2014年 10月 26日
クレンペラー再び
今日久し振りにそのクレンペラーによるモーツァルト交響曲39番を聴いていて、そのズンドンドン、ズンドンドンという床を踏み鳴らすような舞曲のリズムに、もしかするとこれがオーストリアの市井の人々の生活感に近いのかも知れないなどと考えたのは、最近テレビの番組で海外の下町を散策しながら街の人々が路地裏の居酒屋で交わす、少し際どく猥雑なジョークを聞く機会が多くて、そこに本当のヨーロッパの人々の生活があるので、僕が漠然と描いている洗練されて優雅なモーツァルトのイメージは、実は表層的で浅薄なものだったのかも知れないと感じたからだろうか。
クレンペラーを聴くと、学生時代に自らクレンペラーの化身のごとく激しくその指揮の身振りしていた早逝した友人の事を思い出さざるを得ず、その純粋な魂の行方に想いをはせるから、余計に冷静にその演奏を聴けないのかも知れず、その全身全霊をかけた演奏がこちらの浮薄なる身にこたえるのだ。
私生活の波瀾万丈さも相まって、人間味のある懐の深さを感じるのかな。
だからそれを聴いていても大丈夫ですよ、きっと。僕らも。
クレンペラーさまは大変な方ですねー!モーツアルトも純粋で大変な方、あー、芸術は人間を混乱に貶める…のかいなか・・・。