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ジョージ・セルの郷愁

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どこで読んだのか出典が明らかではないけれど、少し前に、往年の名歌手エリザベート・シュヴァルツコップが「無人島に持っていきたいレコードは?」という問いかけに「ジョージ・セル指揮によるワルツ集」と答えたという記事を読んだ。

僕は最近セルの音楽にはまり少しCDを集めたけれど、ワルツ集は持っていなかった。
シュトラウス・ファミリーのワルツとあの厳格なイメージのセルがちょっと結びつかなかったこともある。

しかし、マーラーやリヒャルト・シュトラウスの演奏でセルと共演し名盤を残し、何と言っても『薔薇の騎士』の伯爵婦人のイメージが強いシュヴァルツコップをして「無人島に持っていきたい」とまで言わせたウィンナ・ワルツなら是非聴いてみたいと思い(思わず)取り寄せてしまった。

これは予想を遥かに超えた素晴らしいワルツ集だった。
何よりいかにもセルらしい甘さを拝した精緻で清潔な音楽が、聴きなれたウィンナ・ワルツの新しい魅力を見せてくれる。
そして所々ふとした表情に微かな郷愁が漂うのがほんとうに美しい。

そう言えば、ブダペストに生まれたセルは3歳からウィーンで学び、デビューもウィーン交響楽団だった。
ハプスブルグ帝国の残照の中で青春時代を過ごしながら、時代の流れの中でユダヤ人としてアメリカに移り住むことを余儀なくされたセルにとって、シュトラウス・ファミリーの音楽は故郷への望郷の思いにつながる音楽だったのかも知れません。

追伸

教えていただき、シュヴァルツコップが「無人島に持っていきたい」と言ったのはフリッツ・ライナーのワルツ集だったとのこと。
ただこの間違いのおかげでセルの素晴らしいワルツ集に出会えたのは幸福なことでした(^^;

by maru33340 | 2019-03-15 07:57 | Trackback | Comments(4)

2018年の本、音楽、映画から

2008年の暮れに、初めてその年に読んだ本、聴いた音楽、観た映画を振り返り始めて、今年が11年目。

あきっぽい僕としては良く続いているなあと思っています。

今日は2018年の大晦日。

今年の本、音楽、映画を一言コメント共に振り返ります。


長くなりますので、もしよろしければ、お時間のある時、徒然なるままにお読みいただければと思います。


ではまずは今年の本から5冊。

◎『詩人なんて呼ばれて』(語り手・詩 谷川俊太郎、聞き手・文尾崎真理子)

これは「今という時代に詩人として生きるとはどういうことか」という問いへの答を探す、語り手と聞き手によるスリリングな旅のようで、ぐいぐいと引き込まれた。

尾崎さんの用意周到な問いかけに対して、谷川さんは驚く程率直にその私生活や創作の秘密について語る。

それでも知れば知るほど謎は深まるばかりで、もう一度谷川俊太郎の詩を初期のものから読み返したくなった。

◎『雪の階』(奥泉光 著)

昭和初頭、二・二六事件前夜。

華族の娘である笹宮惟佐子は、親友・宇田川寿子の心中事件に疑問を抱き、その謎を追い始めるが…

まずはその設定が三島由紀夫風で、いかにも彼が書きそうな美文が随所に現れるのも楽しいし、劇画的に描かれる惟佐子の父の政治家や婚約者の姿は丸谷才一の小説を思わせる。

久しぶりに物語の世界を生きる喜びに満たされる時間を過ごした。

◎『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』(田邊園子 著)

敗戦後すぐという熱い(熱すぎる)時代の中、野間宏や椎名麟三、三島由紀夫、高橋和巳等らを見いだし、作家を激励し、威嚇し、叱咤しながら何度も書き直させ厳しく原稿を督促する編集者坂本一亀(坂本龍一の父)の激しさは、恐らく今では通用しないだろう。

1921年生まれで戦争体験のある坂本は「僕にとって戦後は余命だった。もう戦争で死んだという感じがあって、戦後は余命にすぎなかった。でも、多くの同世代の仲間が死んで、その余命は彼らのためにもがんばらねばならないと思った。それで河出に入って同世代の若者を育てたいと思った」と語っている。

◎『ただの文士 父堀田善衛のこと』(堀田文子 著)

