新・クラシック音楽と本さえあれば

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2018年 01月 30日

躊躇い揺蕩うベートーヴェン

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友人推奨のピエール・ロラン・エマールのピアノ、ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集が届いた。

最初に収録されているのは、演奏される機会は少ないけれど僕は大好きな第2番の協奏曲。
これは全く独特の演奏。

1楽章、エマールは、少しゆっくりしたテンポで、独特の間合いを取りながら、まるで手探りで暗闇を歩くような風情で演奏し始める。
2楽章でもそれは変わらず、ひとつひとつの音を探しながら、自らに問いかけるように音楽は進む。
3楽章の変拍子は、普通は軽やかに戯れるように演奏されるのに、どこか躊躇いがちだ。
しかし、その躊躇いの風情に何とも言えない美しさがあり、ピアノの響きは晴れた冬の朝の青空のように冷たく澄みわたっているのだ。
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by maru33340 | 2018-01-30 20:40 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)
2018年 01月 26日

ゆっくり山を下りること

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昨夜一気に読了した五木寛之さんの本。

正直今まで色んな本で読んだ内容も多いけれど、来年60歳という節目を前にあれこれ考えることが増えてきたから、改めて身につまされることもいくつかあります。
以下その中から。

・60代は50代で思い描いた(人生の)下山を、いよいよ実行する時期。実際にそれまでの生き方、生活をリセット(再起動)する時期。

・人生に必要なものは、実に驚くほど少ない。一人の友人と一冊の本と、一つの思い出があれば、それでいい。
(僕はこれに一枚のCDだけ加えたい)

・現実とは、過去、現在、未来をまるごと抱えたものです。未来に思いをはせて希望をふるいおこそうとする感情と、過去を振り返って深い情感に身をゆだねることと、どちらもたいした違いはないのです。人は、今日を生き、明日を生きると同時に、昨日をも生きる存在です。
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by maru33340 | 2018-01-26 08:20 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2018年 01月 23日

深き淵より

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シューベルトの弦楽五重奏曲は異形の音楽である。

 それは1828年、作曲者の死(31歳)の2ヵ月前に完成された遺作であり、彼の死後20年以上も経った1850年になってようやく初演された。

 楽器編成も独特で、たいていの弦楽五重奏曲は、弦楽四重奏に第2ヴィオラを加えた編成を標準としているのに対して、この曲では、弦楽四重奏にチェロが加えられその結果低音が極めて際立つ。

 曲の全編にはただならぬ緊迫感が満ちて、演奏には約1時間もかかる。
特に2楽章中盤では、もはや音楽の領域を遥かに超えた血の出るように激しい嘆きと慟哭の響きが溢れだし、聴くものの肺腑を抉る。

終楽章の終わりも唐突で、聴くものを深淵に連れ去る。

早過ぎる晩年近く、彼は自分の死期を悟ったかのような傑作を残したけれど、同時代の彼の友人たちは果たしてその音楽をどこまで理解しただろうか?
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by maru33340 | 2018-01-23 21:23 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2018年 01月 21日

「そしてメロス」

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「日経新聞」(日曜版)のコラム「名作コンシェルジュ」には時々鈴木淳史氏によるクラシック音楽のレビューが掲載される。
これが毎回魅力的な演奏を取り上げていて、その度に聴きたくなりついついAmazonで頼んでしまうから、嬉しいやら困るやら…

先週日曜日にはメロス弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全集が紹介されていて、その演奏を評して「豊かな響きによる知的な四人の会話」「そのアンサンブルからは、彼らの手にしている楽器の「木」そのものの響きがする」と書かれているから、ついまた頼んでしまい昨夜到着し早速ベートーヴェン後期の傑作の14番と15番を聴いた。

これは本当に素晴らしく、どこにも余分な力が入らず豊かでしなやかな歌に溢れ、まさに高貴で余裕に満ちた四人の大人の会話のような演奏。

それはまるで丁寧に水を吸わせて焚き上げてふっくらと艶めいている白いご飯のような滋味に溢れ、聴いているだけで心の栄養になるよう。

ゆったりとした呼吸や時折他の演奏者に目配せをしているような間合いがまた味わい深く、辛いことや悲しいことがあってもこの演奏を聴けば「よし、もう一度」と自然に思えるような気がする。

この気品ある演奏を聴きながら「これはまるで桂米朝の落語を聞いているような心地よさだなあ」とふと思った。

落語「愛宕山」の僕が大好きなこんな一筋。

「野辺へかかってまいりますと、何しろ春先でございます。
空にはヒバリがさえずっていようか、野には陽炎が燃えていようか。
遠山に霞がたなびいて蓮華 タンポポの花盛り。
麦が青々と伸びた中を菜種の花が彩っていようという本陽気。
その中をやかましくやって来る、その道中の陽気なこと」

