2014年 04月 30日
雨そして村上春樹の新刊のこと
昨夜聞こえた蛙の鳴き声も今夜は聞こえず、ただ風の鳴る音だけが聞こえている。
昨日から聴き始めたシューベルトの即興曲は、今夜も濡れた地面に染み入るようだ。
一昨日から読み始めた村上春樹の新しい短編集『女のいない男たち』を昨晩読了し、胸の底がシンとするような気持になった。
初めて村上春樹の小説を読んだのは、30年以上前のこと。
新入社員として独身寮に住んでいた僕が風邪で会社を休んでいた時に同期の友人が「軽く読めるから」と貸してくれたのが彼の『風の歌を聴け』だった。
いままで読んだことのない新鮮な文体に驚き、それ以来彼の小説を読んできた。
以来、次第に社会現象になるほどその小説が売れるのをテレビで見たりして、何度か「もう村上春樹はいいかな」と思い遠ざかった時期もあったけれど、結局おそらく彼のほとんどの小説を読んできた。
『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』、『ねじまき鳥クロニクル』そして『1Q84』・・・話題になるのはやはり長編小説だけど、僕が個人的に最も好きな小説は『中国行きのスロウ・ボート』という短編集。
なかでも「午後の最後の芝生」という短編に流れる空気が好きで、おそらく何度か失くしては再び買い直したほど。
今回村上春樹にとって9年ぶりとなる連作短編集には、少し期待をしていた。
しかし、その期待とはこの短編集は大きく遠い所にあった。
期待外れという意味ではなく、いつのまにか村上春樹という作家は、僕が全く思ってもいなかった世界に歩いていってしまったということだ。
正直言って、ここに収められた6つの短編集はとても不揃いで、完成度もまちまちで、おそらくこれから多くの批評家が「失敗作」と断じるのではないかと思う。
そうかも知れない。
しかし、この短編集には今までの彼の作品にないある力がある。
それは例えてみればシューベルトの音楽が持つ、人を闇に引き込むデモーニッシュな力に近いような気がする。
特に「木野」という短編には、一気に人を深い闇に連れて行くようなただごとならぬ力がある。
それは、主人公の木野が泊まるホテルのドアを何ものかが、夜中に執拗にノックし続けるのを聞く場面での次のような文章にも現れている。
「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の心を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。」
この短編集にはこうした「痛切な感情」や「痛み」が随所に、古い傷が裂けてそこから血がにじむようにある。
それは決して居心地良いものではない。
しかしまた、決して目を背けてはならない大切な何かであるに違いない。
雨はまだ降り続いているようだ。
早や今夕刊(東京)にも‘大波小波’の欄に少し皮肉っぽく載っていました。
おようさん
おそらくこの短編集はこれから数多くの批評で失敗作と叩かれると思います。
僕もいくつかの作品には首をかしげます。
しかし、ここには、未知の暗闇に踏み出して迷い失敗する人の勇気がある、と思います。