2011年 11月 21日
般若心経とゴルトベルク変奏曲
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」
(形あるものは全て空 空は色に異ならない あらゆる現象は空であり 空はすなわち色である)
形あるものだけでなく、人の感覚や知覚、意志、意識、認識を含めた全ての顕れなど、一切の現象にも実体はなく、縁起によって生じ、また消えていく…
この有名な箇所を読みながら、僕は突然バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の事を考えていた。
最初に現れたテーマが、様々な形に変奏される。
それはフーガとして、テーマを追いかけ、つながり、変化し消えていく。
その音たちは、常に変化の中にあり、留まる事はない。
そして聴くものに、確かな感銘を与えながら、その正体をつかむことは出来ない。
その秩序と、それでいて一瞬たりとも、留まることない変化の姿は確かに美しいけれど、美しさそのものを、これと指差す事は出来ない。
ゴルトベルクの30変奏曲は、農民の素朴な踊りのような喜悦に満たされるけれど、この箇所は「般若心経」の最後に
「ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
はらそうぎゃてい
ぼじそわか」
と、悦びに満ちた真言が唱えられる箇所の、舞曲のような印象に とても近いのだ。
いやはや、とても思想とは呼べぬ妄想かも知れませぬ。
無私、無我、無常…最近益々「無」の世界に惹かれますな。