2016年 01月 21日
丸山健二の文章
「日本経済新聞」に連載中の丸山健二のコラム「生きる命 十選」は毎回その硬質で息の長い文章に圧倒されながらも、はたしてこれは美術評論としてはいかがなものか、と当惑しながら読んでいる。
しかし、今日の熊谷守一「蒲公英(たんぽぽ)に母子草」について書かれた文章の後半には心打たれるものがあった。
「そしていつしか、時の力でうがたれた魂の空洞に怯え、おのれもまた消散してゆく存在のひとつにすぎないことを悟るのだが、しかし、ある日、ふと足もとに落とした目がありふれた草花を捉えた刹那、終日のらくらして過ごしながら老いの道行きに耐える余生が別に悲しいことではないとわかり、さらには、低劣で卑しい結末を迎えつつあるのでもないと理会され、結局のところ、単純で、地味なものにこそ、あらゆる疑問から救ってくれる答えが隠され、それに過ぎたるものはないことを知り、長寿と息災を素直に享受できる、悠然たる生き方に到達する。」
ここには、いつになく素直な丸山健二の述懐が披露されていると同時に、良質の熊谷守一評になっていて、少し安心するのだ。
丸山健二にはご無沙汰してましたが健在でした!