新・クラシック音楽と本さえあれば

maru33340.exblog.jp
ブログトップ

<   2013年 09月 ( 15 )   > この月の画像一覧


2013年 09月 27日

横山大観の孤独について

やはり眠れぬまま、朝から坂崎乙郎の『絵を読む』を読む継ぐ。

その言葉は熱い。

坂崎は大観の、当時蔑称として使われた「朦朧体」について、「朦朧体はあらゆるあらゆる神秘の共通分母、虚と無と静である」とし、次のように書く。

「ヨーロッパの世紀末芸術にも総じてこの虚と無と静が顕現されていなかったろうか。漠然たる個の不安の感情をさらに包むより大きな不安。オデュロン・ルドンにギュスターブ・モローにときおり火箭のようにきらめく存在があったとすれば、それはただひとつの聖なるものの暗示であった。あとはなべて、虚と無と静である。
 ここからは何も生じない。瞑想と諦観以外は。芸術家の仕事は雲焔を創造する以前に、確固たる実態をこの地上に定着することである。自然に逆らう実体を。無情に反逆する実体を。芸術家はすべて過ぎゆくもののあいまから、指をもれる砂、流れる雲、消える光のあいだから何かをつなぎとめなければならない、あの白い雲の絹索の上に。
 何かとは人間であるだろう。集団の中の個人の、群衆の中の個の、観念でもない理念でもない、むきだしの肉体と貧しい魂を具え一刻一刻この空間に運動の軌跡を残す脆くひたぶるな人間であったろう。不幸にして、日本画家は、いまだ大観の先をゆく人間を描いてはいないのである。」


坂崎以降の美術評論は、こんなに熱い言葉を持っているだろうか。
そこに僕は大観のそして坂崎のとてつもない孤独を思うのだ。
[PR]

by maru33340 | 2013-09-27 07:11 | 美術 | Trackback | Comments(4)
2013年 09月 26日

人の心を殺すのに刃物はいらない

普段は風邪をひいても二三日で回復するのに、今回はどうもいけない。

しばらく夜眠れない日々が続いているので免疫力も落ちているからだろうか。

昨日少し回復したかと思ったけれど、今朝仕事での心ないメールを読んで心折れてしまい、体調も再び不調の底に。

本当に人の心を殺すのに刃物はいらない。

心ないほんの一言で人の魂は死んでしまうものなのだと、改めて思った。

せめて自分は人に対して、例え無意識でも、そんな言葉を発してはいないか、と自らを省みることぐらいしか、今は出来ないけれど...
[PR]

by maru33340 | 2013-09-26 23:27 | お勧めの本 | Trackback | Comments(5)
2013年 09月 25日

分厚い絵具を積み重ねて尚残る透明さよ

昨夜何故か、乾いた喉が水を欲するように、シューマンのあの厚塗りの油絵具で描かれた絵画のような響きが聴きたくなって、今朝急いでウォークマンに、クレンペラーによるシューマン交響曲全曲を入れて会社に出かけた。

先日終わった展覧会の作品を美術品輸送車に乗せて掛川から東京の倉庫に運ぶトラックに同乗しながら、早くシューマンを聴きたくてならぬが、まずは体調を整えるために眠る。
とんぼ返りで掛川に帰る新幹線でも少し眠り、幾分体調も回復してきたので、おもむろに交響曲三番「ライン」を聴く。

この分厚い響きが聴きたかったのだ。

今の雨の空のように、暗く重く幾重にも積み重なった音の層を身体が深く必要としていたのだ。
この所夏風邪で体調不良で、本を読むのも音楽を聴くのもおっくうで、ひたすら横になっていたけれど、ようやく身体の奥底から何やらエネルギーがふつふつとよみがえって来ているような気がする。
シューマンを聴いていると、その分厚い響きの底に流れる透明な光を感じ、それは曇天の空に聳える壮麗なカテドラルを見上げている時に、天からうっすらと射し込む光のようにも感じられるのだ。
[PR]

by maru33340 | 2013-09-25 18:23 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 09月 22日

