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2013年 12月 30日

2013年の本・音楽・展覧会のマイベストから

毎年恒例の、今年の本・音楽・映画のマイベストの発表の季節になりました。

今回が6回目。

今年は、個人的には学芸員資格取得の勉強に時間を費やしたので、私的な興味で読書する時間が少し少なかったのと、東京出張の合間の時間は、出来るだけ展覧会に通ったため、映画を観る時間があまり取れませんでした。

そこで、今年は少し趣向を変えて、本・音楽・展覧会のマイベストを掲載することにしました。

まずは、いつものように本から。

【本】

今年は、年末にかけて、師と弟子というテーマの良書に出会えました。
今年の5冊をご紹介します。

◎林洋子著『藤田嗣治 手仕事の家』(集英社ビジュアル新書)

今年前半の僕のマイブームは、藤田嗣治。
静岡市美術館では、著者の林洋子氏の講演会も聴きに出かけた。。
藤田の生涯は、その華やかな画業とはうらはらに、どこか悲劇的な印象の拭えない生涯だ。
しかし、この『藤田嗣治 手仕事の家』という本を読み、藤田の愛した「モノ」への情熱を知り、いやいやどうして、なんとも充実した人生だったのかも知れないと思い返した。
この本は、軽やかでvisualな体裁にも関わらず貴重な資料や写真が惜しげもなく散りばめられた、とても贅沢な本で、ここから数冊の学術書が書ける程の素材が収録されています。

◎吉田健一訳詩集『葡萄酒の色』(岩波文庫)

吉田健一の本は講談社文藝文庫から刊行されていて、そのほとんどを持ってはいたけれど、まさかこの最初は限定500部で刊行された訳詩集が文庫になるとは思っていなかった。
岩波書店の快挙であると思う。
おそらくそんなに多くの読者を得るという種類の本ではないだろう。
しかし、この本に収められた芳醇な訳詩の数々は、こうして刊行されることがなければ、この世から消滅する運命にあったであろう。
その刊行自体が一つの奇跡のような本です。

◎森博嗣著『喜嶋先生の静かな世界』(講談社文庫)

大学院の研究室で出会った喜嶋先生との交流と学問の世界の奥深さ純粋さを描いて秀逸な小説であった。
喜嶋先生は、ただ研究だけのために純粋に生きる、世間的には変わり者(ハードナッツ)と思われる人物だけれど、その純粋無垢で一途な生き方に心を打たれる。
学問をするとはどういうことか、研究とは何か・・・
僕も30数年前ほんの少しだけれど、学校に残って学問を続けたいと思ったことがあったことを、久しぶりに思い出した。
ラストの衝撃ととともに長く深く余韻が残る名作でした。

◎尾崎俊介著『S先生のこと』(新宿書房)

北陸出張の電車の行き返りに、息をひそめるようにして読み終えた本。
著者の尾崎俊介はアメリカ南部を代表する女性作家フラナリー・オコナーを専門とする研究者。
その彼が、アメリカ文学研究および翻訳の権威にして小説家の恩師・須山静夫教授の人生と仕事を描いたエッセイである。
著者と須山教授の出会いは1980年代半ばの慶応大三田キャンパス。
学部3年生の著者が、明治大学から非常勤で出講していた須山教授の謹厳な授業に深く感銘を受け、やがて四半世紀以上におよぶ深い師弟関係を築く・・・
やがて、ストイックなまでに厳しく学問の世界を追及する須山先生には、その人生において悲劇的な経験があり、その研究と創作には自身の経験が深い影を落としていることに気づく・・・
師と年若い学生の出会いとその交流。
師の悲劇的な過去。
筆者による静かなモノローグ・・・
このエッセイは、後半は師の悲劇的な人生について描かれ胸が苦しくなるようだけれど、最後に恩寵のように微かな光が差し込んでくることで救いが生まれる。
この本は今年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しました。

◎吉田暁子著『父 吉田健一』(河出書房新社)

著者の吉田暁子は、吉田健一の娘で、翻訳家(フランス文学)。
この人の遺伝子の中には吉田健一が息づいている。
父への畏敬の想いと、程良い距離感が読んでいて心地よく、吉田健一とその父吉田茂との関係も垣間見えて興味深い。
しかし、何より文章の呼吸が吉田健一そのものであるのが嬉しい。
待望の一冊でした。