「文士」という言葉はもはや死語に近いのかも知れない。

この本は、堀田善衛の娘の堀田文子さんによる回想だけど、父との適度の距離感が良いし、堀田自身の文章の的確な引用により、生涯勉強を続けた飽くなき好奇心の固まりのような堀田善衛という作家の最良の入門書になっている。

◎『ドビュッシー 最後の一年』(青柳いづみこ 著)

1918325日に55年の生涯を終えたドビュッシーにとって「最後の一年」はまさに「痛恨の一年」でもあった。

19世紀には前衛的すぎると批判されたが、20世紀にはいるとさらにラディカルな作曲家が台頭してくる」中、ドビュッシーには残された時間があまりにも少なかった。

青柳さんがこの本で書いているように「ドビュッシーがもう少し生き長らえていたら、もう少し彼が彼自身の信じる方向に進んでいたら、20世紀音楽はここまで不毛に陥らなかったのではないだろうか」という言葉が心に沁みます。

次に今年の音楽から、組み物も含めて6枚のアルバムを。

◎ルイ・クープラン「ボーアンの手書き譜からの舞曲集」(パヴェル・コレスニコフ ピアノ)

ルイ・クープランは有名なフランソワ・クープランの叔父にあたるけれど、生前には楽譜は出されず、残された手書きの楽譜をシベリア生まれのピアニストであるコレスニコフが組曲の形で構成・演奏したもの。

彼が、実演のアンコールで初めて聴いたルイ・クープランの曲と演奏があまりに美しく印象的だったのでこのアルバムを求めたのだけど、期待は裏切られず、全編繊細で清冽な静けさに満たされている。

◎フランソワ・クープラン「クラブサン曲集」(ブランディーヌ・ヴェルレ クラブサン)

ブランディーヌ・ヴェルレは1942年生まれだから今年76歳になる現役の演奏家。

その演奏はとてもゆったりとしたテンポで、どこか遠い惑星から何万年前もの時を経て届いた贈り物のように聴こえる。

ここでは哀しみや喜びを超越した密やかな音楽がいつ始まるともいつ終わるともなく続き、聴き進むにつれいつしか呼吸は穏やかなものに変わっていく。

◎プロコフィエフ「バイオリン協奏曲 他」(リサ・バティアシュビリ ヴァイオリン、ヤニック・ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)

グルジア出身のリサ・バティアシュビリは、そのテクニック・音色の美しさ・録音も申し分なく、プロコフィエフの音楽の世界を堪能出来る。

このアルバムですっかりプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲が好きになりました。

◎フォーレ歌曲全集(エレーヌ・ギュメット、ジュリー・ポーリアン、アントニオ・フィゲロア、マルク・ブーシェ 歌、オリヴィエ・ゴダンピアノ)

カナダの4人の若い歌手の歌声は何れも素直で美しく、また特筆すべきは使用しているピアノが1859年製のエラールで、まさに作曲者のフォーレが聴いていたであろうピアノの響きであること。

その響きは少しひなびた優しく懐かしい音色で、聴き進めるにつれフォーレの歌が木漏れ日を浴びたセピア色の記憶の彼方から聴こえてくるような気がしてくる。

◎ストラヴィンスキーの「春の祭典」10枚組BOX

今年の夏はストラヴィンスキーの「春の祭典」にはまり、とうとう「春の祭典」だけを収めた10枚組のBOXセットを入手。

それぞれの演奏を楽しんだけれ、中でもピエール・モントゥ―指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1940年録音)の演奏は、晩年の好好爺然とした風貌からは想像出来ない野性的な演奏。時にアンサンブルの乱れも気にせず暴走するエネルギッシュな演奏に度胆を抜かれた。

◎バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」(ジュリアーノ・カルミニョーラ ヴァイオリン)

イタリアのヴァイオリニストのカルミニューラによるバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ

はジャケットの写真が気に入って頼んでいたもの。(その風貌が数年前に亡くなった役者の夏八木勲を思わせる)

僕は普段はナタン・ミルシテインやカール・ズスケなどどちらかと言えば外連味のない透明で清んだ水のような演奏を好んで聴いているので、最初はちょっと苦手な演奏かなと思いながら聴いていたけれど、聴き進むにつれ面白くなってきて、次第に前のめりになる。

