新・クラシック音楽と本さえあれば

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2013年 10月 31日

静謐な時間に満たされる小説『喜嶋先生の静かな世界』

今日はシフトでお休み。

昨日読み始めた森博嗣の小説『喜嶋先生の静かな世界』を午前中バッハの平均律を聴きながら読み続け、読了した。

大学院の研究室で出会った喜嶋先生との交流と学問の世界の奥深さ純粋さを描いて秀逸な小説であった。

喜嶋先生は、ただ研究だけのために純粋に生きる、世間的には変わり者(ハードナッツ)と思われる人物だけれど、その純粋無垢で一途な生き方に心を打たれる。

学問をするとはどういうことか、研究とは何か・・・

僕も30数年前ほんの少しだけれど、学校に残って学問を続けたいと思ったことがあったことを、久しぶりに思い出した。

もしその頃にこの小説に出会っていれば、多少の苦労をしてでも学問を続けようと決意したかも知れない。

そして、会社員としての30数年の酔生夢死のような日々を、少し苦い気持ちで振り返った。

この小説の核になると思える次のような文章。
「学問には王道しかない。それは、考えれば考えるほど、人間の美しい生き方を表していると思う。美しいとは、そういう姿勢を示す言葉だ。考えるだけで涙が出るほど、身震いするほど、ただただ美しい。悲しいのでもなく、楽しいのでもなく、純粋に美しいのだと感じる。そんな道が王道なのだ。(中略)どちらへ進むべきか迷ったときには、いつも「どちらが王道か」と僕は考えた。それはおおむね、歩くのが難しい方、抵抗が強い方、厳しく辛い道の方だった。困難な方を選んでおけば、絶対に後悔することがない、ということを喜嶋先生は教えてくれた。」

この言葉は、この小説のラストの衝撃とともに僕の心に深く残った。

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)

森 博嗣 / 講談社


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by maru33340 | 2013-10-31 11:37 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 10月 30日

穏やかな陽だまりのようなシュ・シャオメイのバッハ

中国のピアニストであるシュ・シャオメイの弾くゴルトベルク変奏曲のアルバムの評価が高いことは、何となく知っていたけれど、今まで聴かずにいた。

ところが最近読んだ青澤隆明著『現代のピアニスト30』に書かれた、次のようなシュ・シャオメイのゴルトベルク変奏曲の演奏評を読んでとても興味を覚えた。

「分を弁えた、謙虚な佇まいだ。ロマンティックな情緒に溺れない節度をもち、程よい歌心を偲ばせながら、伸びやかに流れすぎることなく、内省的な繋留を保つ。技巧も機械的な質感を帯びることがない。だから、コラールのように敬虔な歌が、内心からの語りかけをもって、全体に滔々と歌い継がれる。響きはしかし、澄んだ清らかさというより、柔らかで、地味に温かく濁ってもいる。それは、河のように流れ、現実に立ち止まらずに、弛まぬ生成を繰り返す。」


この本は、時に思弁的に音楽を語りすぎるきらいがあるけれど、未知のピアニストへの道標としては、貴重なもの。

今回初めてシュ・シャオメイの演奏を聴いてみて、確かに一度聴いてその工夫に驚くような才気煥発というような演奏ではないけれど、とても安心感があり、繰り返し聴くほどに味わいが深まるような、大人の風情を持つ演奏であると感じた。

折に触れて聴き返したいと思う。

J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲BWV988 (Jean-Sebastien Bach: Variations Goldberg / Zhu Xiao-Mei, Piano) [輸入盤・日本語解説書付]

シュ・シャオメイ / MIRARE / King International


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by maru33340 | 2013-10-30 07:10 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
2013年 10月 27日