モネと日本画との対話

f0061531_21181840.jpg

昨日は仕事をしたけれど、まだ風邪は抜けず身体がだるいので、今日は終日横になり本を2、3頁読んでは昼寝。

夕方からようやく起き上がり、日曜美術館で「平松礼二 モネとの対話」を見る。

素晴らしい番組だった。

日本画家である平松が、50歳を越えてモネの睡蓮に衝撃を受けて描いた睡蓮の絵画は素晴らしく、久しぶりに本当に好きだと思える絵画に出会えた。

平松が淡々と語る言葉も心打つものだった。

「創造とは古いものを脱ぎ捨てる戦いだ。」

「咲かない花も、降らない雨も、降らない雪もみんな夢の中の出来事で、それを描くのが創造だと思う。」

「70歳になって初めて自由に遊べるようになってきた。」

最新作では、モネの世界と琳派の華麗な屏風絵の世界が自然に融合し、夕映えに真っ赤に染まる雲が池に映り、箔を活かした睡蓮が耀く。

フランスまでその展覧会を見に行きたくなった。
[PR]

by maru33340 | 2013-09-22 21:18 | 美術 | Trackback | Comments(4)
2013年 09月 21日

鷗外の静かな遺産

急激な気温の変化で、風邪をひいてしまったらしく昨夜早くから横になっていたけれど、あまり眠れず、朝から芥川喜好の美術エッセイ『時の余白に』を読んでいた。

その中の一篇「鷗外の静かな遺産」はこんな風な書き出しで始まる。
「なんでもないような事が楽しいようでなくてはいけない」というのが父の気持だった━。森鷗外の次女で、父を語って文筆家となった小堀杏奴さんは、最初の作品『晩年の父』にそう書いています。鷗外はいつも静かで、落ち着いて物を片づけたり、ほこりの積もった本を引き出して羽のようなもので丹念に払っている時など、いかにも楽しそうにしていた━と。」

ここには、文豪や軍医総監としての鷗外ではなく、一人の静かな成熟した大人の男としての鷗外の姿が垣間見えるようだ。

小堀杏奴はのちに、画家小堀四朗と結婚する。

四朗は、才能豊かであったにも関わらす、世に出ず、作品を売らず、無名の存在に徹していたので、その生活は貧しく、杏奴が文章を書いて生計の足しにした。

しかし、二人は驕ることも卑屈になることもなく泰然として自らの境遇を受け入れて生きた。

晩年、身体が弱ってからも二人は日々の変わらぬ暮らしを楽しみ、読書や散歩をし、ある日、あの世との境のドアを開けて出て行ったようだったと、家族は語っているという。

二人は鷗外から「静かな生活の楽しみ」という贈り物を受け取って、心満ちてその生涯を送ったのだろう。
[PR]

by maru33340 | 2013-09-21 07:09 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 09月 18日

雲の名前

f0061531_221845.jpg

昨日は台風一過。

風は肌に心地良く、空には美しい雲の姿が見られた。

ふと、この雲の名前は何というのだろう、と思い少し調べてみたら「肋骨雲」という名前だとわかった。
(あんまりロマンティックな名前じやないけど)

調べていく内に、雲には、出来る高さや、塊状か層状かあるいは降水を伴う雲かなどの条件により、10種類の雲形に分類出来るということもわかった。

雲の名前を知ったから日常生活が何が変わるわけでもないけれど、あたりまえの日常が少しだけワクワクするものに彩られるような気がするから不思議だ。

明日から朝起きて、空を眺めるのが楽しみになってきた。
[PR]

by maru33340 | 2013-09-18 22:01 | 日常 | Trackback | Comments(3)
2013年 09月 15日

台風の朝に

台風の朝。

車の点検のために昨夜、東名高速で静岡から埼玉に戻った。
(やはり首都高速を運転するのは怖い)

今は車を点検に出し、出来上がりを待ちながら青柳いづみこの演奏するドビュッシーのバラードを聴きながらぼんやりと、台風の朝の雨の舗道を眺めている。

頭の中を様々な思いが去来する。

映画「さよならドビュッシー」での、時間が止まりそうな「月の光」の演奏の美しさ。

1979年のセルジュ・ボド指揮によるフランス音楽の木洩れ日のようにキラキラとした音たちの遠い記憶。

あの頃のアイドル歌手たちの(少し嘘っぽい)笑顔の耀きもまた。

会社に入社して車で営業活動していて、AM ラジオから流れる松田聖子の「瞳はダイアモンド」を聴きながら、何故か涙が止まらなくなった。

1995年のオーム真理教による地下鉄サリン事件が起きた同じ時間の列車に乗って銀座に通勤していた事。

富山のオフィスのビルで休日出勤していたときに、能登地方の大地震に遭遇した。
その時、同じ職場で働く人がたまたま仕事で能登方面を車で走っていたら、地震で自分が走っている道路が後ろから次々と崩れていくのを見ながら必死でアクセルを踏んで助かった。

