフスキー三部作が作曲されるまでには、約六年の歳月が流れている。
この間までには、交響曲三番、オペラ「レオノーレ」が作曲されており、まさに彼の想像力の爆破期であり、
この三部作は、形式・内容ともに初期の作品をはるかに凌駕した充実した作品群である。

更に二年半後、交響曲≪運命≫≪田園≫の初演後書かれた作品七十四≪ハープ≫、七十五≪セリオーソ≫では、モチーフを展開する構成力と歌のバランスを取ろうとする新たな模索の実験が行われている。

そして、さらに十四年の歳月が流れる。

全ての交響曲とピアノ・ソナタの作曲を終えたベートーヴェンは、その全創造力と精神力を最後の五曲の弦楽四重奏曲の作曲に捧げた。

「孤高様式」と呼ばれるその作品群は、前人未到の高峰に立つとともに、二年半という短期間に書かれながらも一つとして同じ性格のものはない。

あるいは楽章数を増やし、あるいは極端にアダージョ楽章が長いなど、形式は益々自由度を増すとともに、その神々しいまでの美しさは、神の領域を垣間見た最後の境地を思わせる。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲作曲の過程は、まさに「革新を続ける伝統こそ、卓越した美を創造する」ことを
一身に体現したものと言えるだろう。
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by maru33340 | 2012-11-20 06:11 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2012年 11月 15日

ピエール=ロマン・エマールの完璧な演奏会ライブに驚く

知人から、「これは凄い演奏です。」と、ピエール=ロマン・エマールの2001年カーネギー・ホールでのライブ演奏を収めたCDを貸してもらった。

これは掛け値なしに凄いとしか言いようのない素晴らしいアルバム。

第一にプログラムが良い。

第1部
■ベルク ピアノ・ソナタ
■ベートーヴェン ピアノ・ソナタ23番≪熱情≫
第2部
■リスト 2つの伝説第2番波の上を歩くパウラの聖フランソワ
■ドビュッシー 映像第1集から「水の反映」
■ドビュッシー 映像第2集から「金色の魚」
■リゲティー 練習曲集からの3曲
アンコールとして、
■メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし
■ドビュッシー 12の練習曲から第6曲

2つのソナタは、その色合いが異なるけれど、ベルクでの怜悧な響きとベートーヴェンの構築的で激しい情熱を見事に弾きわける手腕は只事ではない。
ベルクの中に、スクリャービンやドビュッシー、そしてワーグナーら遠い木霊を聴くことは、まるで近・現代音楽史の歩みを音で聴くような喜びがある。
そして、圧倒的な音の塊としての激しく情熱的なベートーヴェン!
カーネギー・ホールの聴衆も熱狂的な拍手でこの演奏を称える。

リストは僕には得意な作曲家ではないけれど、ベートーヴェンとドビュッシーをつなぐ役割として美しい。

そしてドビュッシーとリゲティーは、いずれも「水」をテーマとして選ばれている。
水面にたゆたうようなその響きを聴いていると、モネの晩年の睡蓮の絵を見ているような陶然とした気持ちに誘われる。

アンコールのメシアンは、エマールがずっと大切にしている作曲家。
今まであまりメシアンを意識的には聴いてこなかったけれど、これを契機に少しメシアンを聴いてみたいと感じている。
最後のドビュシーの技巧的でユーモラスな表現では、聴衆も思わず笑い声をあげている。

本当になんと贅沢な演奏会!

これはもう完璧な演奏会と言えますね。
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by maru33340 | 2012-11-15 05:23 | Trackback | Comments(4)
2012年 11月 10日

東京美術館散歩

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今日は休みを利用して美術館巡り。

渋谷から井の頭線で神泉まで行き、松濤へ。
(途中のコンコースで、岡本太郎の「明日の神話」を眺める。)

松濤美術館では、偶然開催していた「古道具、その行き先-坂田和寛の40年-」という展覧会を見る。

目白の古道具屋の坂田氏が集めた日常工芸品を丁寧に展示していて、静かな感銘を受け、カタログを購入。

建物も素晴らしい。

この展覧会は、現代アートについて考える上で、僕には大きなヒントをもらえるエポックメイキングな企画でした。

その後、表参道の根津美術館に向かい、美術館前にある関西風天ぷらの名店「みやがわ」の天丼とビールの小瓶で腹ごしらえ。

根津美術館の庭の紅葉を楽しみ、柴田是真の企画展を見てから、近くの岡本太郎記念館へ。

どちらも、外国からの訪問者で賑わい、インターナショナルな味わい。

久しぶりに岡本太郎のパワーを全身に浴びて、少し充電出来た休日を過ごしました。
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by maru33340 | 2012-11-10 23:10 | お勧めの本 | Trackback | Comments(5)
2012年 11月 05日

江戸に溶けいる~星川清司著『小村雪岱』について~

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小村雪岱の本で現在新刊として入手出来るのは(画集は別として)、わずかに平凡社ライブラリーの随筆『日本橋檜物町』の一冊のみである。