【音楽】

今年は音楽はかなり聴いた年でした。
ピアノ作品とヴァイオリン作品を3作ずつご紹介します。

◎「ミシェル・オークレールの芸術」

ミシェル・オークレールは、1924年フランスに生まれた、ジャック・ティボーに愛された女性のバイオリニスト。
この人のバイオリンは本当に素晴らしい。
左手の故障のため1960年代には現役を退き、パリ音楽院で後進の指導のあたった彼女の録音は多くはないけれど、一部の熱狂的なファンに支持され続けているという。
このCDには、モーツァルト、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームスのバイオリン協奏曲が収録されているけれど、どの演奏も、ため息が出るほど魅力的だ。
メロディーの歌い方の流麗なこと、音の響きの豊かさ、粋なポルタメント、思いっきりの良い鮮やかな節回し、どれをとっても音楽を演奏する喜悦に満ちている。

◎クラウディオ・アラウの演奏によるドビュッシーのビアノ作品集

晩年のアラウの演奏によるドビュシーは全く独特の世界だ。
冒頭から、その緩やかなあまりに緩やかなテンポに驚き、同時にその響きのまろやかな美しさに魅了される。
アラウは、一つひとつの音を、まるで大切な宝物をさしだすように、そっと僕らに手渡してくれる。
その音色は、五月の新緑に静かに降る雨のように柔らかく、聴くものの心に染み入る。
そこには計算されたあざとさや、これみよがしなはったりはなく、ただ自らの信じる音楽を虚心に弾く老ピアニストの澄みきった境地が、雲間からのぞく天上の光のように僕らを照らすばかりだ。

◎グレン・グールドによるベートーヴェンのパガテル集

ベートーヴェンのピアノ曲には時としてユーモラスな味わいがある。
グレン・グールドによるバガテル集は、更にリラックスの度合いが高い。
そもそもバガテルと言う言葉が「ささいなこと」という意味で、1曲は数分、まとまった構成も見あたらない。しかし、この曲集には上下脱いでくつろいだベートーヴェンの姿があって、とても親しみがわくのだ。
ここでのグールドは、いつも以上に、まるで子どものように演奏することを楽しんでいるようで、聴いていてこちらまで楽しくなってしまう。

◎ゲザ・アンダ演奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲20番・21番

これは本当に聴いていて溜め息が出るほど美しい演奏だ。
アンダのピアノの音は純粋で透明である。
しかし、時折テンポを微かに揺らす時には、まるで木漏れ日の中で光を感じながら、澄んだ明るい空を眺めている時に、時折そこにうっすらとした翳りが漂うような心持ちがする。
まるで儚い淡雪のような美しい夢の時間が、ほんの一瞬現れ、手を伸ばそうとすると消えてしまうよう。
特に20番の1楽章カデンツァに入る前、一瞬の間を置いてテンポを落として最初の音が奏でられる時には、そこだけ時間が止まったかのような至福の瞬間が現れる。
こんなに美しいモーツァルトには滅多に出会えないと思う。

◎カール・ズスケによるバッハ無伴奏ソナタ&パルティータ

聴けば聴くほど味わいが増す素晴らしい演奏。
今まで僕の中でのバッハの無伴奏ソナタ&パルティータのベスト盤はナタル・ミルシュタインによるものだったけれど、この演奏はそれに並ぶ愛聴盤になりそう。
押し付けがましい所、深刻ぶった所が全くなく、しかし軽すぎず浮ついた所がない。
人を圧倒するような演奏でも、心を引き裂く刃のような切れ味がある演奏でもないけれど、聴くものの心にそっと寄り添うような親密な味わいには、他の演奏には見られない親しみやすさがある。
一人で部屋で聴くのにも、新幹線の中であたりのざわめきの中で聴くにも耐えうる普遍的なスタイルでありながら、彼にしか出来ない独自の美しさがあるのだ。

◎タズミン・リトルの弾くディーリアスのバイオリン・ソナタ

ディーリアスのバイオリン・ソナタを僕は今までちゃんと聴いたことがなかったけれど、実に素晴らしい曲で、今まで聴かなかったことを後悔した。
メロディは美しく、親しみやすく、夕暮れの景色のように微かな哀愁が漂う様には溜め息が出るよう。
タズミン・リトルの演奏は、確かな技術に裏付けながらそれを誇示することなく、微かな微笑みを絶やすことなく穏やかに自然に聴くものの心に染みてくる。
繰り返し、繰り返し聴いても飽きが来ず、次第にその味わいが増してくるような曲です。

