新・クラシック音楽と本さえあれば

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2016年 05月 11日

『薔薇の沈黙』(辻邦生)を読む

昔のブログを何気なく読み返していて、こんな記事を見つけた。
9年前(2007年7月29日)の記事。
この頃は金沢にいた。
今はあまり長い文章が書けないけれど、当時のブログを読み返すとわりに長い文章を書いている。
少し反省。

(以下、自戒の意味で再掲載します)

基本的に飛行機が好きではない。
あの着陸するときに気圧で耳が痛くなる感じにどうしても慣れないから。
しかし、仕事で東京に出張する時はやむを得ず飛行機に乗る。

飛行機の中では(時間が短いこともあり、またどうも緊張してしまい気分が乗らず)本を読むことはしていなかった。
とはいえ何度か続けて飛行機に乗る羽目になり、幾分慣れてきたので、先日、東京から小松空港に向かう飛行機の中で堀江敏幸さんの『バン・マリーへの手紙』を読んでいたら、リルケの『マルテの手記』からの次のような引用に引き込まれた。


一行の詩をつくるのには、さまざまな町を、人を、物をみていなくてはならない。動物の心を知り、鳥の飛ぶさまを感じ、小さな花が朝に開く姿をきわめなくてはならない。知らない土地の路地、思いがけない邂逅、虫が知らせた別離、-まだ明らかにされていない幼年時代のころ、そして両親のことを。(中略)また、臨終の者の枕辺にも座したことがなくてはならない。窓をあけはなち、つき出すような嗚咽の聞こえる部屋で死者のそばに座した経験がなくてはならない。
しかし、思い出を持つだけでは十分ではない。思い出が多くなったら、それを忘れることができなければならない。再び思い出がよみがえるまで気長に静かに待つ辛抱がなくてはならない。思い出だけでは十分ではないからである。思い出が僕たちのなかで、血となり、眼差しとなり、表情となり、名前を失い、僕たちと区別がなくなったときに、恵まれたまれな瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出の中に燦然と現れ浮かび上がるのである。

この文章は僕にはとても気に入りました。
読み通したことがない『マルテの手記』を読みたいと思い、リルケについて少し調べようと、辻邦生さんの『薔薇の沈黙』を取り寄せ、昨日・今日で一気に読了。
これは、(まだまだ理解できてないこともたくさんあるけれど)とても美しい本でした。

辻夫人の後書きによれば、これは辻邦生の逝去によって未完に終わった彼の最後の本であるとのこと。
そして辻邦生の逝去した日付を知り、その偶然にとても驚きました。

辻邦夫は1999年7月29日に逝去し、今日はその命日でした・・・

薔薇の沈黙―リルケ論の試み
辻 邦生 / / 筑摩書房
ISBN : 4480838023
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# by maru33340 | 2016-05-11 22:29 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2016年 05月 08日

マーラーの豊饒な世界を堪能する

今年のGWは、5月3日から5日まで仕事をしたので、昨日今日は完全休養。

クラウス・テンシュテット指揮によるマーラー交響曲全集と、当代のマーラー指揮者29名へのインタビュー『マーラーを語る』を入手したので、2日間マーラー三昧で過ごす。

テンシュテットによるマーラーはあまり聴いてこなかったけれど、どの演奏も新鮮に聴こえる。
感情過多ではないけれど、時折ふいにテンポを落とす所に味わいがある。
(2日間で7番まで聴いたけれど、ここまでのベストは6番の交響曲。推進力と抒情のバランスがとても良い。)

『マーラーを語る』は読了。
とても興味深かった。

インタビュアーが意図的に同じ質問をそれぞれの指揮者に問いかける。
例えば
「初めてマーラーを聴いたのはいつ?」
「マーラーの音楽は耳で聴く伝記なのか?」
「マーラーを感情的に演奏することの危険性は?」
等々。

巧みなインタビュアーは、時にわざと指揮者に突っかかっていき、その本音を引き出す。
同じ質問に対しても、当然指揮者によって答えは違うから、読みながらそれぞれの指揮者と対話しているような気になる。