そして、2011年3月11日。
汐留のオフィスの20階にいて、東関東大震災に遭遇した。
窓から見える電通ビルが大きく左右に揺れ、浜離宮の向こう側の隅田川の水が逆流するのが見え、背中に戦慄が走った事。

雨は少し小降りになったけれど、これから本格的な暴風域に入るようだ...
[PR]

by maru33340 | 2013-09-15 12:25 | Trackback | Comments(5)
2013年 09月 14日

情感の一刷毛 青柳いづみこのドビュシー

ロマンティック・ドビュッシー/青柳いずみこ

青柳いづみこ(p) / (株)カメラータトウキョウ



物書きとしての青柳いづみこの著作は随分楽しんできたけれど、そのピアノ演奏に接したことはなかった。
先日、その著作『ドビュッシーとの散歩』を読み、彼女の演奏を聴いてみたいと思った。

選んだアルバムは、「ロマンティック・ドビュッシー」と題された、初期のそれこそロマンあふれた有名曲を集めたもので、僕の偏愛する「2つのアラベスク」や「ベルガマスク組曲」も収められている。

ドビュッシー自身は、これらの初期のロマン的な作品を後年あまり気に入っていなかったようだけれど、その甘く夢想的な響きはとても魅力的だ。

青柳はこれらの曲を、比較的早いテンポで、一見さらっと弾くけれど、ほんの少しためらうようにテンポを落とすようなふとした瞬間に情感が零れ落ちるような瞬間がある。

それをエスプリと呼ぶのはあまりに安易な気がするけれど、(ライナーノーツでは「情感の一刷毛」と書かれている)そこにはやはりそんな言葉を使うしかないような魅惑がある。

それは、遠い遠い学生時代に、それまでマーラーばかり聴いていた20歳の僕が、日比谷公会堂で初めてセルジュ・ボード゙指揮リヨン管弦楽団によるフランス音楽の演奏を聴いた時に感じた、目の前にかかる透明な美しい薄いベールを見ているように甘く胸が苦しくなるように切ない感情を思いださせてくれるのだ。
[PR]

by maru33340 | 2013-09-14 06:16 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
2013年 09月 12日

国家安全保障戦略(>_<)

オリンピック東京招致で浮かれている合間に、早くも国家安全保障戦略が議論に入った。
徴兵制復活もそんなに遠い将来の事ではない。
なんて書いてたら特高に踏み込まれるかも、という言葉が冗談ではない時代もそこまで来てる。
本当にこれで良いのかと、世界の片隅で空しく叫ぶばかりだ(>_<)
[PR]

by maru33340 | 2013-09-12 21:37 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)
2013年 09月 11日

おもてなしという文字が欺瞞と読めてしまう

なんとかクリステルという人が前から何となく苦手だった。

色白で憂いのある眼。
品のあるたたずまいに、知性と教養もある。

しかし、その完璧さにはどこかアンドロイドのような嘘っぽさを感じて、テレビで見るたびに居心地の悪いような気持ちになっていた。

その人がオリンピック東京招致のスピーチでおもてなしを語り、IOC委員に合掌したらしい。
(僕はその映像は見ていないけれど)

おもてなしは、僕が勤務する会社でも大切なキーワードで、本来心の深いところからあふれでたものが、姿や形に顕れたものと理解していてその言葉の奥は深い。

しかし、今回の招致活動で使われたおもてなしという言葉には、接待や見返り・裏取引の味わいがベッタリと貼り付いているようで、とても嫌な気分になった。

今回の招致の件で、新聞でおもてなしの言葉を見ると、そこに欺瞞という文字が透けて見えるように感じるけど、あまりその事を大きな声でいえない空気もまたおそろしいのだなあ...
[PR]

by maru33340 | 2013-09-11 08:59 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)