メロス弦楽四重奏団によるベートーヴェンの演奏を聴いていると、音楽を聴くこと、落語を聴くこと、良い本を読むこと、良い映画や美術品を観ることはすなわち生きることそのものだと、それがあれば生きていけると、つくづく思えます。
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by maru33340 | 2018-01-21 07:00 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2018年 01月 20日

ベートーヴェンのニュースタンダード

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大相撲とトランプのニュースからは少し離れてベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴く。

ドイツのアルテミス弦楽四重奏団の演奏は切れ味鋭くモダンでありながら力みとは無縁で、繊細な美しさに溢れている。

彼らの演奏で聴くと、聴き慣れた旋律もまるで洗い立てのシャツのように清潔で爽やかだ。

現代のベートーヴェン弦楽四重奏曲の演奏でのひとつのスタンダードになりうる名演かも知れない。

時々再燃する弦楽四重奏曲のマイブームが来たようです。
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by maru33340 | 2018-01-20 09:46 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2018年 01月 19日

北からの声、再び

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最近、絵画や音楽で北欧関連の良い出会いが続く。

その流れを受けて、先日読んだ『ストーリーのある50の名作椅子案内』がとても良かったので、同じ萩原健太郎さんの北欧デザインについての本2冊を入手。

パラパラ眺めていると「いつか飛行機嫌いを克服して北欧旅行に出かけたい」と思う。

休日に珈琲を飲みながらゆっくり読みたい本です。
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by maru33340 | 2018-01-19 07:25 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2018年 01月 17日

冬の雨の朝に聴くブラームス

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今朝は雨。

灰色の空には重たい雲が漂い、2年間過ごした北陸の冬を思い出しながらブラームスのヴァイオリン・ソナタ1番「雨の歌」を聴く。

ギドン・クレーメルとヴァレリー・アフェナシェフによる演奏は極端に遅いテンポで、ブラームスの音楽は解体寸前。
それでも時折暗い空から射し込む一条の光のように美しい旋律が聴こえてくる。

孤高のブラームスという趣が今朝の気分にはふさわしい。
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by maru33340 | 2018-01-17 07:26 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2018年 01月 16日

冬来たりなば

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季節は間もなく大寒になるけれど、昨日今日は少し寒さも緩み陽射しも柔らかい。

少し前までは夕方5時頃になれば真っ暗だったけれど、最近は少し日も伸びてきたようで夜の闇にまだうっすらと明るさが残る。

「冬来たりなば春遠からじ」。

寒さの中に少しずつ春の気配が漂い始めるこの季節が年々楽しみになってきています。
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by maru33340 | 2018-01-16 08:14 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)
2018年 01月 14日

椅子の本

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椅子が好き、だ。

とはいえ、あまり詳しくはないので気軽に読める椅子のデザインや歴史の入門書が欲しいなあと思っていた所、昨日出張の際に立ち寄った銀座の本屋でこの本を見つけた。

50人のデザイナーによる50の椅子を選び、制作年代順に椅子の解説と共にデザイナーやその椅子が生まれた時代背景が簡潔に紹介されていてとても読みやすく楽しい。
(少し小ぶりで軽い造本も良いです)

こういうカジュアルなスタイルで絵画や写真・広告表現について書かれた入門書があればアートやデザインはもっと僕らの生活の近くに来るかも知れないなあ、などと思います。
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by maru33340 | 2018-01-14 07:21 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)
2018年 01月 13日

ぼくもいくさに征くのだけれど

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詩人、竹内浩三は三重県宇治山田市の生まれ。
彼の通った宇治山田中学の先輩に小津安二郎がいた。
1940年日大専門部映画科に入学し、伊丹万作に私淑し詩と絵の創作をはじめるが、1944年フィリピンの戦場へ送られ1945年4月9日戦死する。

彼の残した詩「ぼくもいくさに征くのだけれど」はこんな詩だ。


ぼくもいくさに征くのだけれど


街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし
三ヶ月もたてばぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな

だれもかれもおとこならみんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど

なんにもできず
蝶をとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた


この詩の中の「けれど」には今読むと万感の想いが秘められているようで、胸が痛むような気がする。

映画『生まれてはみたけれど』を撮り、自らも戦場に送られた経験を持つ小津安二郎は、中学の後輩のこの詩の「けれど」をどのような想いで読んだろう。
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by maru33340 | 2018-01-13 16:22 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)