僕が一番面白かったのは、エッシェンバッハによるもの。

例えば、
「マーラーでは特別なサウンドが求められますか?」という問いに対するエッシェンバッハの答えは、
「マーラーの場合、音の振幅が広大で、ffから突如親密なるppに変化します。その猛烈な振幅に取り組まなければならない。ppを求められる場所でmpは許されない。」

マーラーの柔軟なテンポについてはこんな風に語っている。
「柔軟なテンポというのは、息をする、話をするのと同じです。我々はメトロノームのように話をしないし、機械のように息もしないし考えない。ブレスなしで歌うこともない。フレーズの周りに余白があるから、テンポが自在になる。」

「マーラーが、二十世紀の破滅的な大惨事(ホロコースト)を予感していたという話に同意しますか
?」という問いには、
「第六番のフィナーレなどは破滅の楽章です。戦争はいくつもあったが、それまでとは全く違う第一次世界大戦という影。第一次世界大戦は、恐怖を伴う初めての近代戦争。マーラーは六番で、まさしくその感覚を捉えています。」
(この問いには、それこそ各指揮者が全く異なる見解を語っていて興味が尽きない。)

もうしばらくマーラーの世界を追いかけていくことになりそうです。
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# by maru33340 | 2016-05-08 19:59 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2016年 04月 25日

30年前の春のことなど

今から30年前1986年の4月白昼、一人のアイドル歌手が彼女が所属するオフィスのビルから飛び降り自殺をした。

18歳だった。

僕はその頃入社4年目。
そのビルの斜め前にあるお店を担当していて、営業で四谷方面を回っている時にそのニュースを車の中のラジオで聞いた。

そのアイドル歌手の後を追うように多くの若者がそのビルから飛び降り、一時は社会問題にまでなったけれど、その後その事件のことを思い出すことはなかった。

ところが今日読んでいた2冊の本で、本当に偶然にその歌手のことを読んだ。

1冊は小泉今日子の新しいエッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』。

小泉今日子というひとはその書評集を読んで、実に頭の良い、素晴らしい文章を書く人という印象を持っていたけれどこのエッセイもとても良く、アイドルとして時代のスポットを浴びながらも時折よぎる自身の寂寥感をきれいに掬い取っていて胸を打たれる。

このエッセイ集の中で彼女は、自分より2年後輩のそのアイドル歌手のことをこんな風に書いている。(名前は書いていないけれど、あの時代を生きた人間には誰でもそうわかる)

「とても内気で、仕事じゃないときは牛乳瓶の底のように分厚い眼鏡をかけていて、時々ものすごく楽しそうに満面の笑みで話しかけてくれる、やわらかくふわふわした優しい女の子だった」と。

そして今日読んでいたもう1冊の本、北村薫著『うた合わせ 北村薫の百人一首』の中でも、まさかの偶然でそのアイドル歌手のことを歌った短歌に出会った。

「散華とはついにかえらぬあの春の岡田有希子のことなのだろう   藤原隆一郎」

この短歌を読んだ時に、そのあまりの偶然の符合に少し背筋にひんやりとしたものが走った。
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# by maru33340 | 2016-04-25 22:40 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)
2016年 04月 20日

心の中に降る雨、リヒテルの平均律のことなど

熊本・大分の地震発生から1週間が経つけれど、未だに揺れが収まらない。

現地の状況を知る度に胸が塞がる思いになり、5年前の東北での震災の記憶とも重なり、鬱々とした毎日を過ごす中で、唯一の慰めはやはりバッハの音楽以外にはない。

今は受難曲を聴くのも辛く、鍵盤曲に手が伸びる。

久しぶりに聴いたリヒテルによる平均律は、残響の多い録音のせいもあり、まるで夢の中にいるような気持ちになる。

夢の中で僕は人の気配のない聖堂にひとりでたたずんでいる。
やがて屋外で静かに雨が降り始め、その音をぼんやりと聴いているといつの間にか雨は心の中に降っている。
それはたくさんの人の涙かも知れない。
けれどその雨は慈雨のように心を満たし落ち着きを与えてくれるように響く…

