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2013年 04月 29日

アラウというピアニスト

先日知人から借りたアラウのドビュッシーの演奏が非常に素晴らしいものだった。

昨日はそのアラウの弾くゴルトベルク変奏曲(1942年録音)を聴いた。

これも驚くべき演奏だった。

おそらく何も言わずにこの演奏をきかされたら「グールドの未発表の録音ではないか?」と思うのではないだろうか。
これは、ピアノでバッハを弾くとはどういうことなのか深く考えた末のひとつの答えだ。

フレージング、曲と曲との間合いがグールドそっくりで、間違いなくグールドはこのアラウの演奏を聴き、影響を受けているに違いないと思える。

そう思いながら「アラウ グールド」でgoogle検索をしたら、なんとアラウによるシェーンベルクの演奏があった。



今までシェーンベルクの音楽は好んでは聴いてこなかったけれど、アラウによるシェーンベルクは、響きも美しく、一般に思われているほど無味乾燥な音楽ではなく、ドビュッシーの後継者かと思うほど、新鮮な和音の連続である。

アラウ恐るべし。
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by maru33340 | 2013-04-29 07:10 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
2013年 04月 27日

今、改めて加藤周一を読むこと

岩波新書の新刊『加藤周一』(海老坂武著)を読み始める。

その前書きにとても心に響く言葉があった。

著者は加藤を「言葉人間」であると語り、その多彩な言葉による活動の成果について述べながら、次のように書く。

「もちろん彼が言葉によってなし得なかったことはいくつもある。というか、彼の選んだ言葉の<いくさ>は敗北の連続だった。核兵器の廃絶についても、非核三原則についても、グローバリズムについても、改憲論議についても、歴史の歪曲についても、現実は加藤の目指したのとは逆方向に動いている。何かを変えようとして彼が発した言葉のほとんどは壁に跳ね返されて無力であったし、いまだ無力であり続ける。多くの言葉がそうであるように。しかし、それが何であろう。彼は、考え得る限りのことを考え、書き得るかぎりのことを書き、おのが志を明確に伝えたのである。」


今の日本を加藤周一が見たらいったい何を語っただろうか。
おそらく深く絶望しながらも、彼は語ることをやめなかったに違いない。

そのことを思う時、僕の心にはかすかな希望が見えてくるように感じるのだ。
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by maru33340 | 2013-04-27 06:06 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 04月 24日

もう一つの巡礼の旅

村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読了したままの気持ちを抱えて、徳島への出張に来ている。

浜松を通過し、曇天の新神戸駅で降り、徳島行きの高速バスに乗り込む。

行き先が、四国というのも巡礼の気持ちにふさわしい。

ウォークマンで聴く音楽はマタイ受難曲。

友人が今朝の朝日新聞に、松浦寿輝が『色彩を...』について書評を書いていると教えてくれたので、鞄には駅売りの朝日が入っている。

もう1つの巡礼の旅は、僕にどのような事を教えてくれるだろうか...
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by maru33340 | 2013-04-24 09:52 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)
2013年 04月 22日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹著、文藝春秋)をようやく読了する

今や社会現象ともなっているこの小説を発売の日に購入し、夜眠る前に少しずつ読み続けた。

しかし、なかなか読み進めることが出来ずにいた。

読みにくい小説ではない。
むしろ、推理小説のように少しずつ謎のヴェールがはがれるような手法は一気に読み通すことこそふさわしいのかも知れない。

だが、なんだろうか、主人公がこだわる過去の事件と自身の心の傷(その解明のために16年後に当事者達を訪ねる「巡礼の旅」に出かけるのだけれど)に共感することが難しかったからなのか、なかなか物語の中に入り込むことが出来なかった。

最後の120ページ位読み残していた昨夜、私事ながら心ふさぐ事件があって、今朝よんどころない事情で浜松に出かけなければならなくなり、その往復の列車の中で最後の部分を読んだ。

この小説では浜松という土地は、負の意味で重要な土地。

この小説を読みながら、僕もかつてこの土地に赴任していたころ、心傷つく出来事があったのを思い出した。(忘れようとして封印していたけれど)
そして、最初僕がこの小説を「読みにくい」と感じたのは、そんな自身の封印していた過去を思い起こさせられるような気がしたからだったと気づいた。

最後は一気に引き込まれて、電車を降りて少し残った数ページを愛野駅のホームのベンチに座って読んだ。

最後の一行、
「あとには白樺の木立を抜ける風の音だけが残った。」
という言葉に、やはりこの小説は、村上春樹特有の「喪失と再生の物語」の一番新しい形なのかもしれないという思いを持った。
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by maru33340 | 2013-04-22 13:45 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 04月 20日

藤田嗣治の憂愁

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昨日、静岡市美術館で開催される展覧会「レオナール・フジタとパリ1913-1931」のレセプションに出かけた。

これは実に充実した展覧会だった。

藤田が渡仏した1913年からラテンアメリカへ旅立つ1931年(藤田27歳から45歳)までに焦点をあて、フランス及び日本各地から集められた約100点から構成された展示は、初期の珍しい作品からエコール・ド・パリの寵児として一世を風靡した時代の裸婦の傑作を配し、大変充実している。