調和への希求としてのゴルトベルク

数年前、突然のようにバッハに目覚めた。

銀座の山野楽器の試聴機で何気なくマレイ・ペライヤの弾くバッハのイギリス組曲を聴いている時、その響きが僕の心に深く沁み込んできた。

それまでイギリス組曲を聴いたことがなかったわけではないけれど、ペライヤの弾くその曲は、冒頭からまるでシューマンのピアノ曲の様にロマンティックな響きがして、しばらくその場で聴き続け当然のようにレジに向かい、それからは毎日そのアルバムを聴き続けた。

聴くほどにバッハのイギリス組曲は僕の心にしっくりと馴染み、それから様々なピアニストによるバッハの鍵盤曲を聴いた。

特にゴルトベルク変奏曲は、一番のお気に入りの曲になり、何人ものピアニストによる演奏を聴いた。

以前はあまり熱心に聴いていなかったグールドの新旧の録音をはじめとして、有名、無名を問わず多くのピアノやチェンバロにより演奏を聴き、弦楽三重奏版までも聴いたけれど、一つとして面白くない演奏はなかった。

今日、最近出版された『現代のピアニスト30』(青柳隆明著、ちくま新書)を読んでいたら、ペライヤへのインタビューが掲載されていて、再び彼の演奏によるバッハを聴き返したくなった。

ペライヤはこんなことを語っている。

「音楽は完全な世界を体現してみせてくれる。言い換えれば、それは不協和音の世界が解決をみる世界です。そして、旅の終わりで、満ち足りて終わる世界。主音で終結するからです。私たちの実人生ではそのようにはいかない。しかし、音楽のなかでは、そうした完璧な世界を思い描くことができる。そして、調和から切り離され、満たされることがなく、不協和音が解決されない私たちに、音楽は自分の人生を育む精神的な豊かさを与えてくれる。音楽が人をよりよき人間にするとは私は思いません。しかし、何かしら他では得ることができない、内面的な充足をもたらします。そのようにして、音楽は完璧な世界への道に繋がっているのでしょう。」

このペライヤの言葉には、何故バッハの音楽を聴くことが、心の安らぎにつながるのかを考えるためのヒントがあるようだ。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲

ペライア(マレイ) / ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル


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by maru33340 | 2013-10-27 16:42 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
2013年 10月 26日

映画「ハンナ・アーレント」が語ること

今日から岩波ホールで上映予定の映画「ハンナ・アーレント」の予告映像を見た。

世界から尊敬されていた哲学者であるハンナ・アーレントが、ナチス戦犯アイヒマンの裁判傍聴記事を書くことによって、世界中から非難されることになる。

それは、彼女がアイヒマンの犯罪を「平凡な男が命令に従っただけの行為」と書いたことによる。

「本当の悪は平凡な人が行う悪です。私はこれを悪の凡庸さと呼びます。」

というハンナの言葉は、今組織に生きる僕たちの心に突き刺さる。

思考を停止し、組織の命令に従うことが、結果的に巨大な不正や悪を産むという事例を僕らは嫌というほど見てきているはずだ。

本当に恐ろしいのは自分自身で考えることをやめてしまうこと。
そして、思考していないということにさえ気づかなくなること。

この映画は見なくてはいけない。


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by maru33340 | 2013-10-26 07:16 | 映画 | Trackback | Comments(6)
2013年 10月 25日

雨の朝、ユジャ・ワンのラフマニノフを聴く

昨夜から出張。

今朝は、10時から開くお店の開店を待ちながら、近くのカフェでユジャ・ワンの新しいアルバムのラフマニノフ/ピアノ協奏曲3番を聴く。

これは素晴らしい演奏。
ライブ録音であることもあり、彼女の才能と技術と魂がほとばしる。

デュダメル指揮によるバックもまた、彼女と丁々発止の攻防を繰り広げこの上なくスリリングだ。

久しぶりの胸が震えるような演奏を堪能しています。
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by maru33340 | 2013-10-25 09:55 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 10月 22日

