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映画『グリーンブック』は素晴らしい!

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朝から降り続く冷たい雨を眺めていたらふいに「映画館の暗闇に身を置いてゆっくり映画を観たい」という気持ちになり、映画館まで先日のアカデミー賞で、作品賞・脚本賞・助演男優賞を受賞した映画『グリーンブック』を見た。

これは近頃まれな程、見終わって気持ちが晴れ晴れとするようなとても良いロードムービーだった。

物語は…

1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。
ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。
彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた…

まさに水と油と言える程、生活環境も考え方も異なる二人が、根強い黒人差別に会いながらも、次第に心を通わせていく姿がテンポ良くユーモラスに語られる。

二人の名優の演技や音楽も素晴らしく、最後は涙が止まらなくなった。

黒人差別という重たいテーマの扱い方も巧みで、アカデミー賞作品賞・脚本賞受賞も納得です。

機会があれば是非!
お薦めします。
# by maru33340 | 2019-03-03 14:53 | お勧めの本 | Trackback | Comments(6)

空港のピアノを弾く高橋悠治

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雨の日曜日、棚から高橋悠治さんのピアノによるバッハの『インヴェンションとシンフォニア』(装飾稿)を取り出して聴く。

1977年と78年の録音だから今から40年前の演奏だけど、その音楽は、空港の一角に置かれたピアノの前に、どこからかふらりと現れた青年が座り(大きなリュックを横に置いて)いきなり演奏し始めるのにたちあっているような風情。
(そんな番組がありますね)

青年はどこにも余計な力が入らず、才気煥発な演奏だけど、子どもが初めて与えられたオモチャで遊ぶように無心にピアノを弾いている。

演奏を終えた青年は、呆気にとられて演奏を聴いていた僕らの方を見ることもなく、恥ずかしそうに軽く頭を下げてまた大きなリュックを背負ってどこかに消えた。

後から何人かが「あれ高橋悠治じゃね?」などと囁いているのは彼の耳にはもう聞こえていない。
# by maru33340 | 2019-03-03 07:00 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

雨に濡れた石畳のような美しいラヴェル

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少し身の回りのものを減らさなくてはと思いながら、先日ふとフランソワ・デュモンというフランスの若いピアニスト(今35歳)の弾くラヴェルのピアノ曲全集の評判がとても良いことに気づき(少し酔っていたこともあり)「えい、ままよ」とAmazonで頼んでしまった。

これは想像を遥かに超える素晴らしいラヴェルだった。

この人には卓越したテクニックと共に深々とした音楽性があり、キラキラした耀かしさの中に時折混じる陰りに心ひかれる。

何より強音でも割れたり濁ったりしない、柔らかい雨に濡れた石畳のような艶のあるピアノのタッチが美しい。

この演奏を聴きながら僕はふと西脇順三郎の「雨」という詩のことを思い出した。



南風は柔らかい女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした。
この静かな柔らかい女神の行列が
私の舌をぬらした。

西脇順三郎がこの詩を含む詩集「ambarvalia」を限定300部で発行したのは1933(昭和8)年のこと。

その時代を超えたモダニズムに驚きます。
# by maru33340 | 2019-03-02 06:37 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

今日から三月

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今日から三月。

僕は四月生まれのせいだろうか、三月の声を聞くと桜の花の姿を想い「いよいよ本格的な春が来るなあ」と少し胸が高まる。

この季節になると毎年思い出すのは三好達治の「甃(いし)のうへ」という詩。

甃(いし)は難しい漢字だけど、瓦のような平べったい石畳のような石のことだそう。

晩春の風景だろうか、読んでいると散る花びらの中を静かに語らいながら歩く少女たちの姿が映画を観ているように目の前に広がり、とても良い気持ちになります。

こんな詩です。

甃のうへ  三好達治

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃

(写真は昨年の掛川の桜です)
# by maru33340 | 2019-03-01 08:47 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