バッハの無伴奏を聴いて興奮するのもおかしな話だけれど、聴いているとなんだか身体の内側が熱くなってくる。

次に今年の映画から5本。

◎『スリー・ビルボード』と『シェイプ・オブ・ウォーター』

最後まで今年のアカデミー賞を争った2つの映画を同じ日に観たので、ここは1項目として。

『スリー・ビルボード』は一見「復讐」がテーマに見えて実は最後は「許し」の物語になっている所に爽やかな後味が残り、『シェイプ・オブ・ウォーター』は異形のものとの愛を幻想的で美しく描きながら今もまだ冷戦時代と変わらぬ「不寛容」が世界を支配していることを寓話的に示唆している。

作風は全く対照的だけれど、共に今の時代を鋭く描いた名作でした。

◎『ウィンストン・チャーチル(原題:DARKEST HOUR)

見所はやはり本年度アカデミー賞主演男優賞を受賞したチャーチル役のゲイリー・オールドマンの演技と、同じくアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した辻一弘らによる特殊メイク。

メイクはどこから見ても自然で驚くばかりだし、意固地でありながらユーモラスで人間的魅力に溢れたチャーチル像を作り上げたゲイリー・オールドマンの演技は素晴らしい。

ラスト近くの地下鉄でのチャーチルと市民との対話と最後の演説の場面にはグッと胸を打たれた。

古典的で映画の王道を行く映像と音楽も良く、安心してその世界に浸る事が出来た。

◎『響』(平手友梨奈 主演)

何より鮎喰響=平手友梨奈の何者にも媚びない真っ直ぐでハードボイルドな生き方がひどくカッコいい。

その少々暴力的な問題解決方法は現実的にはありえないとは思うけれど、それを上回る爽快なカタルシスがある。

その昔、高倉健の映画を見終わった人が高倉健の格好で映画館を出てきたように、この映画を見終わった後は自分が鮎喰響になったような気分で背筋を伸ばして歩きたくなるような気がします。

◎『日々是好日』

これはとても気持ちの良い映画でした。

黒木華演じる普通の大学生がお茶を習うことを通じて様々な大切なことを頭ではなく体で学んでいく25年間を丁寧に描いていく。

彼女のお茶の先生役の樹木希林さんの演技が、飄々としながら時として深い叡知に満ちていて素晴らしい。

映画の中で黒木華が「日々是好日」と言う言葉が示す意味について語るこんな言葉が心に残ります。

「雨の日には雨の音を聴く。雪の日には雪を見て、夏には夏の暑さを、冬には身の切れるような寒さを。五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。」

◎『家へ帰ろう』

2018年年最後に素晴らしい映画に出会った。

アルゼンチンから故郷ポーランドへ。ホロコーストから逃れた一人の仕立て屋が70年前の友人との約束を果たすために旅に出る・・・

ひどく偏屈な老人にも関わらずどこかユーモアもあり、旅の先々で彼を助けてくれる女性との出会いもこの映画に華やぎを添える。

ロードムービーの新しい傑作を堪能しました。

最後に番外編として。

今年は僕にとってドラマ不毛の時代でしたが、いくつかのドキュメンタリーとの出会いがありました。

中でも心に残った作品を最後に一つ。

NHKドキュメント『”樹木希林“を生きる』

最後の数本の映画に出演した樹木希林の姿を追ったドキュメント。

樹木希林自身、その記録を残す意味があるのかと何度もディレクターに問いかける。

しかし、余命が残り少ないことを医者に告げられた彼女は、自身の全身に癌が転移した写真をカメラの前に見せ、

「人間として、こういう終わり方しかなかったんだわねっていうことで、いいんじなゃいかな」

と語る…

最後の映画のラストシーンで彼女の歌う

「命短し 恋せよ 乙女」

のフレーズに込められた深い思いがいつまでも心に残ります。

それでは皆さま良いお年を。


by maru33340 | 2018-12-31 06:00 | Trackback | Comments(4)

小さな音で静かな音楽を聴くこと

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先月末から酷い風邪をひき38度超の熱が1週間以上続き、激しい咳き込みも数日残り、昨日から仕事に復帰するもやはり10日間床についていたので体力が落ちておりふらついてきてしまい、半日仕事をした後午後休をもらい自宅に戻り横になる。

