新・クラシック音楽と本さえあれば

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2015年 12月 31日

2015年の音楽と本から

なんだか実感がわかないけれど、今日は大晦日。

今年はあまりblogを書けない年だったから、恒例の2015年の音楽と本を簡単に。

【音楽】

◎ベートーヴェン弦楽四重奏曲全集

今年前半は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を、いろんな演奏で集中的に聴いた。
なかでも一番のお気に入りはズスケ弦楽四重奏団による演奏。
清潔にしてけれんみのない、澄んだ水のように美しいベートーヴェンは、他には例をみないもの。
繰り返し聴いて飽きることがありませんでした。

◎ジャンドロンによるバッハ無伴奏チェロ組曲

なかなか決定版に出会えなかったこの曲でしたが、ジャンドロンの演奏は、どこにも余計な力が入っていない、心にスッーと染み入る名演。
これも繰り返し聴いて楽しみました。

◎バッハ「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「クリスマス・オラトリオ」

この秋以降、ほぼ毎日バッハばかり聴き続けた。
演奏は、リヒターとヘレヴェッヘを中心に。
その日、その時の気分で選択し、朝も夜も、自宅でも移動中もバッハの宗教曲を聴き続けた。

月日を経るにつれて、ロマン派の音楽が聴けなくなり、古い音楽が身に染みるようで、ベートーヴェン・モーツァルト・バッハがあれば、もう大丈夫かもという気もしています。

【本】

◎宮部みゆき『ソロモンの偽証』

2014年年末から今年の初めまで、全六冊を息を飲むようにして、寝る間も惜しんで読み続けた。
物語の世界にあんなにのめり込んだのは久しぶりの経験でした。

◎西川美和『永い言い訳』

数々の映画でその手腕を発揮する西川美和は、小説でも驚くべき才能を見せた。
エッセイ『映画にまつわるXについて』も楽しめました。

◎山田太一『S先生の言葉』

山田太一のペシミズムには、いつ読んでも共感してしまう。
うわべだけの正義やありきたりの言葉は、この人には通用しない。
これからもそのエッセイを読み続けるだろう。

それでは皆さま良いお年を!

来年もよろしくお願いいたします。
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by maru33340 | 2015-12-31 19:59 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2015年 12月 30日

まだクリスマス・オラトリオを聴いても良いから

もともとクリスマス・オラトリオは、12月25日から翌年1月6日にかけて1日ずつ演奏されたらしいから、まだまだ聴いていても良いわけで、今も移動中や部屋で聴き続け、飽きることがない。

クリスマスと言うと日本ではお祭り騒ぎのイメージが強いけれど、ヨーロッパのクリスマスは違うと吉田英和さんが書いている。

「(ヨーロッパの)北国にいると、クリスマスというものの逆説的なありかたとおもしろ味というか、およそキリスト教という宗教に充満している逆説が痛切に響いてくる。世界に希望と光をもたらす人が生まれるのは、夜が長くそうして寒さが厳しい時間、つまり生命にとって一番苦しく暗い時刻であり、その人は万能の救い主であるのに、このうえなくかよわく、なんの防衛力もない赤子として、このうえなく貧しいところで生まれる。光は闇から、そうして力は無力から生じてくる。」

この言葉を読んで、最近バッハの受難曲を聴きながらイエスという人とその物語のまわりをぐるぐると徘徊していた僕は、ほんの少しだけ、その人に近づいたような気がした。
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by maru33340 | 2015-12-30 22:24 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
2015年 12月 28日

日々是バッハ三昧

今年も残りわずかになってきたけれど、思い返すと今年程バッハの宗教曲ばかり聴いた年はなかった。

特に9月以降、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ曲、クリスマス・オラトリオと、ほとんどバッハ三昧と言っても過言ではない日々。

朝も夜も、休日はほぼ終日、出張での新幹線の往復、最近は通勤での車の中でもクリスマス・オラトリオを聴いているから、起きている時間のほとんどバッハを聴いていることになる。

