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「倚りかからず」

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昨日の「日経」のコラムで、2月17日は詩人茨木のり子さんの命日だと知った。

茨木さんの(おそらく)最も有名な詩である「倚りかからず」を知ったのはいつ頃のことだっただろうか。

まだ学生の頃だったかなあと思い茨木さんの年譜を見ていたら、この詩を含む詩集『倚りかからず』が刊行されたのは1999年のことだから、僕はその時もう40歳。

茨木さんは当時73歳。
彼女が逝去するのはその7年後だから晩年の作品と言ってもいい。

しかし、その詩の毅然とした佇まいから、まだ50歳位の時に書かれた詩だと長い間思いこんでいた。

始めて読んだ時、この詩に書かれているように生きたいと思ったけれど、あれから20年、それはなかなか難しいことだと知った。

こんな詩です。


倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
# by maru33340 | 2019-02-18 20:53 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

月は隈なきものをのみ見るものかは

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昨日は東京での会議。

いくつかのプレゼンテーションのなかで印象に残ったのは、萎れた薔薇の花弁の写真を提示して「皆さんはこの薔薇を美しいと思いますか?」というある方の問いかけだった。

僕その朽ちかけた薔薇の花弁の写真を「美しい」と感じた。

もちろん薔薇は盛りが美しいだろう。
桜もまた。

しかし、滅びゆくものに対する愛着は、日本では平安時代からあり『徒然草』にもこんな風に書かれているように日本人の心の奥底にある密やかな美学だと思う。

「花は盛りに、月は隈なきものをのみ見るものかは」

「散りしおれたる庭などこそ見所多けれ」

(『徒然草』第137段)

こうした朽ちたるもの、名残を過ぎたものの美しさへの愛着は日本人独特の美意識なのだろうか…

# by maru33340 | 2019-02-16 06:42 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

まさに至福のドビュッシーアルバム

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少し身の回りのモノを手放そうと思っているものの、時々「このCDだけはどうしても欲しい!」と思うアルバムに出会ってしまうのは致し方ない所。

先日numabeさんがご紹介されていた『ドビュッシーとパリの詩人たち』はまさにそんなアルバムで、早速昨日から聴き始めた。

これは選曲、演奏共にほんとうに素晴らしいの一言。
(あまり良いので、一気に聴くのが惜しくなってしまうくらい)

内容についてはnumabeさんが丁寧にご紹介されているので(付け加えることはなく)是非そちらをご覧いただければと思います。

個人的にはフランス20世紀のイラストレーターであるジョルジュ・バルビエによるジャケットもとても気に入り、この人のことを少し調べてみたくなりました。

(いけない、またモノが増えてしまう…)
# by maru33340 | 2019-02-15 07:49 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

「美と真実だけを追及し、他は忘れろ」(ビル・エヴァンス)

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まだ大学生の頃、ビル・エヴァンスのピアノ・ソロによるアルバム『alone』を夜な夜な聴いて過ごした。

それは、その頃クラシック音楽一辺倒だった僕が始めて出会ったジャズで、当時(今で言うシェアハウスのような形で)友人と間借りしていた家で聴いた(LPによる)ビル・エヴァンスのピアノは、内省的で耽美的で心の奥底まで沁み渡るような気がした。

以来、ビル・エヴァンスの音楽を折に触れ聴き返してきたけれど、この春彼の生涯を描いたドキュメンタリー映画が公開されるとのこと。

チラシのコピー「美と真実だけを追及し、他は忘れろ」という、まるで秋風羽織の台詞のようなビル・エヴァンスの言葉に痺れる。

これは何をおいても観に行かなくては。
# by maru33340 | 2019-02-13 20:47 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

手放すことは「得る」こと

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先日読みとても大きな影響を受けた五木寛之さんの「白秋期を生きる道標」の中で僕が「直ぐにでも始めなくては」と思ったのが、次の3つの項目。