【展覧会】

今年は、レポートを書くためにかなり多くの展覧会を観たけれど、どうしても「レポートを書くこと」を目的に、出張の合間をぬって一日に2つの展覧会をはしごしたりという見方をしたので、純粋に楽しみのために見ることが出来なかったのが残念でした。
来年は、もっとじっくりと一つ一つの展覧会を見て、自分の言葉で展覧会評を書きたいと思います。

◎「須田国太郎展」(京都国立近代美術館)

普段展覧会に行く時には、まずざっと会場を眺めてから、改めて見たい絵に戻りじっくり眺めるのに、須田さんの展覧会は、一つ一つの絵に魅せられ立ち去りがたく、時間をかけてゆっくり見ることになった。
それまで、須田国太郎の絵については、「暗い絵」という印象を持っていたけれど、この展覧会を見ながら、暗いという印象は消え、むしろ深い色の底からうっすらとした光が染みでてくるように感じた。

◎「レオナール・フジタとパリ1913-1931」(静岡市美術館)

藤田が渡仏した1913年からラテンアメリカへ旅立つ1931年(藤田27歳から45歳)までに焦点をあて、フランス及び日本各地から集められた約100点から構成された展示は、初期の珍しい作品からエコール・ド・パリの寵児として一世を風靡した時代の裸婦の傑作を配し、大変充実していた。
1923年に描かれた≪裸婦≫は華やかな背景もあいまって陶然とするほど美しく、あの藤田固有の乳白色も堪能出来た。
この展覧会で観た≪ヴァイオリンを持つこども≫(1923年)に心惹かれしばらくその絵の前から立ち去ることが出来なかった。

◎「京都-洛中洛外図と障壁画の美-」

岩佐又兵衛による洛中洛外図(舟木本)の人物の精彩に富んだ表現に驚き、二条城の本当の障壁画を博物館内に再現した技術力に度肝を抜かれた。
映像の取り入れ方にも新しい可能性を感じ、東京国立博物館の実力をまざまざと見せられ圧倒された展覧会だった。

◎「ターナー展」(東京都美術館)

印象派の先駆者、位にターナーのことを思っていた自分の不明を恥じた。
ターナー絵画は現代美術の表現に直結していたのである。
ターナーは単に漱石の小説の中の点景に収まるような画家ではなかったのだ。

◎「植田正治のつくりかた」(東京ステーションギャラリー」

以前から好きだった植田正治の写真作品を、その初期から後期にいたる変化を見ることで、写真表現の持つ可能性に改めて気づかされた展覧会だった。
東京ステーションギャラリーという美術館は、その立地からも、絵画よりも写真の展示にふさわしい会場ではないかと感じます。

【映画】

今年は映画はあまり見られなかったけれど、クラシック音楽をテーマにした名作2作品に出会えたのは幸福でした。

◎『Quarte』
生きること、老いること、そして音楽の与えてくれる悦びを描いて、これは出色の、素晴らしい映画だった。
あのダスティン・ホフマンの初監督作品だけれど、最初の数分のカットを観ただけで、テンポや人物の描き方が堂にいっていて、これから素晴らしい物語が始まるに違いないと確信させてくれる。
カメラも良いし、音楽の使い方も見事。
ラストのヴェルデイのQuartet (四重唱)にいたるまでの物語は自然で、登場人物に気持ちが入るから、最後に大きなカタルシスに包まれる。

◎『25年目の四重奏』

ベートーヴェンの音楽とストーリーは絶妙にリンクし、音楽・カメラ・テンポ全てが絶妙のバランスで絡み合いあり、一点の隙もない。
ピーターを演じる『ディア・ハンター』で有名なクリストファー・ウォーケンは、音楽の使徒とでも言うべき真摯な老チェリストを素晴らしい演技で演じ(カザルスとの思い出を語るシーンが凄い!)、他の三人のメンバーも非常に良い。
演奏会の最終楽章で起こるシーンには、本当に胸を打打たれ、涙が止まらなかった。

≪番外編≫【ドラマ】

◎「あまちゃん」&「ハードナッツ」

今年の4月~9月は「あまちゃん」がマイブームになりました。
終わってしばらくは「あまちゃんロスシンドローム」にかかり、どんなドラマを見ても面白くなかったけれど、橋本愛主演の「ハードナッツ」(全8回)だけは全回見て楽しめました。

