2010年 11月 11日
ゴッホの「蟹」
天候不順の朝一番で出かけたせいか、思ったより人出が少なくゆっくり見る事が出来た。
僕は展覧会を見る時は、まず足速に最後まで眺めて、これはジックリ見ようという絵の場所を確認してから、最初に戻るという見方をしているけれど、今回は一枚の絵に引き付けられてしばらく動けなかった。
それは深い緑色を背景に、逆さまにされた蟹が左側に配置された絵だった。
僕は、今までゴッホの画集などでも見たことのない絵だ。
ハイデッガーはゴッホの「靴」の絵に「実存」を見たらしいが、この「蟹」の絵もまた「実存」そのものだ。
リアルなんてものじゃない、ただもう「蟹がそこにある」という迫力に圧倒されてしまう。
背景の深い緑色もまたじっと見ていると、心の奥底がざわざわとうごめくような怪しさがある。
今回の「ゴッホ展」には他にも見るべき絵は数多いけれど、僕にはもう「蟹」の絵だけで十分堪能出来、足速に帰宅したが、家でぼんやり椅子に座っている時も脳裏にあの緑色に包まれた「蟹」の姿が何度も蘇ってきたのだった。
いま開催されているゴッホ展で、友人は、蟹が裏返しになった絵に感銘したと言っていた。後ろ向きざまに種をまく人や屈んだ姿や、ねじった体位の美しさに魅せられた画家からすれば、蟹に内在する本質は、まさにその裏側にあるグロテスクさと複雑さにある、と見抜いたのだろうか。その裏に息を殺しながら内在する秘密や企み。潜む陰謀のようにねじれた心と生きざま。 自分の生きる意味を求めながら20歳台の半ばに画家をこころざし、ミレーの一連の「種まく人」を見習いながら、来る日も来る日も写実を練習した。印象派からのエネルギーも...... more
私は彼の無名時代の習作が気にいりました。