2015年 12月 16日
グレン・グールドにライナスを重ねる
吉田秀和さんの『私の好きな曲』の中の「バッハ/ロ短調ミサ曲」の章を読み返していて、バッハの「平均律」や「インベンション」について「全く孤独な音楽」と語っているのを再発見した。
ここで言う「孤独」というのはロマン派的な意味での孤独ではなく「弾き手であるたった一人の人間があり、聴き手は彼一人であるような音楽」という意味である。
なるほどと思い、朝起きてグレン・グールドによる「インベンション」を聴いていて、「確かにここではグールドは、まるで自分自身のためだけにピアノに向かっているなあ」と改めて実感した。
まるで無心に子どものようにピアノと戯れ歌うグールドの姿を想像しながら、ふいに漫画チャーリー・ブラウンに出てくるライナスのことを思い出した。
ライナスはいつも愛用の毛布をどこに行くときも手放さなかったけれど、グールドもまた彼が愛用していた椅子(わざわざ足を短く切ったとても低い椅子)をどこに行くときも持ち歩いていた。
この二人には「天才性と幼児性の共存」という共通点があるのかも知れないなあ。