2018年の本、音楽、映画から

2008年の暮れに、初めてその年に読んだ本、聴いた音楽、観た映画を振り返り始めて、今年が11年目。

あきっぽい僕としては良く続いているなあと思っています。

今日は2018年の大晦日。

今年の本、音楽、映画を一言コメント共に振り返ります。


長くなりますので、もしよろしければ、お時間のある時、徒然なるままにお読みいただければと思います。


ではまずは今年の本から5冊。

◎『詩人なんて呼ばれて』(語り手・詩 谷川俊太郎、聞き手・文尾崎真理子)

これは「今という時代に詩人として生きるとはどういうことか」という問いへの答を探す、語り手と聞き手によるスリリングな旅のようで、ぐいぐいと引き込まれた。

尾崎さんの用意周到な問いかけに対して、谷川さんは驚く程率直にその私生活や創作の秘密について語る。

それでも知れば知るほど謎は深まるばかりで、もう一度谷川俊太郎の詩を初期のものから読み返したくなった。

◎『雪の階』(奥泉光 著)

昭和初頭、二・二六事件前夜。

華族の娘である笹宮惟佐子は、親友・宇田川寿子の心中事件に疑問を抱き、その謎を追い始めるが…

まずはその設定が三島由紀夫風で、いかにも彼が書きそうな美文が随所に現れるのも楽しいし、劇画的に描かれる惟佐子の父の政治家や婚約者の姿は丸谷才一の小説を思わせる。

久しぶりに物語の世界を生きる喜びに満たされる時間を過ごした。

◎『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』(田邊園子 著)

敗戦後すぐという熱い(熱すぎる)時代の中、野間宏や椎名麟三、三島由紀夫、高橋和巳等らを見いだし、作家を激励し、威嚇し、叱咤しながら何度も書き直させ厳しく原稿を督促する編集者坂本一亀(坂本龍一の父)の激しさは、恐らく今では通用しないだろう。

1921年生まれで戦争体験のある坂本は「僕にとって戦後は余命だった。もう戦争で死んだという感じがあって、戦後は余命にすぎなかった。でも、多くの同世代の仲間が死んで、その余命は彼らのためにもがんばらねばならないと思った。それで河出に入って同世代の若者を育てたいと思った」と語っている。

◎『ただの文士 父堀田善衛のこと』(堀田文子 著)

「文士」という言葉はもはや死語に近いのかも知れない。

この本は、堀田善衛の娘の堀田文子さんによる回想だけど、父との適度の距離感が良いし、堀田自身の文章の的確な引用により、生涯勉強を続けた飽くなき好奇心の固まりのような堀田善衛という作家の最良の入門書になっている。

◎『ドビュッシー 最後の一年』(青柳いづみこ 著)

1918325日に55年の生涯を終えたドビュッシーにとって「最後の一年」はまさに「痛恨の一年」でもあった。

19世紀には前衛的すぎると批判されたが、20世紀にはいるとさらにラディカルな作曲家が台頭してくる」中、ドビュッシーには残された時間があまりにも少なかった。

青柳さんがこの本で書いているように「ドビュッシーがもう少し生き長らえていたら、もう少し彼が彼自身の信じる方向に進んでいたら、20世紀音楽はここまで不毛に陥らなかったのではないだろうか」という言葉が心に沁みます。

次に今年の音楽から、組み物も含めて6枚のアルバムを。

◎ルイ・クープラン「ボーアンの手書き譜からの舞曲集」(パヴェル・コレスニコフ ピアノ)

ルイ・クープランは有名なフランソワ・クープランの叔父にあたるけれど、生前には楽譜は出されず、残された手書きの楽譜をシベリア生まれのピアニストであるコレスニコフが組曲の形で構成・演奏したもの。

彼が、実演のアンコールで初めて聴いたルイ・クープランの曲と演奏があまりに美しく印象的だったのでこのアルバムを求めたのだけど、期待は裏切られず、全編繊細で清冽な静けさに満たされている。

◎フランソワ・クープラン「クラブサン曲集」(ブランディーヌ・ヴェルレ クラブサン)

ブランディーヌ・ヴェルレは1942年生まれだから今年76歳になる現役の演奏家。

その演奏はとてもゆったりとしたテンポで、どこか遠い惑星から何万年前もの時を経て届いた贈り物のように聴こえる。

ここでは哀しみや喜びを超越した密やかな音楽がいつ始まるともいつ終わるともなく続き、聴き進むにつれいつしか呼吸は穏やかなものに変わっていく。

◎プロコフィエフ「バイオリン協奏曲 他」(リサ・バティアシュビリ ヴァイオリン、ヤニック・ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)