松家仁之の新刊『沈むフランシス』のこと

何度も読み返したくなる名著『火山のふもとで』の著者松家仁之の待望の第二作『沈むフランシス』を読む。

おそらく、前著の静謐で抑制された文体のイメージが強すぎると少し意外な感にとらわれるかも知れない。


さすがに、力のある作家だけにとても良い小説だけれど、(大事な部分だけれど)主人公の二人に感情移入がしづらいことが少し違和感として残る。


それでも北海道を舞台にした冬の自然描写は美しいし、物語は象徴的な意味合いを持って進行する。

僕が感銘を受けたのは、脇役の盲目の老婦人である御法川さんの予言とも詩的とも取れる言葉。

例えば彼女が主人公の桂子に語る次のような言葉。

「旅人の子どもを残しなさい。そうすれば、その子どもたちもいつか旅に出ることになる。あなたも、子どもの父親も、思いもしなかったところへ。何千年か前にここにやってきたのも一人残らずそういう人たちだった。わたしの祖先も同じ。だから私も目が見えていたら、いまごろはもうこにはいなかったでしょう。・・・あなたとわたしはたぶん、遠い遠い親戚なのよ。」

「冬眠ってね、いったん死ぬことなのよ。引き返してこられるし、行ったきりでは終わらないけど、でも死ぬことと同じ。だから春に目覚めたクマには、秋のクマとは別の魂が入っていることがある。(中略)だから、死ぬんだったらちゃんと死ななきゃだめ。シマリスを冬眠の途中で起こしてしまうと、覚めてもやがて死んでしまうことがある。-あなたは冬眠中にいちど、起こされたようね。かわいそうに。(中略)ただね、無理をして起き上がろうとは絶対にしないこと。どんなにおおきな音がしても、どんなに揺さぶられても、だまされてはだめ。あたらしいほんとうの音をきくように心がけなさい。」
彼女の言葉の持つ意味はまだほんとうにはわからないけれど、いつかその真意がわかる時が来るような気がする。

沈むフランシス

松家 仁之 / 新潮社


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by maru33340 | 2013-10-22 09:13 | お勧めの本 | Trackback | Comments(5)
2013年 10月 15日

台風接近の休日マタイを聴いて過ごす

今日はお休み。

スマホがダウンし午前中修理に行き、台風も接近しているのでいろいろと食料品を買い込み、午後からはずっと家でカール・リヒター指揮による「マタイ受難曲」を聴いて過ごす。

今までこの演奏は何度か聴いてきたけれど、今日は時間もあったので、歌詞を眺めながらじっくりと最後まで聴き、「今更それに気づくか」ということに思いいたった。

それは、「マタイ受難曲」は、3つの異なるパートが絡み合って成立しているということ。

3つのパートとは、
①マタイによる福音書の受難記事の部分
②自由詩による部分
③コラール歌詞の部分

僕がいつもその箇所にくると胸が熱くなり泣きそうな気持になるのは、③のコラール歌詞の部分であった。

以前斜め読みしていた『バッハの秘密』(淡野弓子著、平凡社新書)を引っ張り出して少し調べてみると、コラールの中でも特に僕が心惹かれる曲は、5曲あるゲールハルト歌詞による受難コラールであり、その深みと神秘性と象徴性において全曲の要となる曲であることがわかった。

同著によれば「コラールには場面の区切りを明らかにし、千々に乱れてあちこちへ迷走した人々の感情を一点に集め、次の場面に向けて再び自由に羽ばたかせるといった力がある」という。

また「コラールは、全人類が同時に声を上げたような音色」であり「原初の人類から今ここにいる「わたし」も「あなた」もともに歌っているということが前提で、時空を超えた響き」であり、このような理由から「コラールの場面では聴き手もともに歌う演奏形態も存在している」らしい。

著者の淡野弓子はドイツで学んだ合唱指揮者なので、演奏者ゆえの指摘が興味深い。

今は、クレンペラー指揮による演奏を持ち出してコラール部分の聴き比べをしているけれど、聴き始めると聴き比べなどという小さな動機をつい忘れて、その普遍的な祈りの姿に聴き入ってしまうのだ。
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by maru33340 | 2013-10-15 19:41 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(10)
2013年 10月 15日

