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神の顕現ということ

昨日、東京都現代美術館まで田窪恭治展を見に出かけた。

田窪が手がけた礼拝堂を映した映像がバッハの無伴奏チェロ組曲とともに映され、その音楽があまりに礼拝堂にふさわしく、しばらくその映像の前から動くことが出来なかった。

四季折々の礼拝堂は、春には春の華やぎを見せ、夏の輝きや秋の豊穣を経て、そして冬の雪景色に佇む。

バッハの音楽は季節季節の風景に寄り添いながら、声高に自己を語ることなく、自然の気高さを讃えるようだ。

確かにバッハを聴いているこの瞬間、神というものは我々のすぐ傍にいると感じるのだ。
Commented by naou7 at 2011-05-05 21:15
私も先月行って来ました。
本物を是非とも見たいです!
彼の習作も素晴らしかったですよね。
Commented by k_hankichi at 2011-05-05 21:53
礼拝堂というものの創造。そこにはあらゆる崇高なる精神と透徹な心、そして悔い改め清めていこうとする気持ちの昇華が求められるように思います。バッハは、おなじような気持ちと祈りをもとに音楽を作り出しているから、そこに共鳴するものがあるのだと思います。
Commented by maru33340 at 2011-05-05 22:21
naoさん
林檎のデッサンや礼拝堂の模型も良かったですね。
Commented by maru33340 at 2011-05-05 22:25
はんきちはん
祈りというものを形にすると、かの礼拝堂になり、それを音楽にすればバッハになる…
人が祈る時ほど裸形の美しさに満たされる時はありますまい。
by maru33340 | 2011-05-05 13:39 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

音楽・本・映画などについての私的な感想


by maru33340
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