昨夜もリヒターによるマタイの冒頭だけ聴きかえそうと思い聴き始めたら、ついつい引き込まれてしまい、最後までほぼ三時間聴き通してしまった。

僕の中の何かがバッハの音楽を欲しているのだ。
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by maru33340 | 2015-12-28 06:31 | お勧めの本 | Trackback | Comments(5)
2015年 12月 27日

マーラー、バッハと出会う(2)

マーラーの交響曲五番のコラール風終楽章に対して、アルマ・マーラーが「聖歌風で退屈」と感想を述べた時、マーラーは「ブルックナーも同じことをやっている」と反論したらしい。
それに対して、アルマは、また「あなたはブルックナーとは違うわ」と言い返したそうだけれど、どうもここはアルマの方が正解のようだ。

どう聴いてもその終楽章は、もとからある木に、違う木を挿したしたような違和感が否めないから。

アルマによれば、その頃マーラーはカトリックに改宗し、その神秘性に過剰に傾倒していたそうな。

なるほど、交響曲五番のフィナーレの人生を肯定するかのような明るいコラールに、どうも無理があると感じる背景には、マーラーのカトリックへの改宗と(どこかに無理がある)傾倒が潜んでいそうな気配が濃厚になってきた。
(交響曲七番の最終楽章の唐突感もそう)

バッハやブルックナーは、紛れもなく生まれながらにして深い信仰を持ち、一生それを持ち続け音楽で自らの信仰を表現したけれど、マーラーのカトリック信仰には、どこかにユダヤ教からの改宗(強いられたとまでは言わないけれど)に伴うねじれのようなものを感じてしまうのだ。
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by maru33340 | 2015-12-27 07:17 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2015年 12月 25日

マーラー、バッハと出会う

バッハのクリスマス・オラトリオの冒頭のトランペットとティンパニーの響きを聴きながら「これはなんだかマーラーの交響曲七番の最終楽章に似ているなあ」と感じた。

単なる空耳かとも思っだけど、少し調べていて、マーラーがこの交響曲を作曲していた頃、バッハの管弦楽組曲を編曲していた事を知り、「これはもしかして」と思った。

そして、バッハがクリスマス・オラトリオの終曲に例のマタイ受難曲のコラールを、明るく軽快な音楽に編曲しているのを聴き「マーラーが交響曲五番の終楽章で、直前のアダージェットの旋律を妙に軽快な音楽に編曲しているのも、ここからヒントを得ているのかも」と思った。

だがしかし、残念ながら、マーラーの試みはいずれも成功しているとは言い難く、唐突感が否めない。

何故なのか?

(以上、書きかけ)
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by maru33340 | 2015-12-25 21:14 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)
2015年 12月 19日

クリスマス・オラトリオに響くこだま

クリスマス・オラトリオを聴いていて、とても清明な心地になるのは、第四部第四曲のいわゆる「こだまのアリア」。

二人のソプラノの掛け合いが夢のように美しい…と書きながら、「はて、このことは何処かで読んだような」と思っていたら、友人が今年の猛暑の最中に同じアリアの美しさについて書いていたのを思い出した。

その頃のblogを読み返していたら、あまりの暑さにやられて体調も優れず、ほとんどblogの更新もしていない時期だったので、すっかりその事を忘れていたよう。

今の時期にクリスマス・オラトリオを聴くのはどんぴしゃだけど、確かにあの猛暑の盛りにこの曲を聴くのは、良い避暑の方法だったろうなあ。
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by maru33340 | 2015-12-19 06:21 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2015年 12月 16日

グレン・グールドにライナスを重ねる

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吉田秀和さんの『私の好きな曲』の中の「バッハ/ロ短調ミサ曲」の章を読み返していて、バッハの「平均律」や「インベンション」について「全く孤独な音楽」と語っているのを再発見した。