・生活を極力コンパクトにする
・浪費の習慣をやめる
・モノを捨てる

そんな時この『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』という本に出会った。

世界23カ国で翻訳され累計40万部のベストセラーになっているとのことで、今月文庫化された。

「手放すことは「得る」ことである」というシンプルなメッセージと共に「手放す」ことを「技術」と捉えいくつかの具体的方法をとても分かりやすく教えてくれる。

今日はまず食卓の回りを片付けたけど、それだけでも少しだけ心身が軽くなった気がする。

これから毎日少しずつ必要のないものを手放すレッスンを始めたいと思います。

追伸

今は繰り返し繰り返し池江璃花子さんの病気のことを伝えるテレビのニュースを手放したい。
そっとしておいてあげようじゃあないか。
そしてまた彼女が戻ってきたとき、心の中で一人静かに祝福しようじゃないか。

# by maru33340 | 2019-02-12 22:08 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

渡辺暁雄つながりで

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友人がブログに渡辺暁雄の事を書いているのを読み、数日前僕も別の所に書いた記事に(何十年振りに)渡辺暁雄の名前を書いたのを思い出しました。

(以下再掲します)

学生の頃、開けても暮れてもマーラーの音楽三昧の日々を過ごしていた時がある。

まさにマーラー熱に浮かされていた。

下宿でLPで大音量でマーラーの「巨人」を聴いて大家さんに叱られ、食事代を切り詰めて上野の東京文化会館で若杉弘や渡辺暁雄、山田一雄らの指揮による実演を聴きに出かけた。
(皆、故人になってしまったけど、今考えれば
とても贅沢な時間でした)

その後フランス音楽に熱中するようになり、さすがにマーラーの音楽だけを聴くことはなくなったけど、社会人になってもマーラーの実演には時々出かけた。

ハイライトはやはり1985年にNHKホールでバーンスタイン指揮イスラエル・フィルによる交響曲9番の実演を聴いたこと。

身をよじり、跳びはねる指揮姿、熱く濃い演奏に文字通り魂を奪われた。

この何年かは実演でもCDでもマーラーを聴くことはほとんどなくなっていたけど、今日偶然You tubeでバーンスタインによる「青少年コンサート」で「マーラーとは誰か」を見て、無性に彼の演奏によるマーラーを聴きたくなり、ベルリン・フィルとの交響曲9番を聴き始めています。

果たしてマーラー熱は再燃するでしょうか?
# by maru33340 | 2019-02-11 09:12 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

テオドール・クルレンツィス。神か悪魔か…

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今日、渋谷のBunkamuraオーチャードホールでテオドール・クルレンツィス指揮ムジカエレルナによる始めての来日コンサートを聴いた。

演目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリンはパトリツィア・コパチンスカヤ)と交響曲第6番「悲愴」。

始めてクルレンツィス指揮で聴いた演奏がまさにチャイコフスキーの「悲愴」で、あまりにも個性的で鮮烈な演奏に椅子から転げ落ちそうになった。

以来、「春の祭典」、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」「レクイエム」等の演奏を聴き、まさに天才という言葉は彼のためにあるのだと思い、もし来日公演があるならば(何があっても)聴きに行きたいと思っていた。

そして今日。

最初のコパチンスカヤによるヴァイオリン協奏曲にまずやられた。

裸足で現れた彼女は(まるで近所までお使いに出かける時のつっかけみたいな赤い靴をステージにおきっぱなしで)「私はただこう演奏したいだけ」という風情で、聴こえないくらいの弱音や掠れたり荒々しかったりする音で、時折ぴょんぴょん跳びはね、オーケストラの方を向いたり観客に背中を向けたりしながら演奏する。

行儀も何もあったもんじゃないけど、その演奏は生気に溢れチャーミングで、まさに今この瞬間音楽が目の前で生まれているのに立ち会っているようで、聴きながら「ああ僕は今この瞬間生きているのだ!」という喜悦に満たされた。

