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自戒の言葉として

知人から教えていただいた高橋源一郎さんの『毎日新聞』(2019年2月25日)のコラム「私の人生相談」での回答を読み大きな衝撃を受けた。

ほんとうは著作権があるから再掲ははばかられると思うけれど、とても身につまされたので自戒の念を込めて(期間限定で)少し引用させていただきます。

相談内容は「人を信じても裏切られる」という下記の60歳の女性からのもの。

「私はいつも人に裏切られる。「良い曲だから聴いてね」と言って「うん、聴くね」と答えても誰も聴いていない。興味がないなら断ればいい。「暖かくなったら会おうね」と言われて待っていても誘いはない。待っている時間は地獄です。」

この相談に対して高橋さんは、こんな風に語りだす。

「あなたは「人を信じて裏切られる」とおっしゃいます。いいえ、逆です。失礼を承知で書かせていただきますが、あなたはもともと何も信じることができない人間なのだと、わたしは思います。」

何ともストレートな文章にドキッとする。
高橋さんは更にこんな風に書く。

「あなたは冷たくわがままであなたの国にはあなたしか住んでいません。他の人はみんなあなたのために存在する奴隷なのですね。そんな人間を誰が「信じ」ようとするでしょう。あなたが心を閉ざしているから人々はあなたのかたわらを通り過ぎていくのです。」

そこまで書きますか、と思い言葉を失う。
しかし、高橋さんはかつて自分もそうだったと語りこんな風に書く。

「以来わたしはそんな冷たい自分と戦っています。どんなに努力しても自分を変えることは難しいかも知れません。けれども、通りすぎようとする人に、優しい言葉をかけることは出来るはずです。」

厳しい言葉だけど、繰り返し読んでいくと、まるで自分自身に言われているようで背筋が伸び、そして言葉の裏にある高橋さんの愛情に気がつき深いため息をつくのです。


by maru33340 | 2019-02-26 06:54 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

Ruhe sanfte, sanfte ruh!

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時々ふいに「マタイ受難曲」を聴きたくなる時がある。

先週土曜日の夜(その日は父の12年目の命日だった)久しぶりにその時が訪れ、ブリーダー・ベルニウス指揮による「マタイ受難曲」を聴き始めた。

2015年にドイツのゲニンゲン福音教会で録音されたこの演奏は、小編成のシュトゥットガルト室内合唱団/シュトゥットガルト・バロック・オーケストラの透明で精緻な響きが美しく独唱者も素晴らしい。

特にソプラノのハンナ・モリソンの歌は神々しいまでに清らかな声で、哀しみの中に明るい光が射し込むような気がする。

そして翌朝、ドナルド・キーンさんの訃報を知った。

キーンさんの著書は(吉田健一の著書と共に)父も愛読していて、何冊かの本が書棚にあったので、僕も若い頃から親しみを持っていた。

一昨年の日本平ホテルでの対談で身近にその姿に接して、その知性・ユーモア・優しさに触れ感銘を受けた。

キーンさんが対談の最後に笑顔で語った「長い間生きてきたけれど今が一番楽しい」という言葉は今も忘れていない。

『マタイ受難曲』の終曲の

Ruhe sanfte, sanfte ruh!
(安らかに眠って下さい、どうか安らかに!)

という言葉を、父とキーンさんに捧げます。

by maru33340 | 2019-02-25 06:02 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

ドナルド・キーンさんを偲ぶ朝に

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今朝、先日友人が「同じアルバムを2枚買ってしまったので」とくれたエッシェンバッハの演奏によるシューベルトのピアノソナタ21番の2楽章を聴いていた時、webのニュースでドナルド・キーンさんの逝去の報に接した。

シューベルトのピアノソナタが、奇しくもクラシック音楽を愛したキーンさんへの追悼の音楽になってしまった。

96歳とのこと。

僕は一昨年の11月、叔父さんに誘われ日本平ホテルまでキーンさんの対談を聞きに出かけた。

さすがに足元は少し覚束ないものの、記憶もはっきりとしてユーモアを交えて三島由紀夫や谷崎潤一郎の奥さんの松子さんのお話しを楽しそうに語る姿がまだ記憶に新しかったので(いつかこの日がやって来ると覚悟はしていたけれど)やはりショックです。