1923年に描かれた≪裸婦≫は華やかな背景もあいまって陶然とするほど美しい。

あの藤田固有の乳白色も堪能出来る。

しかし、今回の展示作品の中で僕が一番心ひかれたのは、写真(ミュージアムグッズのクリアファイルを撮影)の≪ヴァイオリンを持つこども≫(1923年)の絵画だった。

少しうつろな少年の表情から眼が離せず、良くみてみるとヴァイオリンを持つ右腕に弦の胴体部分がめりこんでいるようだし、背景の板塀の模様も奇妙に日本的だ。
ヴァイオリンの弦も明らかに長すぎる。

少し右に傾いた姿勢は西洋絵画の肖像の伝統にかなっているけれど、依頼人(少年の母親)の喜ぶような絵画とはどうも思えない。

全体から漂う虚無的な雰囲気が僕を魅了してやまず、しばらくその作品から離れられなかった。

このころ藤田は、「乳白色の肌」の画家として、絶賛されているというのに、彼の内面でいったい何が起こっていたのだろうか?
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by maru33340 | 2013-04-20 20:57 | 美術 | Trackback | Comments(7)
2013年 04月 19日

書斎は夜更けにbarになる

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そして夜は更け、我が書斎はbarになる。

アラウのバッハを聴きながら村上春樹の新刊の続きを読む。

あたりはひっそりと静まり、人影もない。

こんな時間は、大人になって良かったと思える、数少ない至福の瞬間なのだ。
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by maru33340 | 2013-04-19 23:38 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)
2013年 04月 18日

酩酊と覚醒と

夜、部屋の灯りを消して、ベッドに横になり読みかけの本を読み始め、なんだか少し物足りなくてもう一度起き出し、山崎のロックをグラスに注ぐ。

旨いチョコレートをつまみながら、最晩年のアラウの弾くバッハ/パルティータを聴き、山崎をちびりちびりとなめる。

飲むにつれ酩酊は深まるけれど、頭の芯にどこか覚醒した部分があり、そこがバッハの音楽に呼応するようだ。
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by maru33340 | 2013-04-18 22:57 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 04月 14日

西行の見た桜のこと

あくがるる心はさてもやまざくら
散りなんのちや身にかへるべき

春風の花を散らすと見る夢は
さめても胸のさわぐなりけり

西行

今日から「日経」の「美の美」欄は西行を取り上げている。
桜も散り、いくばくかの寂寥を感じるこの季節にふさわしいテーマだ。

この歌について、文芸評論家の高橋英夫はこんなふうに書いている。

「いつまでも上空から舞い落ちてやまない桜花雪片の無限と流動が西行の『死』のイメージであった。『死』は動いているのであり、その意味では生きているのである。」

僕たちが桜を見て、散るからこそ美しくそれを惜しみ、落花に生死の境を感じるのは、西行の見た桜のイメージを僕たちの心が再現しているからなのだろうか。
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by maru33340 | 2013-04-14 07:08 | Trackback | Comments(3)
2013年 04月 12日

「私製・十人一首」

文春新書の『新・百人一首』を読了。

これは、近代・現代のプロの歌人から百人を選び、その代表歌を四人の選者(岡井隆、馬場あき子、永田和宏、穂村弘)が精選したもの。

広く知られた歌もあるし、僕は始めて読んだ歌もあるけれど、選者の解説にも個性が現れてとても面白かった。

そこで、僭越にも、百首の中から更に僕が気に入ったものを十首選び、「私製・十人一首」を作ってみた。


君かへす朝の敷石さくさくと
雪よ林檎の香のごとくふれ

北原白秋


濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は
泥土か夜明けか知らぬ

齋藤史


たちまちに君の姿を霧とざし
或る楽章をわれは思いき

近藤芳美


日本脱出したし 皇帝ペンギンも
皇帝ペンギン飼育係も

塚本邦雄


かなしみは明るさゆへにきたりけり
一本の樹の翳らひにけり

前登志夫


夜半さめて見れば夜半さえしらじらと
桜散りおりとどまらざらん

馬場あき子


泣くおまえ抱けば髪に降る雪の
こんこんとわが腕に眠れ

佐佐木信綱


たっぷりと真水を抱きてしづもれる
昏き器を近江と言えり

河野裕子


まつぶさに眺めてかなし月こそは
全き裸身と思ひいたりぬ

水原紫苑


ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。
ハロー カップヌードルの海老たち。

穂村弘


短歌という器には、まだまだ新しい表現を盛り込む余地がありそうです。
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by maru33340 | 2013-04-12 04:51 | お勧めの本 | Trackback | Comments(5)
2013年 04月 09日

別の惑星のドビュッシー

知人からクラウディオ・アラウの演奏によるドビュッシーのビアノ作品集を借りて、先程から聴いている。

アラウ最晩年のこの録音は、全く独特の演奏。

アラウはドビュッシーの音楽を評して「別の惑星の音楽」と言ったそうだけれど、この演奏こそまさに「別の惑星の演奏」である。

冒頭から、その緩やかなあまりに緩やかなテンポに驚き、同時にその響きのまろやかな美しさに魅了される。

アラウは、一つひとつの音を、まるで大切な宝物をさしだすように、そっと僕らに手渡してくれる。

その音色は、五月の新緑に静かに降る雨のように柔らかく、聴くものの心に染み入る。

そこには計算されたあざとさや、これみよがしなはったりはなく、ただ自らの信じる音楽を虚心に弾く老ピアニストの澄みきった境地が、雲間からのぞく天上の光のように僕らを照らすばかりだ。
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by maru33340 | 2013-04-09 21:16 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)