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やはり野に置け蓮華草

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昨日、京都への旅の最終日の午前中、京都国立近代美術館で河井寛次郎の作品を見ながら、河井寛次郎記念館で見た時にはとても好ましく思えた寛次郎の作品が美術館ではどこか寒々しく見えて、それは何故だったのだろうと京都からの帰りの新幹線の中であれこれと想いを巡らせた。

一つには照明の問題があると思う。

これは東京国立近代美術館で安田靫彦の日本画を見た時にも感じたのだけれど、LED照明にさらされた安田作品は、隅々までくっきりと見えるけれど、どこら寒々しく思えてしまった。

安田靫彦がどのような環境で作品を描き、どんな場所で作品を見てもらいたいと思っていたかはわからないからこれは想像で言うしかないけれど、おそらく少し翳りのある日本家屋の部屋で見る時に一番美しく
映るように描いたのではと思う。

同じように、河井寛次郎記念館はそこで実際に寛次郎が作品を作り暮らし眺めた場所だから、そこで寛次郎自身が見て美しいと思っていたはずで、やはり美術館のLED照明の下ではどこか白々しく、見ていて違和感を感じてしまったのかも知れない。

もう一つの理由は作品の数だろうか。

昨日、寛次郎の初期から晩年の作品まで数多くの作品が並んでいるのを見ながら「人が一度に見続けて美しいと感じることが出来る作品数には限度があるのかも知れない」と感じた。
どんなに美味しい食べ物でも食べ続ければいつかは嫌になってしまうように、人の視力や聴力にも一度に許容出来る限度というものがあって、それを超えてしまえばいつかは(どんなに素晴らしい作品であろうとも)見ることや聴くことが苦痛になってしまうのかも知れない。

もちろん作品は作られた場所でしか美しく映らないということではないけれど(そんなことを言ったら美術館で作品を見ることは出来ないから)、少なくとも作品毎に見るのにふさわしい環境や数というものがあるのかも知れない、などと思う朝です。
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Commented by k_hankichi at 2019-05-06 06:49
おいしいたべものでも、余りあるほどだと飽いてしまうように、素晴らしい作品も両手に余るほどだと心に入ってくるものが少なくなるように思います。少しを楽しむ。ですね。
Commented by maru33340 at 2019-05-06 08:37
で、あるよね。
お腹にも目にも耳にも心にも、許容範囲というものがあるのだなあ、と改めて感じました。
Commented by saheizi-inokori at 2019-05-06 09:04
数少ない洋行、オランダでレンブラントの「夜警」だけをあてがわれた一時間に費やしたことを思い出しました。
仏像展がいまひとつなのはそういうことなのでしょうね。
Commented by maru33340 at 2019-05-06 21:25
はい、照明は展示にはとても大切なんですが、そこにはなかなか複雑な事情もあったりします(^^;
Commented by Oyo- at 2019-05-11 19:34 x
タイトルがいいですねー!私もレンゲは食卓で(*^_^*)
Commented by maru33340 at 2019-05-12 05:52
ですねえ!
by maru33340 | 2019-05-06 06:34 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)

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