グルジア出身のリサ・バティアシュビリは、そのテクニック・音色の美しさ・録音も申し分なく、プロコフィエフの音楽の世界を堪能出来る。

このアルバムですっかりプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲が好きになりました。

◎フォーレ歌曲全集(エレーヌ・ギュメット、ジュリー・ポーリアン、アントニオ・フィゲロア、マルク・ブーシェ 歌、オリヴィエ・ゴダンピアノ)

カナダの4人の若い歌手の歌声は何れも素直で美しく、また特筆すべきは使用しているピアノが1859年製のエラールで、まさに作曲者のフォーレが聴いていたであろうピアノの響きであること。

その響きは少しひなびた優しく懐かしい音色で、聴き進めるにつれフォーレの歌が木漏れ日を浴びたセピア色の記憶の彼方から聴こえてくるような気がしてくる。

◎ストラヴィンスキーの「春の祭典」10枚組BOX

今年の夏はストラヴィンスキーの「春の祭典」にはまり、とうとう「春の祭典」だけを収めた10枚組のBOXセットを入手。

それぞれの演奏を楽しんだけれ、中でもピエール・モントゥ―指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1940年録音)の演奏は、晩年の好好爺然とした風貌からは想像出来ない野性的な演奏。時にアンサンブルの乱れも気にせず暴走するエネルギッシュな演奏に度胆を抜かれた。

◎バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」(ジュリアーノ・カルミニョーラ ヴァイオリン)

イタリアのヴァイオリニストのカルミニューラによるバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ

はジャケットの写真が気に入って頼んでいたもの。(その風貌が数年前に亡くなった役者の夏八木勲を思わせる)

僕は普段はナタン・ミルシテインやカール・ズスケなどどちらかと言えば外連味のない透明で清んだ水のような演奏を好んで聴いているので、最初はちょっと苦手な演奏かなと思いながら聴いていたけれど、聴き進むにつれ面白くなってきて、次第に前のめりになる。

バッハの無伴奏を聴いて興奮するのもおかしな話だけれど、聴いているとなんだか身体の内側が熱くなってくる。

次に今年の映画から5本。

◎『スリー・ビルボード』と『シェイプ・オブ・ウォーター』

最後まで今年のアカデミー賞を争った2つの映画を同じ日に観たので、ここは1項目として。

『スリー・ビルボード』は一見「復讐」がテーマに見えて実は最後は「許し」の物語になっている所に爽やかな後味が残り、『シェイプ・オブ・ウォーター』は異形のものとの愛を幻想的で美しく描きながら今もまだ冷戦時代と変わらぬ「不寛容」が世界を支配していることを寓話的に示唆している。

作風は全く対照的だけれど、共に今の時代を鋭く描いた名作でした。

◎『ウィンストン・チャーチル(原題:DARKEST HOUR)

見所はやはり本年度アカデミー賞主演男優賞を受賞したチャーチル役のゲイリー・オールドマンの演技と、同じくアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した辻一弘らによる特殊メイク。

メイクはどこから見ても自然で驚くばかりだし、意固地でありながらユーモラスで人間的魅力に溢れたチャーチル像を作り上げたゲイリー・オールドマンの演技は素晴らしい。

ラスト近くの地下鉄でのチャーチルと市民との対話と最後の演説の場面にはグッと胸を打たれた。

古典的で映画の王道を行く映像と音楽も良く、安心してその世界に浸る事が出来た。

◎『響』(平手友梨奈 主演)

何より鮎喰響=平手友梨奈の何者にも媚びない真っ直ぐでハードボイルドな生き方がひどくカッコいい。

その少々暴力的な問題解決方法は現実的にはありえないとは思うけれど、それを上回る爽快なカタルシスがある。

その昔、高倉健の映画を見終わった人が高倉健の格好で映画館を出てきたように、この映画を見終わった後は自分が鮎喰響になったような気分で背筋を伸ばして歩きたくなるような気がします。

◎『日々是好日』

これはとても気持ちの良い映画でした。

黒木華演じる普通の大学生がお茶を習うことを通じて様々な大切なことを頭ではなく体で学んでいく25年間を丁寧に描いていく。

彼女のお茶の先生役の樹木希林さんの演技が、飄々としながら時として深い叡知に満ちていて素晴らしい。

映画の中で黒木華が「日々是好日」と言う言葉が示す意味について語るこんな言葉が心に残ります。

「雨の日には雨の音を聴く。雪の日には雪を見て、夏には夏の暑さを、冬には身の切れるような寒さを。五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。」

