新・クラシック音楽と本さえあれば

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2014年 10月 29日

ヴィンセントとテオのこと

堀江敏幸の文庫になったばかりのエッセイ集『象が踏んでも』の最初に、ゴッホとその弟テオについて書かれた短いけれど胸に響くエッセイがある。

その中のこんな文章に僕はひかれる。

「彼らのあいだには、いっさいの欲望や打算と無縁な、おおげさに言えば、宿命によって導かれたとしか考えられない絆がある。半分ずつきれいに分かれるような仕方ではなく、たがいちがいに深く食い入って、一方が壊れると片方も壊れてしまう、激しさと脆さをともなった関係。これこそが究極のパートナーの姿と言ってもいいのではあるまいか。」
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by maru33340 | 2014-10-29 21:28 | 未分類 | Trackback | Comments(3)
2014年 10月 26日

クレンペラー再び

クレンペラーによるモーツァルトの交響曲の演奏は、ごつごつとしてテンポ遅く、内にマグマを秘めていて、今にもドンジョバンの亡霊が壁を破って登場しそうな勢いだから、聴き始めると癖になるけれど、聴き過ぎると胃もたれする。

今日久し振りにそのクレンペラーによるモーツァルト交響曲39番を聴いていて、そのズンドンドン、ズンドンドンという床を踏み鳴らすような舞曲のリズムに、もしかするとこれがオーストリアの市井の人々の生活感に近いのかも知れないなどと考えたのは、最近テレビの番組で海外の下町を散策しながら街の人々が路地裏の居酒屋で交わす、少し際どく猥雑なジョークを聞く機会が多くて、そこに本当のヨーロッパの人々の生活があるので、僕が漠然と描いている洗練されて優雅なモーツァルトのイメージは、実は表層的で浅薄なものだったのかも知れないと感じたからだろうか。

クレンペラーを聴くと、学生時代に自らクレンペラーの化身のごとく激しくその指揮の身振りしていた早逝した友人の事を思い出さざるを得ず、その純粋な魂の行方に想いをはせるから、余計に冷静にその演奏を聴けないのかも知れず、その全身全霊をかけた演奏がこちらの浮薄なる身にこたえるのだ。
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by maru33340 | 2014-10-26 12:28 | 未分類 | Trackback | Comments(3)
2014年 10月 19日

NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」は素晴らしい番組だった

今夜のNHKスペシャル「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」は素晴らしい番組だった。
http://www.nhk.or.jp/special/phoenix/

関東大震災、東京大空襲、何度も壊滅的な打撃を受けながら復活をとげてきた東京の姿は、カラーの映像で復元されると臨場感を持って身に迫ってくる。

印象的だったのは、第1に戦後直後までの日本人の笑顔が美しいこと。
どんなに貧しくても日々の生活をたくましく生き抜き工夫を凝らし、楽しもうとする明るい人々の姿はすがすがしい。

第2に深く胸を打たれたのは、戦前の学徒動員の大集会の会場であった神宮外苑の競技場が、1964年の東京オリンピックの開会式の会場であったと改めて知らされたこと。

かつて二度と祖国に戻れぬと知って戦地に赴いた若い人々が悲愴な想いで歩いたその場所を、二十数年後に世界中の若きアスリートが華々しく行進している姿は、カラー映像であるからこそ一層生々しく、時の移り変わりの残酷ささえ感じた。

ナレーションで語られる杉本苑子の「過去は今につながり、今は過去につながっている。そのことが私には恐ろしい。」という言葉は重く胸に残った。

その矛盾のひずみのもたらす痛みを、土地に刻まれた歴史の重みを、かつて国を信じ犠牲になった若い人々の無念を忘れてはならないと思い、しばし言葉を失った。


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by maru33340 | 2014-10-19 23:49 | TV | Trackback | Comments(4)
2014年 10月 19日

原田治の『ぼくの美術帖』を読む

先日、中目黒の「COW BOOKS」を初めて訪問し、その品揃えに共感。

古本屋の棚を眺めながら、「ここは僕の本棚?」と錯覚しそうになれば、そこは度々通うお店になるけど、ここはまさにそんな店だった。

買いたい本は数々あったけれど、イラストレーターの原田治さんの『ぼくの美術帖』を購入。

この本の原著は1982年に発行されている。(僕が入手したのは、2006年にみすず書房の「大人の本棚」シリーズの1冊として刊行されたもの)
しかし、内容は、今から32年前の本とは思えない新鮮な魅力に満ちている。