うつらうつらしながらアコーディオン演奏によるバッハの平均律を収めたアルバムを小さな小さな音で聴く。
最近はあまり大きな音を聴くと直ぐに疲れてしまうので、隣の部屋のラジオから微かに聴こえるくらいの音量で静かなピアノ曲やギターソロの曲、古いジャズ等を聴く。

雨が降ればその雨音が聴こえるくらいの音量で音楽を聴いていると、普通に聴いている時以上にひとつひとつの音が心に真っ直ぐに沁みてくるようです。
by maru33340 | 2017-06-02 04:45 | Trackback | Comments(6)

懐かしい「ミュンヘンへの道」

今日は仕事で遅くなり10時過ぎに帰宅。

テレビをつけたら、偶然NHK でミュンヘンオリンピックで優勝したバレーボール男子の物語の番組を放送していた。

ミュンヘンオリンピックの開催された1972年、僕は中学一年生だった。

部活は剣道部に入ったけれど、当時アニメで放送していたミュンヘンオリンピックで金メダルをめざすバレーボール男子の物語「ミュンヘンへの道」を見て、すっかり魅せられてしまい、感動のあまり剣道部を辞めて、バレーボール部に入り直した。
(剣道部の先輩には竹刀を持って追いかけられたけれど)

バレー部では、体操服の胸に雑巾を縫い込み屋外でフライングレシーブをした。

ミュンヘンオリンピックで日本が準決勝でブルガリアに2セット取られた後、奇跡の逆転をしたときは涙が止まらず、手にはいる限りの新聞を買って来てスクラップブックに張り付けた。
(しばらくの間僕の宝物だった)

あれから42年も経ってしまったのかと思うと、感慨もひとしお。
by maru33340 | 2014-03-29 23:14 | Trackback | Comments(3)

スマホを忘れてスクーリングに参加してしまう

今日は学芸員資格取得のための最後のスクーリングのため京都に来ている。

しかし、昨夜から風邪のため体調不良でふらふらのまま家を出たらスマホを忘れてしまった。

連絡手段はこのブログかフェースブックしかないので、生まれて初めてネットカフェに入りブログを書いている。

もし、このブログを読んでいて、僕に連絡したい方は、このブログにコメントするか、僕のgmailの方に連絡ください。

明日の夜再度ネットにアクセスしてみます。

よろしくです。
by maru33340 | 2013-11-02 18:56 | Trackback | Comments(4)

台風の朝に

台風の朝。

車の点検のために昨夜、東名高速で静岡から埼玉に戻った。
(やはり首都高速を運転するのは怖い)

今は車を点検に出し、出来上がりを待ちながら青柳いづみこの演奏するドビュッシーのバラードを聴きながらぼんやりと、台風の朝の雨の舗道を眺めている。

頭の中を様々な思いが去来する。

映画「さよならドビュッシー」での、時間が止まりそうな「月の光」の演奏の美しさ。

1979年のセルジュ・ボド指揮によるフランス音楽の木洩れ日のようにキラキラとした音たちの遠い記憶。

あの頃のアイドル歌手たちの(少し嘘っぽい)笑顔の耀きもまた。

会社に入社して車で営業活動していて、AM ラジオから流れる松田聖子の「瞳はダイアモンド」を聴きながら、何故か涙が止まらなくなった。

1995年のオーム真理教による地下鉄サリン事件が起きた同じ時間の列車に乗って銀座に通勤していた事。

富山のオフィスのビルで休日出勤していたときに、能登地方の大地震に遭遇した。
その時、同じ職場で働く人がたまたま仕事で能登方面を車で走っていたら、地震で自分が走っている道路が後ろから次々と崩れていくのを見ながら必死でアクセルを踏んで助かった。

そして、2011年3月11日。
汐留のオフィスの20階にいて、東関東大震災に遭遇した。
窓から見える電通ビルが大きく左右に揺れ、浜離宮の向こう側の隅田川の水が逆流するのが見え、背中に戦慄が走った事。

雨は少し小降りになったけれど、これから本格的な暴風域に入るようだ...
by maru33340 | 2013-09-15 12:25 | Trackback | Comments(5)