◎『家へ帰ろう』

2018年年最後に素晴らしい映画に出会った。

アルゼンチンから故郷ポーランドへ。ホロコーストから逃れた一人の仕立て屋が70年前の友人との約束を果たすために旅に出る・・・

ひどく偏屈な老人にも関わらずどこかユーモアもあり、旅の先々で彼を助けてくれる女性との出会いもこの映画に華やぎを添える。

ロードムービーの新しい傑作を堪能しました。

最後に番外編として。

今年は僕にとってドラマ不毛の時代でしたが、いくつかのドキュメンタリーとの出会いがありました。

中でも心に残った作品を最後に一つ。

NHKドキュメント『”樹木希林“を生きる』

最後の数本の映画に出演した樹木希林の姿を追ったドキュメント。

樹木希林自身、その記録を残す意味があるのかと何度もディレクターに問いかける。

しかし、余命が残り少ないことを医者に告げられた彼女は、自身の全身に癌が転移した写真をカメラの前に見せ、

「人間として、こういう終わり方しかなかったんだわねっていうことで、いいんじなゃいかな」

と語る…

最後の映画のラストシーンで彼女の歌う

「命短し 恋せよ 乙女」

のフレーズに込められた深い思いがいつまでも心に残ります。

それでは皆さま良いお年を。


# by maru33340 | 2018-12-31 06:00 | Trackback | Comments(4)

久しぶりの「スターバト・マーテル」に

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もう何年前になるだろうか。

友人と神保町の酒場で飲んでいて、聴いたことのない清らかに澄みきったアルトとソプラノの二重唱を聴き、魂を奪われた。

その時、初めてペルゴレージの「スターバト・マーテル」という曲を知った。

僕が古楽の本当の素晴らしさに気づいたのは(とても迂闊なことだけど)その時が初めてだったのかも知れない。

この曲で古楽を聴く耳が開いたから、バッハの「マタイ受難曲」を聴けるようになったのだ。

しばらくこの曲を聴いていなかったけれど、今日夕飯の後CDを探していて久しぶりにこのアルバムを見つけた。

フィリップ・ジャルスキー(アルトパート、カウンターテノール)と、ユリア・レージネヴァ(ソプラノパート)の二人による掛け合いは、まるで天上から降りそそぐ歌声のように穢れなく美しく、時の経つのを忘れてしまいそうになる。
# by maru33340 | 2018-12-26 21:46 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

ふいに聴きたくなる、シューマン

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昨夜、ふいにシューマンのピアノ・ソナタ1番が聴きたくなり、アンジェラ・ヒューイットの弾くアルバムを探しだす。

この曲の冒頭部分は、まさにロマン派そのもの。
手に届かぬものへの憧れに満ちた、自らの身をも焦がすような心騒ぐ旋律に、気持ちがざわざわしてくるようだ。

アンジェラ・ヒューイットのピアノの音は豊かで美しく、印象派時代のアメリカ人の画家ホイッスラー(主にイギリスで暮らす)によるジャケットの絵画が、一見平和のようでどこか不穏な空気を漂わせていて、シューマンの世界にふさわしい。
# by maru33340 | 2018-12-26 06:28 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

不滅のドビュッシー・アルバム

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ドビュッシーの「最後の3つソナタ」を収めたアルバムがどこかにあるはずと探して、ようやくこのアルバムを見つけ出した。

これは一時はまっていて毎日のように聴いていたアルバム。

改めて演奏者を見てみると、リリー・ラスキーヌ、ジャン=ピエール・ランパル、ポール・トルトゥリエ、ジャン・ユボー、ピエール・パスキエ、シャルル・シルルニクという目が眩むようなそうそうたる顔ぶれ。

『ドビュッシー 最後の一年』を読んだばかりだから「最後の3つのソナタ」の音楽の苦味に晩年のドビュッシーの想いが重なる。

このアルバムはnumabeさんもおっしゃるようにまさに「不巧不滅」のドビュッシー・アルバムです。

# by maru33340 | 2018-12-23 10:01 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

ジョージ・セルのベートーヴェンは

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最近吉田秀和さんの『私の好きな曲』を読み返していて、ベートーヴェンの第九の推薦盤としてセルの演奏について書かれたこんな文章に再会した。

「ベートーヴェンがこの音楽にこめたすべてのものを、最も忠実正確に、そうして最も高度の音楽性をもって再現しようとして真正面から立ち向かっているのが、この演奏」

この文章を読みどうしてもその演奏が聴きたくなり、今日Amazonから届いたばかりの、ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集を(驚き感心しながら)聴き続けている。

なんと素晴らしいベートーヴェンだろう。

その音楽は、高度な技術を持ったアスリートの身体の動きのように、無駄なく引き締まりしなやかな美しさに満ちている。

スピードと力強さがありながら、余計な力はどこにも入らず余裕さえ感じる。

鋭い切れ味と深い味わい、音楽が前に進む力と歌心のたぐいまれな共存がここにはあり、聴いていて耳と身体に喜びが溢れてくる。

これからも繰り返し聴くであろう愛聴盤がまた一枚増えました。

クラシック音楽の楽しみはまさに無限に広がっているとしみじみ思う年の暮れです。
# by maru33340 | 2018-12-22 15:59 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