聴くことは祈ること。
それは現実にはまったく無力な行為かも知れないけれど、今の僕にはただ祈ることしか出来ないようだ…
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# by maru33340 | 2016-04-20 06:44 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2016年 04月 17日

ただバッハだけが

5年前の春、東北での地震の後、音楽を聴くことも本を読むことも出来なくなった。

そしてしばらくしてようやく聴くことが出来るようになった音楽がバッハだった。

特にそれまであまり聴いていなかったバッハの受難曲が、あの震災以降渇いた砂に染み込む清らかな真水のように僕の胸に自然に染み込むようになった。

以来今日にいたるまで最もよく聴くのは「マタイ受難曲」になったけれど、今回の熊本・大分での震災後も、何とか日常生活をこなしながら聴くことが出来るのはその曲だけだ。

最近入手したベーム指揮フリッツ・ヴンダーリッヒ福音史家のマタイは、古いラジオから聴こえてくるようなくぐもったモノラル音でそれは今の気分にふさわしいけれど、やはりもう少し鮮明な音で聴きたくなりグスタフ・レオンハルト指揮によるマタイを聴きはじめた。

リヒターによる峻厳と古楽器による軽やかさの間にあって絶妙な(奇跡的な)バランスを持っているこの演奏は、僕には全てのマタイの基準になっていて、ともすれば沈みがちな気持ちを整えてくれるよう。
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# by maru33340 | 2016-04-17 21:43 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2016年 04月 16日

心塞がる思いに

あの東北の地震から5年目の春。
その痛みも消えないのに熊本でまた大きな地震が起きた。
どちらも原発を抱えて…
明日から高松出張の予定だったけれど、地震の範囲も広がっており、中四国地方の天気も大きく荒れる予報のため延期となった。
これは果たして天災なのか。
もはや人災ではないのか…
無力感にさいなまれ、いたたまれない気持ちになる。
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# by maru33340 | 2016-04-16 22:56 | 未分類 | Trackback | Comments(2)
2016年 04月 05日

古楽の憂愁、散る花びら

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朝起きて窓を開け部屋の空気を入れ替えNHKFMの「古楽のたのしみ」を聴く。

イタリアルネサンス時代の雅やかでいて淡い憂愁をおびた音楽は、桜の花びらが雨風のため散りはじめ道々を白く彩るこの季節にふさわしいよう。
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# by maru33340 | 2016-04-05 06:30 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2016年 04月 03日

曇り空の下の桜並木

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昨日は休みだったけれど、職場近辺の並木の桜が満開になったのでカメラを持って撮影に出かけた。

この道は私道だから一般の人は通れないので、桜並木の下を一人歩く贅沢を心ゆくまで堪能できる。

今の職場に来てから四度目の春を迎えるけれど、年々桜を眺める時に感じる哀惜の想いは深まるばかり。

今開催中の展覧会は今日で終わるので、行く春を惜しみ、昨日今日の二日間限定で展示室に桜の一輪挿しを飾った。
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# by maru33340 | 2016-04-03 06:53 | 未分類 | Trackback | Comments(3)
2016年 04月 01日

春になるとその詩を思いだす

今日から四月。
春になるといつも少し古風で愁いをおびた三好達治のこの詩のことを思い出す。
今年は京都奈良を散策したばかりだからなおさらに。

甃(いし)のうへ

三好 達治

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂廂(ひさしひさし)に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ

『測量船』1930年(昭和5)
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# by maru33340 | 2016-04-01 06:56 | 未分類 | Trackback | Comments(4)
2016年 03月 31日

桜のたより聞こえる朝は

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各地から桜のたよりが聞こえてくるこの季節に毎年のことながら心騒ぐのは僕が四月生まれだからだけではなくてこの花の持つ華やかで妖しくそれでいてはかない魅力のせいかも知れない。

ソメイヨシノの白に近い薄いピンク色は若い頃には物足りないような気がしたけれど歳を重ねるにつれてその淡々とした色合いにひかれるようになってきた。

花見酒という風習から遠ざかって久しくひとり花の下でゆるゆると朝の青い空にうかびあがるその花びらを眺めるのが良い。
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# by maru33340 | 2016-03-31 08:42 | 未分類 | Trackback | Comments(4)