スマホがダウンして思ふこと

ここ数日なんとなく不調気味だったスマホがダウンしてしまった。

個人的な連絡手段はスマホに頼っていたから、これが繋がらないとなんだか無人島に一人取り残されたような寄る辺ない気持ちになる。

今日はたまたまシフトで休日だから、この後お店に修理に行くけれど、なんとなく足元がすうすうするような気分。

しかし、ふと思い返すと、ほんの20数年前までは携帯もパソコンもなく、連絡手段は、固定電話か手紙ぐらいしかなかったけれど、それはそれで今考えれば不自由だけれど、なんとかやっていたわけで、携帯やパソコンが普及して便利にはなったものの、果たして人の幸福の総量が増大したのかと考えると、少し複雑な気持ちになる。

さらに遡って電話がなかった時代は、連絡手段は、もう手紙か直接会いに行くしかないわけで、その頃と今とで格段にコミュニケーションの質が向上したかと考えると、それは果たしてどうかしらと思ってしまう。

つい最近友人が、僕が学生時代に彼とやりとりした手紙を見せてくれて、それはもう穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい内容だけれど、もしその時代に携帯やパソコンがあったらおそらくそのやり取りは生まれたなかったわけで、では、もし携帯やパソコンがあれば同じような内容のやり取りをしたかと考えると、それはなかったように思う。

コミュニケーションの形は時代によって変化していくけれど、少なくとも「便利の量の増大=幸福の質の増大」という公式は成立しないのかも知れないなあ。
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by maru33340 | 2013-10-15 08:32 | 日常 | Trackback | Comments(4)
2013年 10月 12日

宗達、光悦そして西行

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10月も早や半ば、暦の上では「寒露」であり、露が冷たく感じられる頃であるはずなのに、連日30度を超える暑さ。

今日は一日半袖で過ごしたけれど、やはり何かがおかしいとしか思えない。

しかし、深く考えるとなんだか次第に恐ろしくなってくるので、今日は本棚の整理をして過ごした。

そうして、秋らしい2冊の本を探し出し、手元に揃えた。

いずれも辻邦生による『嵯峨野明月記』と『西行花伝』。

片や、宗達、光悦、そして角倉素庵を主人公とした絢爛豪華な<嵯峨本>作成をめぐる物語。
もう1冊は放浪の歌人西行の生涯を描いたもの。

いずれも晩秋の気配漂う物語だ。

せめて本の中で秋を満喫することにしようとぞ思ふ。
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by maru33340 | 2013-10-12 20:25 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 10月 07日

今年も残り3か月だからクレンペラーのバッハ「ロ短調ミサ曲」を聴こう

今日は休館日。

この所胸焼けが続くので午前中医者に寄ったらストレス性の逆流性食道炎と診断される。
(イヤハヤ)

その後少し仕事をして、帰宅後はパレストリーナの音楽を聴きながらうとうとする。

夕食後は、昨日第9を聴いてすっかり気持ちが年末モードになってしまったので、クレンペラー指揮によるバッハの「ロ短調ミサ曲」を聴く。

久しぶりにこの演奏をきいたけれど、まさに格別に巨大である。

天を仰ぎみて、その尊厳にただただ圧倒されてしまう。

この演奏と比較するならば、フルトヴェングラーの第9はまだ人間の崇高さを描く所にある。

クレンペラーの演奏はまさに神の高みから光とともに降りてくる音楽である。

この音楽を聴いていると、次第に浮世のぐたぐだなんぞはもうどうでもいぐなってきて、「おがまいねぐ」という心境になってくるようだ。

J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調

アグネス・ギーベル(S) / EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)


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by maru33340 | 2013-10-07 20:53 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(7)