以上、2013年のマイブームをご紹介してきました。
今年も、拙ブログをお読みいただきありがとうございました。
2014年が皆様にとって素晴らしい年になりますようお祈りしております。
どうぞ良いお年を。




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by maru33340 | 2013-12-30 17:02 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)
2013年 12月 24日

この父にしてこの娘あり、『父 吉田健一』(吉田暁子著)のこと

吉田暁子という書き手のことを知ったのはどの本だったのだろう。

吉田健一の文庫本の解説者としてだったのは確かだから、小説『埋もれ木』の解説だったのかも知れない。

吉田健一のことを「父」と書いているから、おそらく健一の娘であることは間違いない。
文章にも随所に吉田健一の節回しが感じられ、この書き手が彼の文章を愛読し、自分の体の一部になっていることも好ましく、その達意の筆さばきから相当に文章を書きなれた人であろうと思われ、いったいこの人は何者だろうかとずっと気になっていた。

だから、先日、出張の合間に神保町の「東京堂書店」を訪れた際に、偶然平台でその吉田暁子著による『父 吉田健一』を見つけた時は、「あっ、やはり」と声が出そうになった。
「やはり」というのは、「いつかはこの人が吉田健一について書いた文章が本になるのではないか」という予感があったから。

もちろん、すぐに買い求めて読み始め、今朝読了し、とても面白く、堪能した。

本の作者紹介によれば、吉田暁子は翻訳家(フランス文学)であるとのこと。
なるほど、この人の遺伝子の中には吉田健一が息づいているのもむべなるかな。

父への畏敬の想いと、程良い距離感が読んでいて心地よく、吉田健一とその父吉田茂との関係も垣間見えて興味深い。

しかし、何より文章の呼吸が吉田健一そのものであるのが嬉しい。

例えば、「吉田健一が一日の時間割を正確無比に守り、はめをはずして飲むのもその日、その時期を正確に決めていた」ことについて次のように語る。

「何かを本当にするにはそれに馴染んでいなければならない。馴染むには繰り返さなくてはならない。来る日も来る日も一つのことだけをしていれば勿論そのことに馴染むはずだが、人間には一つのことだけをして生きることはできない。一つのことだけでは満足できないし、したいことだけをしていて済むわけでもない。寝食を忘れてというが、いつまでも忘れているわけにはいかない。当然それぞれのことに適宜に時間を割り振る必要がある。割り振る他ないのであって、それを呪うなら、「生まれてこなければよかった」ということになる。日が出てから日が沈むまで刻々と変る庭の趣きをどれも善しとするように、いくつもの、それぞれ質の違ったことを順々にして一日を過ごすのを善しとすることで、一人一人の人間がそれぞれその人間として確かに、自然に、屈託なく生きることになる。」

読んでいて、陶然となるほど吉田健一そのものであり、僕は全く幸福感に満たされてしまうのだ。

父・吉田健一

吉田 暁子/河出書房新社

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by maru33340 | 2013-12-24 20:52 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 12月 24日

映画『舟を編む』のこと

今日はシフト休。

午前中プチ大掃除を済ませた後買い物に。

帰りに少し職場に顔を出した後帰宅し、夕方届いていたDVD 『舟を編む』を観る。

三浦しをん原作による、辞書編纂をテーマにした映画で、イブの夕方一人で観るにはあまりに渋い内容だけれど、内容はとても素晴らしかった。

あくまで淡々と、これが映画になるのかしらというストーリーながら、一人一人の人物が丁寧に描かれているし、配役も絶妙だった。

主役の松田龍平は、「あまちゃん」のミズタクより一層テンションが低いのに、辞書編纂にかける秘めた想いが観るものに伝わり、宮崎あおいもまた気丈で繊細な味わいが素晴らしい。
オダギリジョーの軽みの演技も良く、初めて役者としての彼の凄みを知った。

そして何より加藤剛演じる辞書編纂顧問の演技が素晴らしく、加藤剛という人の誠実な人柄が滲み出るようで、胸を打たれた。

物語のラストでは、特別な事は何も起こらないのに涙が止まらなかった。

何かと心騒ぐ事の多かった今年の暮れに、静かに来し方行く末を想う事が出来た。

こんなイブも良いもんです。
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by maru33340 | 2013-12-24 19:59 | 映画 | Trackback | Comments(5)
2013年 12月 23日

