2008年 01月 31日
シューベルト ピアノソナタ21番
シューベルトという作曲家は僕には少し苦手(というより少し恐い)作曲家。
まだ小学生くらいの頃に、音楽の授業で彼の「魔王」という歌曲を聴いて、心底恐ろしく、特にあの冒頭の「ゴロゴロゴロゴロ」というピアノの響きが恐ろしく、それ以来シューベルトの曲を聴くとあの「ゴロゴロ」が聴こえて(とくにピアノ曲によく出てくるのだ)どうも敬遠しがちでした。
今日は、ああシューベルトだ、いかん、と思いながらも体がだるくて消すこともせずに、ぼんやりと聴いてしまっていたのですが、そしてやはり1楽章の初めから例の「ゴロゴロ」は聴こえてくるのですが、この最後のピアノソナタは戦慄が美しく、そしてやはり随所に恐いところもあるものの、最後まで聴く事ができ、しかも驚いたことに感動してしまいました。
この感動はどこからくるのだろう。
(以下2月1日記載)
昨夜は前文まで記載し、目がかすんできて中断。
風邪は今日も抜けず、熱・喉・頭の三重苦で仕事はお休み。
今朝昨日書いた記事を読み返してみたら、Ichさんにいただいたコメントで、「旋律」と書いたつもりが「戦慄」となっていることに気づく。
(Ichさんこれは風邪で頭がぼんやりしていたことによる単純な変換ミスでした。すいません。)
しかし、確かにこのシューベルトの最後のピアノソナタは、美しい旋律にひたっていると、突然思わぬ深淵を覗き込むような所に導かれるような恐ろしさに満ちていて、ある意味「戦慄」と言う言葉はピッタリかもしれません。
夜眠る前に内田光子の演奏でこの曲を聴きかえしたのですが、やはり美しいけれど恐い曲という印象は変わりませんでした。
シューベルトのこの「深淵」は一体どこから来るのだろう・・・
(追記)
昨日1月31日(1797年)はシューベルトの誕生日であると偶然ネットで見ていて知りました。
いやはやこれはちょっとしたシンクロニシティーでした。
(最近これが、時々あるんですね。)
コメントありがとうございます。実は「戦慄」は風邪のぼんやりした頭による単純ミスでした・・・しかし、ある意味言いたかったことが「戦慄」という言葉に表れていて、ちょっと面白かったです。
シューベルトの曲ってIchも4~5年前に内田光子さんのシューベルト特集コンサートをベルリンのフィルハーモニー大ホールで聴く機会に恵まれたのですが彼女の内面の深さとこの戦慄とまさに深淵のシューベルトの世界が静かに聞こえてきて内田光子というピアニストの内面が覗けたような気がしました。美しい演奏でした。お風邪お大事に!