2016年 03月 11日
五年目の春に
あの震災の後しばらくは(多くの人がそうであったように)本も読めず、音楽も聴くことも出来なくなり、茫然とした気持ちのまま日々を過ごした。
それでも三月の終わりには、何事もなかったかのように桜が咲きほこるのを、あの年ばかりは、美しいというよりひどく残酷なことのように感じながら、まるで遠い夢の中の出来事を見るように眺めた。
そんな日々の中でようやく聴くことが出来るようになった音楽はバッハだった。
深い哀しみの淵から、微かに射し込む光のようにその音楽は心に沁みて、その時初めて「マタイ受難曲」が最愛の音楽になったような気がした。
あの年の春「マタイ受難曲」で、イエスが十字架の上で叫ぶ「エリ、エリ、ラマ、アサブタニ!」(わが神、わが神、なんぞ我を見捨てたまいし)という言葉が、イエス個人の叫びではなく、すべての生きとし生けるものの身代わりとしての叫びであると忽然と気づいた時から、この曲は僕にはなにものにも変えがたい音楽になったのだ。
僕の場合は、もう少し経てから、やはりマタイ受難曲が最も大切な音楽になっていきました。今朝はカール・リヒター指揮による、たっぷりとした演奏に聴き入っています。
ご自愛くださいませ。