対談が始まる時には見えていなかった富士山が、対談終了後にロビーに出た時には眼前に綺麗に広がっていた驚きと共に、これからも大切な経験として忘れずにいたいと思います。
by maru33340 | 2019-02-24 12:36 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

ドビュッシー「前奏曲」の呪縛が溶けた夜のこと

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初めてドビュッシーの「前奏曲」を聴いた時の演奏は、アルレッド・コルトーのものだった。
(おそらく何かの本で名演だと言う記載を読んだからだと思う)

しかし、「月の光」や「牧神の午後への前奏曲」位しか聴いたことのなかったドビュッシー初心者の高校生である僕にとって、SPからの復興によるコルトーの演奏の良さを理解するのは難しかったようで、録音の古さにも馴染めず、聴いていて船酔いするような気分になって寝込んでしまい(ちょっとしたトラウマになり)長く「前奏曲」を聴くことが出来なくなってしまった。

ところが昨夜ウォークマンで青柳いづみこさんの『ドビュッシーと詩人たち』を聴いていて、曲が(ウォークマンに取り込んだことを忘れていた)サンソン・フランソワによる「前奏曲」に移り変わり、そのままぼんやり聴き続けていたら、まるで長年の呪縛が溶けたように、その曲がすんなり耳と心に染み込んできた。

今朝もフランソワによる「前奏曲」を聴いていますが新鮮な音の悦びに身体が満たされているのでした(笑)
by maru33340 | 2019-02-24 10:09 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

「総合芸術」としてのアルバム

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良く晴れた暖かい気持ちの良い朝、『ドビュッシーとパリの詩人たち』を聴き返している。

最初の青柳いづみこさんと高橋悠治さんによるピアノ連弾による「牧神の午後への前奏曲」から、盛田麻央さんの柔らかな心地よいソプラノによる歌曲「ステファヌ・マラルメの3つの詩」に移り変わる時の自然な美しさに陶然とし、「小組曲」のメヌエットでは明るさの極まった所にふいに哀しみが胸に迫る。

最後に置かれた「6つの古代碑銘」では、青柳さんの静かで囁くような朗読により心が遥か古代ギリシャに連れ去られるような気持ちになる。

聴き返す度に演奏と共に、その選曲、構成の妙にため息をつく。

今はダウンロードの時代だけど、青柳さんが書かれていらっしゃるように、やはりCD(ほんとうはLPが良いけど)は、ジャケット、ライナーノーツ、演奏、選曲、構成が一体となった「総合芸術」なのだとつくづく思います。
by maru33340 | 2019-02-23 09:49 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

鋭さに身を糺し、優しさに涙する

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先日、エベーヌ弦楽四重奏団の演奏でドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴き返しその明晰なアプローチを楽しんだ。

そう言えばエベーヌの演奏を更に厳しくしたような演奏があったなと思い出し、少し久しぶりにアルカントによるドビュッシーを聴き返しあまりの切れ味鋭さに改めて圧倒的された。

そのまま何となく学生の頃良く聴いていたパレナン弦楽四重奏団によるドビュッシーを聴き返したら、今度は懐かしさに少し泣きそうな気分になった。

パレナンのドビュッシーは1969年の録音だからもう50年前前の演奏。
さすがに少し録音は古くなったし、今の演奏と比べるとエッジやアンサンブルはとんがりが少ないかも知れない。

しかし、パレナンの演奏でドビュッシーの弦楽四重奏曲の三楽章を聴いていると、窓から射し込む柔らかい陽射しや春の風、陽だまりに眠る猫などの情景が思い浮かび「生きる悦び」という言葉を思い出し胸がいっぱいになってくる。