モダン万葉集

万葉集はおおらかで素朴、古今・新古今は技巧的。

なんとなくそんな先入観があった。

しかし、大岡信の本を読みながら、さすがに万葉集を代表する柿本人麿呂はそんなに単純な歌人ではなかったと思い知った。

例えばこんな歌。

天の海に 雲の波立ち 月の船
星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

天空の広さ、豊かさを描き、幻想的で美しい光景が、まるで現代の版画作品を見るように目に浮かぶよう。

心をまっさらにして、先入観を捨て、もう一度万葉集を読み返したくなった。
by maru33340 | 2013-05-08 21:04 | Trackback | Comments(6)

西行の見た桜のこと

あくがるる心はさてもやまざくら
散りなんのちや身にかへるべき

春風の花を散らすと見る夢は
さめても胸のさわぐなりけり

西行

今日から「日経」の「美の美」欄は西行を取り上げている。
桜も散り、いくばくかの寂寥を感じるこの季節にふさわしいテーマだ。

この歌について、文芸評論家の高橋英夫はこんなふうに書いている。

「いつまでも上空から舞い落ちてやまない桜花雪片の無限と流動が西行の『死』のイメージであった。『死』は動いているのであり、その意味では生きているのである。」

僕たちが桜を見て、散るからこそ美しくそれを惜しみ、落花に生死の境を感じるのは、西行の見た桜のイメージを僕たちの心が再現しているからなのだろうか。
by maru33340 | 2013-04-14 07:08 | Trackback | Comments(3)

ピエール=ロマン・エマールの完璧な演奏会ライブに驚く

知人から、「これは凄い演奏です。」と、ピエール=ロマン・エマールの2001年カーネギー・ホールでのライブ演奏を収めたCDを貸してもらった。

これは掛け値なしに凄いとしか言いようのない素晴らしいアルバム。

第一にプログラムが良い。

第1部
■ベルク ピアノ・ソナタ
■ベートーヴェン ピアノ・ソナタ23番≪熱情≫
第2部
■リスト 2つの伝説第2番波の上を歩くパウラの聖フランソワ
■ドビュッシー 映像第1集から「水の反映」
■ドビュッシー 映像第2集から「金色の魚」
■リゲティー 練習曲集からの3曲
アンコールとして、
■メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし
■ドビュッシー 12の練習曲から第6曲

2つのソナタは、その色合いが異なるけれど、ベルクでの怜悧な響きとベートーヴェンの構築的で激しい情熱を見事に弾きわける手腕は只事ではない。
ベルクの中に、スクリャービンやドビュッシー、そしてワーグナーら遠い木霊を聴くことは、まるで近・現代音楽史の歩みを音で聴くような喜びがある。
そして、圧倒的な音の塊としての激しく情熱的なベートーヴェン!
カーネギー・ホールの聴衆も熱狂的な拍手でこの演奏を称える。

リストは僕には得意な作曲家ではないけれど、ベートーヴェンとドビュッシーをつなぐ役割として美しい。

そしてドビュッシーとリゲティーは、いずれも「水」をテーマとして選ばれている。
水面にたゆたうようなその響きを聴いていると、モネの晩年の睡蓮の絵を見ているような陶然とした気持ちに誘われる。

アンコールのメシアンは、エマールがずっと大切にしている作曲家。
今まであまりメシアンを意識的には聴いてこなかったけれど、これを契機に少しメシアンを聴いてみたいと感じている。
最後のドビュシーの技巧的でユーモラスな表現では、聴衆も思わず笑い声をあげている。

本当になんと贅沢な演奏会!

これはもう完璧な演奏会と言えますね。
by maru33340 | 2012-11-15 05:23 | Trackback | Comments(4)

高血圧をなめてはいかんかった、いかん

どうもこの所、めまい、頭痛、肩凝りに悩まされてなんとも調子が出ないなあ、と思っていて、ふと思い出して血圧を計ってみたら、上も下も基準値を随分上回っている。
こりゃ調子も出ないわけだ。

少し前に医者からもらった高血圧の薬を、しばらくサボって飲まなかったのがいけなかったようだ。

慌てて服用すると確かにめまいは収まった。

やはり最終的に薬を飲まないで済むように生活改善をせにゃいかん、こりゃあいかん。
by maru33340 | 2011-04-25 22:38 | Trackback | Comments(2)

音楽・本・映画などについての私的な感想


by maru33340
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