ちょうど今僕の勤務するアートハウスで展覧会が開催されている小村雪岱についても書かれていて、今でこそ知るひとぞ知る画家であり、おそらく当時は全くのマイナー画家であったであろう雪岱の書籍の装幀の仕事についても詳しく記載されていて、原田氏の雪岱への愛情がひしひしと伝わってるようだ。
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by maru33340 | 2014-10-19 21:11 | 未分類 | Trackback | Comments(6)
2014年 10月 17日

グラスハーモニカと富士山

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出張途中、窓からこの秋最初の冠雪した富士山を眺めながらモーツァルトの晩年の作品である「グラスハーモニカのためのアダージョとロンド」を聴いている。

富士山にはやはり真っ白な雪が良く似合う。

モーツァルト最後の年に作曲されたグラスハーモニカのための音楽はあまりに透明で、まるで遥か空の彼方から降りそそぐ天からの贈り物のように聴こえる。

晩年のモーツァルトの作品には、どこかこの世のしがらみから離れて、自由に飛翔するような響きを感じるけれど、この曲もその一つ。

あまりの美しさに胸がしめつけられるような哀しみさえ覚えるほど。
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by maru33340 | 2014-10-17 09:57 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2014年 10月 14日

名残の風とモーツァルトと

台風は去り、今朝はくっきりとした青空が広がる。

しかし、まだ名残の風が強く吹き木々を揺らす音が聞こえる。

少し早く目が覚めたので、最近友人が聴いているというモーツァルトのピアノ協奏曲22番を聴く。
(ロベール・カザドシュのビアノ、ジョージ・セル指揮で)

2楽章の、霧の中をさ迷うような哀しみがそくそくと胸にせまる。

その音楽が、抜けるような青空を吹きわたる風の音と混じって、少し肌寒い朝にはふさわしいようだ。
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by maru33340 | 2014-10-14 06:52 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2014年 10月 05日

台風の夜、ブロムシュテットのモーツァルトを聴く

今夜の東海地方は台風の暴風域に入り、窓外は激しい風雨に時折雷も混じる大荒れの天気。

窓を激しく叩く風雨の音を聴きながらN響アワーでブロムシュテット指揮によるモーツァルトの交響曲39番を聴いていた。

モーツァルトの後期の交響曲はいずれも傑作揃いだけれど、最近は39番が僕のお気に入り。

「モーツァルトはエモーショナルな作曲家」と語るブロムシュテットは、この優雅な曲に光と影のコントラストをしっかりと付け、時にはっとするほどの深淵を覗き込むような深みを感じさせる。

それはまるでレンブラントの絵画を見ているように、ドラマティックで演劇的なモーツァルトで、この永遠の青年のような風情の87歳の巨匠が、いつのまにか大巨匠と呼べるような域に達していたことを痛感した。

後半のチャイコフスキーの交響曲4番も、少し通俗的かなと思っていたこの曲だったけれど、ブロムシュテットは少し遅めのテンポで一音一音に意味をこめ、一楽章が終わった時には少し震えがくるほどの感動を覚えた。

外の雨風はまだ静まらす、しばらくは眠れそうもない。

演奏の余韻を少し熱めのほうじ茶で収めて、これから『吉田健一』の続きを読もう。





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by maru33340 | 2014-10-05 23:24 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(5)
2014年 10月 04日

評伝『吉田健一』を読み始める

この所あまり体調がかんばしくなく、何を読んでも、何を聴いてもすっきりと心に入ってこず、しばらくblogも書けない日々が続いた。

そうこうしながら、何とかだましだまし毎日を過ごしているうちに、いつの間にか10月になってしまった。

それでも今は毎夜少しずつAmazonで頼んだ長谷川郁夫による評伝『吉田健一』を読んでいる。

1日に数頁読むと眠くなってしまうので、果たしてこの650頁程の大作を年内に読了出来るのやらと危惧するけれど、案外『時間』の著者の評伝を読むにはこんなペースがふさわしいのかも知れない。

今はまだイギリスから帰国したばかりで、吉田健一が吉田健一になる以前の、いささか自己をもて余しながら浴びるように酒を飲み、青山二郎や小林秀雄に「あいつはものにならない」と一刀両断されている20代の健一の日々を追いかけながら、まだ銀座に風情というものが残っていた時代の姿をゆるゆる眺めている。

まだまだ先は長い。
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by maru33340 | 2014-10-04 10:19 | 未分類 | Trackback | Comments(7)