新・クラシック音楽と本さえあれば

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2014年 09月 13日

泉鏡花の家

胃腸風邪にやられてしまい、横になってゆるりゆるりと星川星司著『小村雪岱』を読み返している。

とても懐かしく美しい文章で書かれているので、読み終えるのがもったいなく、惜しみ惜しみ読んでいると、随所に立ち止りいつくしみたくなるような文章が見つかる。

例えば、鏡花が晩年亡くなるまで住んだ麹町下六番町の家についてはこんな風に書かれている。

「下六番町の家が雪岱はほんとうに好きだった。
その暮らしむきのなつかしさ。
下六番町の家ほど鏡花に似つかわしい家はないと思った。
木の葉の散る音さえきこえてくるような屋敷町の静寂、季節の移ろいをしらせる物売りの声。
れんじ格子の伊予簾のかかった窓にときおり往来の影がさし、文机のかたわらでは長火鉢の鉄瓶がちんちんと湯の沸きかえる音をだし、すず夫人秘伝の番茶がほうじられる。
階下の八畳の座敷には、艶やかな花柄の鏡掛けのかかった、ずず夫人の桑の姿見があった。」

歌人の吉井勇は、鏡花についてこんなうたを残している。

「世はいつか鏡花の国となりにけり夢見るごときともしびのいろ」

かつて日本にはこんなに静かでゆるやかな時間が流れていたのかと思うと、読んでいて、そのなつかしさに少し涙がでそうになってくるよう。
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by maru33340 | 2014-09-13 17:28 | 未分類 | Trackback | Comments(7)
2014年 09月 08日

久保田万太郎のことなど

今日は昨日とは一転し、肌寒いほどの気候。

まだまだ鍋には早い季節だけれど、ふいに久保田万太郎の晩年の有名な句

「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」

を思い出したのは、昨日次の展覧会の参考にと星川清司著『小村雪岱』を読んでいて、星川が久保田万太郎を評したこんな言葉を読んだばかりだったからだろう。

「詩人の常として、久保田万太郎は夢を追う人である。
同時にものわかりの早い東京人の弱さから、執着に淡い、憧憬も夢想もはかなく、見る間に破れ去ってしまうことをよくしっているひとである。
泉鏡花のように声を張り上げて威勢よく、現代の野暮と無粋を嫌ったり、永井荷風のように徹底して社会の虚偽と偽善を制したりすることはおもい及ばぬことである。
過去の讃美に熱狂したりはしない。ただ、あきらめの抒情に浸るばかりである。
その胸の底には、世の中は悪くなるいっぽうで、かといって、どうにもならぬことだというおもいが根強くわだかまっている。
激しく呪詛したりすることもなければ、抗いもしない。ひとり寂しくつぶやくだけである。」

久保田万太郎について僕が知ることは先の句以外にほとんどないけれど、この文章を読むと、彼の人柄や文学の本質が見えてくるような気がする。

星川は長く映画界にあり、60歳代後半に直木賞を受賞した作家。

彼は生前、自分の年齢を5歳若く公表していたのだが、それは本当の年齢だと、「史上最高齢の直木賞受賞作家」となることから、その事でマスコミに騒ぎ立てられるのを嫌ったからだという。

目立つことを嫌い、出来れば世の中から忘れられたい(でも良い作品は書きたい)という、何とも奥ゆかしいような歯痒いようなこの作家は、今日彼が望んだように、ほとんど世の中から忘れられようとしているけれど、その文章は何とも味わい深い。

本物の仕事、本物の人間はますます世の中の片隅に置き忘れられてしまう、そんな時代になってしまったのかと、万太郎を気どりつぶやいたりする冷たい小雨そぼ降る秋の休日である。
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by maru33340 | 2014-09-08 15:34 | 未分類 | Trackback | Comments(3)
2014年 09月 04日

エマールによるバッハの平均律

今夜は少し胃が痛かったので、夕食は控えめにして、テレビは消して、部屋の灯りは落とし、ピエール=ロラン・エマールによる新しいバッハ平均律(第1集)の演奏を聴きながら読書して過ごした。

この演奏は大変美しい。

エマールは現代音楽の大家として知られているけれど、このバッハは、少し遅めのテンポで一音一音を大切にしながら、しなやかな音楽になっている。

演奏は自然な呼吸と歌心に満ちていて(グールドのように本当には歌わないけれど)安心してバッハの大きな宇宙に身をゆだねていることが出来る。

それは、例えば、満天の星が瞬く夜の海に浮かびながら空を眺めているかのような、悠久の時間に遊ぶ心地がする。
どの音も耳障りな音がなく、静かでしっとりと落ち着いていて思索的。

ちょうど読んでいた志村ふくみさんエッセイ『一色一生』の中のこんな言葉がふさわしいような演奏だった。

「すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
きこえるものは、きこえないものにさわっている。
感じられるものは感じられないものにさわっている。
おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっている。」

バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻

エマール(ピエール=ロラン)/ユニバーサル ミュージック

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by maru33340 | 2014-09-04 22:01 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)