遅く起きた朝に聴くディーリアス

今日は休日。

レポートの最後の仕上げをしなくちゃいけないけれど、寒くてなかなか布団から出られず、ようやく起きてお茶を飲みながら、過日ササキレコードで入手したバルビローリ指揮によるディーリアス管弦楽集を聴いている。

今は「ブリッグの定期市」と「アパラチア」を収めたアルバムを聴いていて、この穏やかで素朴な音楽が、遅く起きた朝になんともふさわしく、気持ちがゆるゆるとしてくる。

ディーリアスは来年没後70年を迎えるけれど、さして盛り上がる気配もなく、それがいかにもこの作曲家に似合っている。

その旋律は優しく親しみやすく、微かな哀しみをまといながら、激昂することもなく、穏やかに流れ消えていく。

バルビローリの演奏は、遥かなものへの儚い憧れを丁寧に慈しむように僕らにそっと差し出すよう。

微かな鳥たちのさえずりは、窓外から聴こえるのか、この音楽から聴えてくるのかその境目も判然とせず、次第にそれもどちらでも良いような気持ちになり、ただその音楽に陶然と身を委ねていたくなるばかりだ。
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by maru33340 | 2013-12-23 09:15 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)
2013年 12月 22日

京都の本屋「恵文社」のこと

京都に行くときには必ずと言っていいほど、一乗寺にある本屋「恵文社」に立ち寄る。

行けば必ず何か新しい発見があるし、自分の頭の中でカチリと音がして、今まで漠然と感じていた未整理の思考がすっきりと整理されるような気がする。

その「恵文社」の店長の堀部篤史さんの書いた『街を変える小さな店』という本は、本屋とは何か、商売とは何か、街づくりとは何か、について考える時の新しい視点を与えてくれるだけではなく、今の日本に快適に暮らすためのヒントもあちこちに隠されている好著だった。

引用したい箇所はたくさんあるけれど、例えば左京区にある喫茶店「迷子」の店主山本さんの消費についての次のような言葉。

「過去にすばらしい商品や作品が完成しているのに、なぜそれらのまがいものの再生産を、騙されたふりで消費し続けなければならないのか。貼りかえられたラベルだけを見て消費を続けるのならば、商品そのものの優劣はおざなりになってしまいかねないでしょう。誰かが勝手に決めた価値観にふりまわされたくないし、余計な付加価値で商売するくらいなら、じっとしていたほうがマシ。(中略)ブランドも何も関係ない、古いものの素朴さに触れている限り、心が荒むことはないんです。」

ここには、資本主義とは何かについての反時代的ではあるけれど、僕らの心の奥底にある漠然とした不安感の原因とその解決策のヒントがあるような気がするのだ。
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by maru33340 | 2013-12-22 20:30 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)
2013年 12月 19日

冷たい雨を眺め、小津安二郎の「東京物語」を思う

今日は今年最後の東京出張。

何度も眺めた窓外の冬景色に、冷たい雨が降るのを眺めながら、新刊の『「東京物語」と小津安二郎』(梶村啓二著、平凡社新書)を読了した。

今年は小津の生誕110年、没後50年なので小津関連の書物が数多く出版されたけれど、この本は一冊丸々「東京物語」の事だけについて語られている点でとてもユニークで、内容も素晴らしい。

著者の梶村啓二氏は小説『使者と果実』の著者で、僕とはほぼ同い年。

著者は「東京物語」を語るにあたり、何か新しいことや奇抜なことを声高に言おうとはせず、かといって語り尽くされたことは言わず、丁寧に作品を見直し自身の思索を展開する。

その文章は落ち着いていて、とても好感が持てる。

例えば小津の戦争を語った日記についてこのように語る。

「戦場の現実を淡々と記した小津の日記に気負いや興奮はない。簡潔な記述に、人間の風景として戦争を見つめる透徹した視線を感じる。高所からの戦争批判、政治批判、権力批判や怒り、嘆きの言葉はそこにない。愛国的熱狂や戦士としての自己陶酔もない。この日記が感動的なのは、戦争を知識人的概念やナショナリズムではとらえず、人がこの世に生きる限り避けがたく直面せざるを得ない現実として戦場の悲惨と無常を裸眼でとらえ、生を生きていく一人の人間としてそれをどう受け入れていくかという視点が貫かれている点だ。」

このような静かな文章で、紀子や周吉、子どもたちや、音楽や季節について語られる本書をゆっくり読むことには、読書が与えてくれる最上の喜びがある。
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by maru33340 | 2013-12-19 10:41 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2013年 12月 16日