自戒の言葉として

知人から教えていただいた高橋源一郎さんの『毎日新聞』(2019年2月25日)のコラム「私の人生相談」での回答を読み大きな衝撃を受けた。

ほんとうは著作権があるから再掲ははばかられると思うけれど、とても身につまされたので自戒の念を込めて(期間限定で)少し引用させていただきます。

相談内容は「人を信じても裏切られる」という下記の60歳の女性からのもの。

「私はいつも人に裏切られる。「良い曲だから聴いてね」と言って「うん、聴くね」と答えても誰も聴いていない。興味がないなら断ればいい。「暖かくなったら会おうね」と言われて待っていても誘いはない。待っている時間は地獄です。」

この相談に対して高橋さんは、こんな風に語りだす。

「あなたは「人を信じて裏切られる」とおっしゃいます。いいえ、逆です。失礼を承知で書かせていただきますが、あなたはもともと何も信じることができない人間なのだと、わたしは思います。」

何ともストレートな文章にドキッとする。
高橋さんは更にこんな風に書く。

「あなたは冷たくわがままであなたの国にはあなたしか住んでいません。他の人はみんなあなたのために存在する奴隷なのですね。そんな人間を誰が「信じ」ようとするでしょう。あなたが心を閉ざしているから人々はあなたのかたわらを通り過ぎていくのです。」

そこまで書きますか、と思い言葉を失う。
しかし、高橋さんはかつて自分もそうだったと語りこんな風に書く。

「以来わたしはそんな冷たい自分と戦っています。どんなに努力しても自分を変えることは難しいかも知れません。けれども、通りすぎようとする人に、優しい言葉をかけることは出来るはずです。」

厳しい言葉だけど、繰り返し読んでいくと、まるで自分自身に言われているようで背筋が伸び、そして言葉の裏にある高橋さんの愛情に気がつき深いため息をつくのです。


# by maru33340 | 2019-02-26 06:54 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

Ruhe sanfte, sanfte ruh!

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時々ふいに「マタイ受難曲」を聴きたくなる時がある。

先週土曜日の夜(その日は父の12年目の命日だった)久しぶりにその時が訪れ、ブリーダー・ベルニウス指揮による「マタイ受難曲」を聴き始めた。

2015年にドイツのゲニンゲン福音教会で録音されたこの演奏は、小編成のシュトゥットガルト室内合唱団/シュトゥットガルト・バロック・オーケストラの透明で精緻な響きが美しく独唱者も素晴らしい。

特にソプラノのハンナ・モリソンの歌は神々しいまでに清らかな声で、哀しみの中に明るい光が射し込むような気がする。

そして翌朝、ドナルド・キーンさんの訃報を知った。

キーンさんの著書は(吉田健一の著書と共に)父も愛読していて、何冊かの本が書棚にあったので、僕も若い頃から親しみを持っていた。

一昨年の日本平ホテルでの対談で身近にその姿に接して、その知性・ユーモア・優しさに触れ感銘を受けた。

キーンさんが対談の最後に笑顔で語った「長い間生きてきたけれど今が一番楽しい」という言葉は今も忘れていない。

『マタイ受難曲』の終曲の

Ruhe sanfte, sanfte ruh!
(安らかに眠って下さい、どうか安らかに!)

という言葉を、父とキーンさんに捧げます。

# by maru33340 | 2019-02-25 06:02 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

ドナルド・キーンさんを偲ぶ朝に

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今朝、先日友人が「同じアルバムを2枚買ってしまったので」とくれたエッシェンバッハの演奏によるシューベルトのピアノソナタ21番の2楽章を聴いていた時、webのニュースでドナルド・キーンさんの逝去の報に接した。

シューベルトのピアノソナタが、奇しくもクラシック音楽を愛したキーンさんへの追悼の音楽になってしまった。

96歳とのこと。

僕は一昨年の11月、叔父さんに誘われ日本平ホテルまでキーンさんの対談を聞きに出かけた。

さすがに足元は少し覚束ないものの、記憶もはっきりとしてユーモアを交えて三島由紀夫や谷崎潤一郎の奥さんの松子さんのお話しを楽しそうに語る姿がまだ記憶に新しかったので(いつかこの日がやって来ると覚悟はしていたけれど)やはりショックです。