対照的な演奏だけど、切れ味鋭さに粛然と身を糺すことも懐かしさに涙するのもどちらも音楽を聴く悦びに違いはない。

そんな多様な聴き方が出来ることがクラシック音楽の奥深さかも知れません。
by maru33340 | 2019-02-20 05:44 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

「倚りかからず」

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昨日の「日経」のコラムで、2月17日は詩人茨木のり子さんの命日だと知った。

茨木さんの(おそらく)最も有名な詩である「倚りかからず」を知ったのはいつ頃のことだっただろうか。

まだ学生の頃だったかなあと思い茨木さんの年譜を見ていたら、この詩を含む詩集『倚りかからず』が刊行されたのは1999年のことだから、僕はその時もう40歳。

茨木さんは当時73歳。
彼女が逝去するのはその7年後だから晩年の作品と言ってもいい。

しかし、その詩の毅然とした佇まいから、まだ50歳位の時に書かれた詩だと長い間思いこんでいた。

始めて読んだ時、この詩に書かれているように生きたいと思ったけれど、あれから20年、それはなかなか難しいことだと知った。

こんな詩です。


倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
by maru33340 | 2019-02-18 20:53 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

月は隈なきものをのみ見るものかは

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昨日は東京での会議。

いくつかのプレゼンテーションのなかで印象に残ったのは、萎れた薔薇の花弁の写真を提示して「皆さんはこの薔薇を美しいと思いますか?」というある方の問いかけだった。

僕その朽ちかけた薔薇の花弁の写真を「美しい」と感じた。

もちろん薔薇は盛りが美しいだろう。
桜もまた。

しかし、滅びゆくものに対する愛着は、日本では平安時代からあり『徒然草』にもこんな風に書かれているように日本人の心の奥底にある密やかな美学だと思う。

「花は盛りに、月は隈なきものをのみ見るものかは」

「散りしおれたる庭などこそ見所多けれ」

(『徒然草』第137段)

こうした朽ちたるもの、名残を過ぎたものの美しさへの愛着は日本人独特の美意識なのだろうか…

by maru33340 | 2019-02-16 06:42 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

まさに至福のドビュッシーアルバム

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少し身の回りのモノを手放そうと思っているものの、時々「このCDだけはどうしても欲しい!」と思うアルバムに出会ってしまうのは致し方ない所。

先日numabeさんがご紹介されていた『ドビュッシーとパリの詩人たち』はまさにそんなアルバムで、早速昨日から聴き始めた。

これは選曲、演奏共にほんとうに素晴らしいの一言。
(あまり良いので、一気に聴くのが惜しくなってしまうくらい)

内容についてはnumabeさんが丁寧にご紹介されているので(付け加えることはなく)是非そちらをご覧いただければと思います。

個人的にはフランス20世紀のイラストレーターであるジョルジュ・バルビエによるジャケットもとても気に入り、この人のことを少し調べてみたくなりました。

(いけない、またモノが増えてしまう…)
by maru33340 | 2019-02-15 07:49 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

「美と真実だけを追及し、他は忘れろ」(ビル・エヴァンス)

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まだ大学生の頃、ビル・エヴァンスのピアノ・ソロによるアルバム『alone』を夜な夜な聴いて過ごした。

それは、その頃クラシック音楽一辺倒だった僕が始めて出会ったジャズで、当時(今で言うシェアハウスのような形で)友人と間借りしていた家で聴いた(LPによる)ビル・エヴァンスのピアノは、内省的で耽美的で心の奥底まで沁み渡るような気がした。

以来、ビル・エヴァンスの音楽を折に触れ聴き返してきたけれど、この春彼の生涯を描いたドキュメンタリー映画が公開されるとのこと。

チラシのコピー「美と真実だけを追及し、他は忘れろ」という、まるで秋風羽織の台詞のようなビル・エヴァンスの言葉に痺れる。

これは何をおいても観に行かなくては。
by maru33340 | 2019-02-13 20:47 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

音楽・本・映画などについての私的な感想


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