ここで言う「孤独」というのはロマン派的な意味での孤独ではなく「弾き手であるたった一人の人間があり、聴き手は彼一人であるような音楽」という意味である。

なるほどと思い、朝起きてグレン・グールドによる「インベンション」を聴いていて、「確かにここではグールドは、まるで自分自身のためだけにピアノに向かっているなあ」と改めて実感した。

まるで無心に子どものようにピアノと戯れ歌うグールドの姿を想像しながら、ふいに漫画チャーリー・ブラウンに出てくるライナスのことを思い出した。

ライナスはいつも愛用の毛布をどこに行くときも手放さなかったけれど、グールドもまた彼が愛用していた椅子(わざわざ足を短く切ったとても低い椅子)をどこに行くときも持ち歩いていた。

この二人には「天才性と幼児性の共存」という共通点があるのかも知れないなあ。
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by maru33340 | 2015-12-16 08:24 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
2015年 12月 15日

初めて聴くクリスマス・オラトリオ

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気になっていながら聴いたことはなかったバッハのクリスマス・オラトリオを聴きはじめた。

祝祭的な喜びに満ちた冒頭の曲の軽やかなティンパニの連打を聴いていると、信仰とは関わらず少し浮き浮きした気持ちになるのは、年の瀬のもたらす魔法だろうか。

演奏は最近気に入っているヘレヴェッヘ指揮で。

この人の演奏は、力みがなく、自然な音楽の流れが美しくとても気持ちが良い。

たとえこの世は浮かれている場合ではないくらい愁いに満ちていても、少なくともこの音楽を聴いている時間は美しく敬虔な感情に身をまかせることができるのだ。
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by maru33340 | 2015-12-15 21:38 | お勧めの本 | Trackback | Comments(7)
2015年 12月 13日

バックハウスのバッハは

バックハウスというピアニストには「鍵盤の獅子王」などという大袈裟なキャッチフレーズがつきまとっているので、なんとなく敬して遠ざける所があったし、そのベートーヴェンの演奏も、インテンポで少し前のめり気味で、なんだか落ち着かないようであまり好きな演奏ではなかった。

でもハイドンの演奏では、そのそっけないような感じが悪くないとは思っていた。

昨日バックハウスの弾くバッハのCDを持っていることを思い出し聴いてみたら、やはり少しせかせかした感じで、あまり愛想のないような演奏ではあるけれど、なかなか味わいのある演奏であることに気づいた。

ケンプのように慈しみに満ちた演奏ではないし、アンジェラ・ヒューイットのように美しい音に魅了されるわけでもないけど、聴くほどにその味わいに気づかされる演奏という印象。

愛想はないけど、近くにいるとその魅力に次第に気がつく頑固な親方とでも言いたいそのバッハ、なかなか良いです。
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by maru33340 | 2015-12-13 08:47 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2015年 12月 09日

ショルティによる「マタイ受難曲」

ショルティという指揮者は我が国では、あまり高い評価を受けていないよう。

かくいう僕も彼の指揮する「魔笛」と「指輪」の一部しか聴いたことはない。
(どちらもダイナミックでメリハリのきいた名演だけど)

どうもショルティという人は強面のイメージがあり、あまり繊細な感じがしないのはやはり偏見だったと、彼の指揮する「マタイ受難曲」を聴いて改めて思った。

これはモダン楽器によるマタイとしては、クレンペラーやヨッフムにも並ぶ名演ではないか。

シカゴ交響楽団とその合唱は大規模であるメリットを生かして、この曲の光と影のコントラストをくっきり際立たせ見事だし、ラスト近くにイエスが「エリ、エリ、ラマ、アザブタニ!」と語る前の神秘的な静けさもとても良い。

全体的にもたつくこともなく、情感にも欠けていない。

これからも折に触れて聴き返すだろうマタイの名演がまた一つ増えたのは嬉しい限り。
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by maru33340 | 2015-12-09 05:50 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)