対談が始まる時には見えていなかった富士山が、対談終了後にロビーに出た時には眼前に綺麗に広がっていた驚きと共に、これからも大切な経験として忘れずにいたいと思います。
# by maru33340 | 2019-02-24 12:36 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

ドビュッシー「前奏曲」の呪縛が溶けた夜のこと

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初めてドビュッシーの「前奏曲」を聴いた時の演奏は、アルレッド・コルトーのものだった。
(おそらく何かの本で名演だと言う記載を読んだからだと思う)

しかし、「月の光」や「牧神の午後への前奏曲」位しか聴いたことのなかったドビュッシー初心者の高校生である僕にとって、SPからの復興によるコルトーの演奏の良さを理解するのは難しかったようで、録音の古さにも馴染めず、聴いていて船酔いするような気分になって寝込んでしまい(ちょっとしたトラウマになり)長く「前奏曲」を聴くことが出来なくなってしまった。

ところが昨夜ウォークマンで青柳いづみこさんの『ドビュッシーと詩人たち』を聴いていて、曲が(ウォークマンに取り込んだことを忘れていた)サンソン・フランソワによる「前奏曲」に移り変わり、そのままぼんやり聴き続けていたら、まるで長年の呪縛が溶けたように、その曲がすんなり耳と心に染み込んできた。

今朝もフランソワによる「前奏曲」を聴いていますが新鮮な音の悦びに身体が満たされているのでした(笑)
# by maru33340 | 2019-02-24 10:09 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

「総合芸術」としてのアルバム

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良く晴れた暖かい気持ちの良い朝、『ドビュッシーとパリの詩人たち』を聴き返している。

最初の青柳いづみこさんと高橋悠治さんによるピアノ連弾による「牧神の午後への前奏曲」から、盛田麻央さんの柔らかな心地よいソプラノによる歌曲「ステファヌ・マラルメの3つの詩」に移り変わる時の自然な美しさに陶然とし、「小組曲」のメヌエットでは明るさの極まった所にふいに哀しみが胸に迫る。

最後に置かれた「6つの古代碑銘」では、青柳さんの静かで囁くような朗読により心が遥か古代ギリシャに連れ去られるような気持ちになる。

聴き返す度に演奏と共に、その選曲、構成の妙にため息をつく。

今はダウンロードの時代だけど、青柳さんが書かれていらっしゃるように、やはりCD(ほんとうはLPが良いけど)は、ジャケット、ライナーノーツ、演奏、選曲、構成が一体となった「総合芸術」なのだとつくづく思います。
# by maru33340 | 2019-02-23 09:49 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

鋭さに身を糺し、優しさに涙する

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先日、エベーヌ弦楽四重奏団の演奏でドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴き返しその明晰なアプローチを楽しんだ。

そう言えばエベーヌの演奏を更に厳しくしたような演奏があったなと思い出し、少し久しぶりにアルカントによるドビュッシーを聴き返しあまりの切れ味鋭さに改めて圧倒的された。

そのまま何となく学生の頃良く聴いていたパレナン弦楽四重奏団によるドビュッシーを聴き返したら、今度は懐かしさに少し泣きそうな気分になった。

パレナンのドビュッシーは1969年の録音だからもう50年前前の演奏。
さすがに少し録音は古くなったし、今の演奏と比べるとエッジやアンサンブルはとんがりが少ないかも知れない。

しかし、パレナンの演奏でドビュッシーの弦楽四重奏曲の三楽章を聴いていると、窓から射し込む柔らかい陽射しや春の風、陽だまりに眠る猫などの情景が思い浮かび「生きる悦び」という言葉を思い出し胸がいっぱいになってくる。

対照的な演奏だけど、切れ味鋭さに粛然と身を糺すことも懐かしさに涙するのもどちらも音楽を聴く悦びに違いはない。

そんな多様な聴き方が出来ることがクラシック音楽の奥深さかも知れません。
# by maru33340 | 2019-02-20 05:44 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

音楽・本・映画などについての私的な感想


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