これだけの画業を残した画家としてこれはとても淋しい状況であると、先日の講演会で山下裕二氏が嘆いていたけれど、同感。

少し調べてみると、直木賞作家の星川清司氏が1996年に出した評伝『小村雪岱』があり、この本のことは松岡正剛氏も絶賛している。

既に絶版だけれど、アマゾンの中古でこの本があり、少し値段は張るけれど、古書店では8000円程すると聞き、思い切って頼んでみた。

今日その本が届いた。

これは、装丁、造本ともにとても美しいもので、これなら頼んだ甲斐があったと、少し小躍りしたいような気分になった。

文章も素晴らしい。

冒頭はこんな風に始まる。

「それは日本橋檜物町からはじまったようである。
画学生はこの町にとけこんでいた。
移り住んで五年になる。朝な夕な界隈をあるきまわるのを欠かさず日課のようにしているうち、われしらず町の情趣が身に沁みついていた。
橋を渡ってふりむけば、岸の並び蔵に夕日が照り映えて美しい。雨の日にはまた格別の趣がある。そこから橋を戻って並び蔵の向こう側に出る。八重洲河岸から細い路地をぬけて中通りに立つと、右の一廓が数寄屋町、左の一廓が檜物町だった。」


引用し始めると、ずっと続けてしまいそうになる。

この一冊があれば、知らず知らずの内に、江戸情緒の世界の中に自分自身が溶けていってしまいそうになります。
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by maru33340 | 2012-11-05 19:56 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)
2012年 11月 04日

ナタン・ミルシテインの弾くクロイツェル・ソナタ

先日の庄司紗矢香の演奏会で、演奏後のサインをもらうために買ったCDには、ベートーベンのバイオリン・ソナタ9番「クロイツェル」が入っていた。

僕は実はベートーベンのバイオリン・ソナタの熱心な聴き手ではなかった。

自分にとって決定的な名演に出会っていなかったことが、その一番大きな理由。

庄司紗矢香のクロイツェルは、冒頭のソロ部分がまるでバッハの無伴奏曲のように聴こえ、思わずおっと身を乗り出す。

演奏自体も端正で美しい演奏で、良い演奏だと感じたけれど、トルストイがその小説『クロイツェル・ソナタ』で描いた(でろう)ような、人を破滅に向かわせるような悪魔的な魅惑を持った曲には思えない。

これは演奏の印象なのか、はたまた僕のトルストイの小説の記憶が不確かなのか、などと思って少しもやもやしていた。

しかし、会社のクラシック音楽好きの方から、ナタン・ミルシテインがその最後のコンサートで弾いたクロイツェル・ソナタをお借りして自宅で聴いた所、確かにこの曲には、どこかデモーニッシュで人の心を乱す魅惑があると確信した。

ミルシテインの演奏は決して熱演というタイプではないけれど、端正でありながら内に熱を秘め、聴いていると体の内側から熱くなってくるような素晴らしい演奏。

すっかりこの曲にはまってしまい、これから少しクロイツェル・ソナタの聴き比べをするつもりです。
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by maru33340 | 2012-11-04 07:28 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(5)
2012年 11月 02日

庄司紗矢香のデュオ・リサイタルを聴く

昨夜は、静岡のアオイホールまで、庄司紗矢香とジャンルカ・カシオーリのデュオ・リサイタルを聴きに出かけた。

演目は下記の通り。

■ベートーベン ヴァイオリン・ソナタ第5番≪春≫
■ヤナーチェク ヴァイオリン・ソナタ
■ドビュッシー ヴァイオリン・ソナタ
■シューマン ヴィオリン・ソナタ第2番

まず、初めていくこのホールの音響の素晴らしさに驚く。
客数も少なめでとても親密なホール。
とても気に入りました。

演奏はもちろん素晴らしい。

無伴奏では極度の集中力を見せる庄司も、デュオでは時折はにかんだような笑顔を見せながら、ピアノとの対話を楽しむように、少しリラックスした演奏をする。

それでもヤナーチェクのような難曲では、真摯で思わず居住まいをただすように緊迫した音楽を聴かせてくれる。

ラストのシューマンは、いかにもシューマンらしく、中心からどんどん逸脱してしまうような迷走感のある曲だけれど、さすがに最後まで集中力を乱すことなく、ロマンの雰囲気もしっかりと残し、聴かせてくれた。

アンコールの、バッハとシベリウスもとても美しく、充実した演奏会を楽しみました。
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by maru33340 | 2012-11-02 07:44 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
2012年 11月 01日

小村雪岱と小津安二郎

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先日、三島にある佐野美術館で開催されている「小村雪岱展」に出かけた。

その絵画に見る女性の表現は、小粋で繊細で懐かしく、まさに「江戸の残り香」の味わい。

当日は、山下裕二氏による小村雪岱についての講演もあり、こちらも大変楽しく聞いた。

その講演の中で、雪岱の代表作の一つである「青柳」(写真)について興味深い表現を知った

この作品はご覧の通り、家屋を斜め上から見下ろす形で描かれており、絵画の上三分の一が屋根瓦。
この部分もデザインのようで面白いけれど、室内は無人で三味線と鼓だけが青い畳の上に置かれている。

こういう「無人でありながら、かつて人が居た、あるいはこれから人が訪れる状態」のことを「留守模様」と呼ぶらしい。

無人であるが故に、見る者はそこに物語の余韻や予兆のようなものを感じるのだ。

なかなか味わい深い表現だと思いながら、ふと、小津安二郎の映画にしばしば人の居ない部屋をしばらくの間映し続けるシーンが多いことを思い出した。

有名な、嫁に行った原節子の居た鏡台のある部屋の中を杉村春子がぐるっと訳もなく一周した後、カメラはしばらく無人の部屋を映し続けるシーンなど「留守模様」の例はたくさんある。

以前から、何故小津はこういうシーンを多用するのだろうと思っていたけれど、「留守模様」という言葉を聞いて、もしかして小津は日本絵画におけるこの技法を知っていて、というより偏愛していて、自身の映画に使ったのではないだろうか。

単なる素人の仮設だけれど、いかがなものでしょうか?
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by maru33340 | 2012-11-01 07:01 | 美術 | Trackback | Comments(5)