朝の新幹線とブラームス


昨日一昨日の2日間で何とか学芸員資格取得のための最後のレポート2本を書き上げた。
内容はさておき、まずは提出だけは出来そうなので、少しだけ安心する。

さて、ほっとしている間もなく、アートハウスの展示「京都艶艶」が昨日で終了したので今日は次回展覧会準備のため朝6時台の新幹線に乗り東京に向かっている。

行きは新幹線だが帰りは美術品輸送専用トラックに乗り再び掛川に戻る。

車中では、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団によるブラームスの交響曲一番を聴いている。

この組み合わせによるブラームスは、筋肉質でありながらしなやかな動きが美しいアスリートのような演奏で、僕はとても気に入っている。

この一番もまたしなやかな力感と歌心のバランスが良く、これこそブラームスと納得出来る演奏だ。

朝、新幹線のホームから眺める朝焼けにはふさわしい音楽だ。
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by maru33340 | 2013-12-16 07:24 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(7)
2013年 12月 14日

速水御舟の「炎舞」

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学芸員資格のレポートもいよいよ大詰め。

今月中に後2本のレポートと2本の事後課題を書かなくてはいけない。

今日はまず事後課題を2本作成・提出した。

その一つは、今回美術史のレポートで取り上げた速水御舟の作品「炎舞」を、いったん美術史の知識を捨てて、自分の眼で見たものだけで1000文字で表現せよというもの。

今まで、こんなに絵を見つめ続けたことはなかったので、とても苦労したけど、なかなか得難い経験をしました。

以下、「炎舞」を1000文字で表現したもの。
お時間がある時にご笑覧下さい。

少し休憩したら、またレポートに取り掛からなくちゃ。

縦長の、掛け軸のような形の画面中央下から上に向かって赤い炎がうねるような姿で燃えさかっている。炎は写実的な表現ではなく、日本画の伝統的な様式の一つの「型」による表現である。しかし、その炎からは確かに熱を感じることが出来る。その色は深い朱色に近い赤であり、まるで地獄の業火のように見え、画面からはメラメラという音さえ聞こえてきそうである。炎の一つ一つは様式的な表現であるにも関わらず、まるで生き物のように身をよじりながら、妖しい揺らめきを持って闇の中に溶け込んでいる。

炎の色は、周囲の闇にうっすらと映っており、火の粉が炎の周りに描かれている。炎の煙は、螺旋を描くようにしながら画面の上方に向かってねじれ回転しながら立ち昇る。

背景は深い闇だが真っ暗闇ではなく、炎に照らされてうっすらと赤みを帯びており、ずっと見つめているとその闇に吸い込まれるような気持になる。

炎の上部には、そこに吸い寄せられるかのように9頭の蛾が舞っている。それぞれの蛾は、炎の周囲を舞い飛んでいるかのように見えるが、よく見ると、どの蛾もまるで標本箱にピンセットで止められたように正面から見た姿で描かれている。それでいて、蛾は静止しているようには見えず、炎の周囲を舞い飛んでいるように見えるのが幻想的な効果をもたらす。

画面一番上、上方に向かう蛾は炎の色に染まったかのように赤く、炎の煙と共に彼岸に向かって飛翔するかのように見える。その他の8頭の蛾は、炎の最先端を取り囲むようにして螺旋を描くような形で配置されている、画面右端、下方に向かう蛾は深く透明な湖のような澄んだ緑色が美しい。画面の左端と右から二番目には白く透明な蛾が描かれ、この絵の透明感を増し、炎の先端付近には他の蛾よりもやや小さめな蛾が対になるようにして描かれ、見る者の視線をそこに集中させる効果がある。画面左から二番目と三番目の蛾の柄は他の蛾の柄とは違い、1頭は黒い斑点模様、もう1頭は羽にうっすらと描かれた眼球のような黒い模様が禍々しく、どこか異次元への入り口を思わせる。

9頭全ての蛾の羽の先端は背景の闇に溶け込むように描かれており、その効果によって、蛾が小刻みに羽を震わせているように見える。

画面全体は、装飾的でありながらリアリズムも感じさせ、写実と夢の中での風景のような幻想的な景色が混然一体となり、見る者を不思議な陶酔に誘うようだ。


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by maru33340 | 2013-12-14 15:36 | 美術 | Trackback | Comments(5)
2013年 12月 09日