「一陽来復」といふこと

冬至の今日は柔らかい雨の降る朝になった。

一年で一番昼の時間の短い冬至の別の名は「一陽来復」。

『易教』の言葉で、物事の「陰」が極まれば「陽」が生まれる(昼が一番短い日ということはこれから日々昼が長くなっていく)ということから冬至を表しているそう。

転じて、悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうことを意味する言葉になった。

寒さはこれからますます厳しくなってくるけれど、陽射しは一日一日畳の目一つ分ずつ伸びて春が目覚めていく季節になります。
# by maru33340 | 2018-12-22 08:15 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

ひそやかなるデュルフレ

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今日は日帰り東京出張。

新幹線を待ちながら最近はまっているデュリュフレのレクイエムのオルガン伴奏版を聴く。

この演奏はオーケストラ伴奏版より更にひそやかな胸に沁みるような静けさに充ちていて、聴いていると自分が深い森の中で一人たたずんでいるような気がしてくる。

フォーレのレクイエムも聴くことが出来るのも嬉しい。

冬の朝の弱い陽射しを眺めながら聴くのにふさわしく、これからも折に触れて聴き返す愛聴版になりそうです。
# by maru33340 | 2018-12-21 09:04 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

フランスの薫り、幸せな音楽

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先日読了した青柳いづみこさんの『ドビュッシー 最後の一年』の余韻がまだ残っている。

今夜はドビュッシー最後のソナタの内、「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」を聴く。
演奏はアンサンブル・ウィーン=ベルリンで。

このアルバムには、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」やカトリーヌ・ドヌーブの朗読によるドビュッシーの「ビリティスの歌」も収められていて、全編むせかえるほどのフランスの薫りに満ちた幸せな幸せな一枚です。
# by maru33340 | 2018-12-20 07:11 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

「無心ということ」

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少しゴッホのことを調べていて、小林秀雄の『ゴッホの手紙』を探しだした。

なんとなく目次を眺めていて「モーツァルトを聞く人へ」(昭和28年)という文章があるのを見つけてこんな言葉に出会った。

「繊細、優美、均整、モーツァルトの音楽というと、すぐそういう言葉を思う。通念というのは恐ろしいもので、予め、意識してそういう言葉を用意して、さてモーツァルトを聞くというわけではないのだが、やはり何処でそういう言葉が知らず知らずの裡に用意されていて、聴覚の純潔を曇らしているものである。そして、正に、モーツァルトの音楽は、繊細な優美な均整のとれた、或いはとれ過ぎた音楽と聞こえて了うのである。」

小林秀雄はこんな風に続ける。

「現代人がモーツァルトの音楽に、彼の言うに言われない人間性の鳴り渡るのを聞く為には、努力して得た無心と、訓練して得た直接的な聴覚を要すると言ってもよいであろうか。」

虚心坦懐にただ音楽を聴くということは、昔も今もなかなか難しいことなのかも知れません。
# by maru33340 | 2018-12-15 20:11 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

『ドビュッシー 最後の一年』を読む

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今年はドビュッシー没後100年の年。
ドビュッシーに関するたくさんの本やアルバムが発表された。

そんな記念すべき年の(おそらくは)最後に出版された青柳いづみこさんの本『ドビュッシー 最後の一年』を求めて、今日一気に読了した。

これは大変興味深い本だった。

1918年3月25日に55年の生涯を終えたドビュッシーにとって「最後の一年」はまさに「痛恨の一年」でもあった。

「19世紀末には前衛的すぎると批判されたが、20世紀にはいるとさらにラディカルな作曲家が台頭してくる」中、ドビュッシーには残された時間があまりにも少なかった。

青柳さんがこの本で書いているように「ドビュッシーがもう少し生き長らえていたら、もう少し彼が彼自身の信じる方向に進んでいたら、20世紀音楽はここまで不毛に陥らなかったのではないだろうか」という言葉が心に残る。

この本を紹介されていたnumabeさんの、最後の一年のドビュッシーの心境は「旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る」の心境ではなかったか、という言葉に同感しながら、今はナタリー・デセイによるドビュッシーの歌曲を収めた美しいアルバムを聴いています。

もしこのアルバムを聴けばドビュッシーも「自分の作曲家としての人生、そんなに悪いもんじゃなかったかな」と思ってくれるかも知れない、などと夢想しながら…
# by maru33340 | 2018-12-15 16:03 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

音楽・本・映画などについての私的な感想


by maru33340
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