月曜朝のディーリアス

今日は東京出張。

午後から少し講演をしなければならないので、新幹線の中で、ディーリアスのバイオリン・ソナタを聴きながら最後の確認をしている。

この曲はnumabe さんのblogを読んでいて聴きたくなりAmazonで取り寄せたもの。
演奏は、イギリスの女性バイオリニストのタズミン・リトル。

ディーリアスのバイオリン・ソナタを僕は今までちゃんと聴いたことがなかったけれど、実に素晴らしい曲で、今まで聴かなかったことを後悔した。

メロディは美しく、親しみやすく、夕暮れの景色のように微かな哀愁が漂う様には溜め息が出るよう。

タズミン・リトルの演奏は、確かな技術に裏付けながらそれを誇示することなく、微かな微笑みを絶やすことなく穏やかに自然に聴くものの心に染みてくる。

ただ、ジャケットが、numabe さんが書かれているようにバイオリンをあしらった無粋なdesignでがっかりなのが残念だったけれど、ウォークマンに転送した所、そちらで見られるジャケットが、セピア色の背景にリトルが映っているいかにもディーリアス的な風景だったので少し気を取り直しました。

ディーリアスの音楽は、これからのマイブームになりそうです。
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by maru33340 | 2013-12-09 09:41 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2013年 12月 08日

北陸路で読む『S先生のこと』

 一昨日、金沢の湯涌夢二館で「山名文夫と夢二」という展覧会でのギャラリートークを行うため、北陸鉄道で金沢に向かった。

米原経由の北陸鉄道に乗るのは5年ぶりになる。

富山に1年、金沢に1年、合計2年間の北陸滞在は、僕の会社員生活の中でもとても意味深い2年間だった。
その自然、北陸特有の曇り空に覆われた冬の気候、人びとの言葉のぬくもり、そして美味しい食べ物と酒の数々・・・

今回は1泊での訪問だったけれど、変わらぬ金沢の風景に懐旧の思いを感じた。

その往復の車中で、今年日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『S先生のこと』(尾崎俊介著)を読み続け、深いため息とともに読了した。

これはとても美しい本だった。

著者の尾崎俊介はアメリカ南部を代表する女性作家フラナリー・オコナーを専門とする研究者。
その彼が、アメリカ文学研究および翻訳の権威にして小説家の恩師・須山静夫教授の人生と仕事を描いたエッセイである。

著者と須山教授の出会いは1980年代半ばの慶応大三田キャンパス。
学部3年生の著者が、明治大学から非常勤で出講していた須山教授の謹厳な授業に深く感銘を受け、やがて四半世紀以上におよぶ深い師弟関係を築く・・・

やがて、ストイックなまでに厳しく学問の世界を追及する須山先生には、その人生において悲劇的な経験があり、その研究と創作には自身の経験が深い影を落としていることに気づく・・・

師と年若い学生の出会いとその交流。
師の悲劇的な過去。
筆者による静かなモノローグ。

これらから連想されるのは当然夏目漱石の『こころ』である。
僕も随所で『こころ』を初めて読んだ時の、自身の心を深く鷲づかみにされるような衝撃を覚えながら、このエッセイを読んだ。

筆者は1964年生まれだから僕より5歳若く、同じ三田のキャンバスで学んでいたけれど、僕は学生時代に残念ながら師と呼べるような実在の人物に出会えなかったので、その関係性がとてもまばゆいものに見えた。
そして、もしやり直すことが出来るならあの時代に戻って師と呼べる先生を見つけたいと痛切に感じた。

このエッセイは、後半は師の悲劇的な人生について描かれ胸が苦しくなるようだけれど、最後に恩寵のように微かな光が差し込んでくることで救いが生まれる。

このエッセイの最後近くの文章。

「確かに、須山先生は私の傍らにすっくと立った巨木のような人でありました。度重なる嵐に大枝はもぎ取られ、山火事に腸を焼かれ、芯のところには黒焦げの大きな空洞が出来ていたけれど、そうした幾多の艱難にも折れることなく立ち続けた巨木。たとえそれが「倒れる力」さえ失っていたからだとしても、最後の最後まで天の一点を凝視して不動の姿勢を取り続けた巨木。先生は、強く、大きい人でした。」

静かで深くて美しいこのエッセイは、まさに冬の北陸路で読むのにふさわしい本でした。

S先生のこと

尾崎 俊介/新宿書房

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by maru33340 | 2013-12-08 06:47 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)