クルレンツィスの指揮も彼女に負けてはいない。
指揮棒は持たずステージの上で踊るように(まるで魔術師のように)自由自在にオーケストラを操る。

演奏後はコパチンスカヤは3曲のアンコール。
オケのメンバーとのDuoが2曲に、ソロ(彼女の歌付き!)が1曲。

すっかりコパチンスカヤのファンになった所で休憩。

そして「悲愴」。 極端な弱音から、予想を裏切るほどの大音響やスピード。
一見、野蛮な演奏のようでありながら、鋭利で緻密な計算がされている。

それはCDでも感じてはいたけれど、実演でもこんな精度で聴けるとはまさに脅威。

大暴れした3楽章に続く終楽章の一糸乱れぬ息の長い壮絶な演奏の後、消え入るように最後の音が鳴り終えても金縛りにあったように誰一人拍手が出来ない。

もうこれ以上の沈黙が続けば息が出来なくなると思った所でようやく夢から覚めたような聴衆の拍手が起きた。

こんな演奏会、一生の内に何度あるだろうか。

「テオドール・クルレンツィス。果たして神か悪魔か…」帰りの新幹線の中でそんなことを思っています。
# by maru33340 | 2019-02-10 19:21 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

季節の変わり目、人生の変わり目

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昨日、めまいに襲われ仕事を早退する。

季節の変わり目には時々おきる症状で、天気予報をぼんやり見ていたら今日から急激に寒気が訪れるそう。

夕方の空にも黒い雲が混じる。

ベッドに横になり五木寛之さんの『白秋期』を読み返し、彼の提案する「白秋期の道標」を噛み締める。

・生活を極力コンパクトにする
・浪費の習慣をやめる
・粗食の習慣を身につける
・モノを捨てる
・少ない収入で暮らしが成り立つようにする
・方丈の空間をつくる
・仕事以外の人生の目的を探す
・自分本意の生き方を見出だす
・ものを学びなおす
・読書を友とする
・新しいことをはじめてみる
・孤独の喜びを見つける

生活の色々な事を見直す時が、来たのですね。
# by maru33340 | 2019-02-08 06:00 | お勧めの本 | Trackback | Comments(2)

夢の中のフランソワ

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こんな夢を見た。

バーのカウンターでマスター相手に「ラヴェルのピアノ協奏曲の演奏で一番好きなのはモニク・アースによる演奏だなあ」などと語っていたらカウンターの向こうで一人ワインを傾けていたダンディーな男が「俺のことはお見限りかい?」と低い声で呟く。

マスターに「あの男性は?」と聴くと「知らないのかい?サンソン・フランソワという有名なピアニストさ」と答える。

あ、確かに一時は「ラヴェルのピアノ協奏曲の演奏はサンソン・フランソワに限る」と語っていたっけ。

フランソワのピアノ協奏曲での登場シーンは、名優が満を持してポーズを決めるように格好良く、後は自分のペースで、揺れ、立ち止まり、スウィングしながら、聴いていて(強いアブサンを飲んだ時のように)酔ってしまうくらい自由な演奏が繰り広げられる。

一度この演奏を聴くと他の演奏が優等生的でつまらなく感じられて、毎日フランソワの演奏ばかり聴いていた…

「そうだ、またフランソワの演奏を聴かなくちゃ」と思いカウンターの向こうを見ると男の姿はもう消えていた。
# by maru33340 | 2019-02-06 08:09 | お勧めの本 | Trackback | Comments(3)

「白秋期」という人生の季節

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僕は今年年男。

この4月に還暦と定年を迎える。

まさに酔生夢死、ついこの間大学を卒業し会社に入ったばかりのような気がしていたけれど、もう37年近く会社員として生きてきたことになる。

昨年から今年にかけて、会社の先輩や同級生、一緒に仕事をした年下の同僚など身近な人たちの訃報に相次いで接した。

そんな日々の中で、あれこれ考えることが多く少し心塞ぐような時もあったけれど、今日本屋でふと手に取った五木寛之さんの本で「白秋期」という言葉に出会った。

五木さんは「白秋期」は50歳から75歳半ばくらいまでの約25年間で、この時期は人生の黄金期だと語る。

「白秋期」は、フル回転からシフト・ダウンし、人生のひととおりの役割を果たしたあと、生々しい生存競争から離れ、自由の身となり、秋空のようにシーンと澄みきった静かな境地に暮らす時期。
同時にこれまでの生き方をリセットし、新境地で活動する時期、とのこと。

「白秋期」は自分本位に生きる季節。
しかし、それは単なるエゴイズムではなく、縁あってこの世に生まれ落ちた生命を、何よりも大切にすること、であると。

もし「白秋期」が生命の尊さに感謝し、思う存分自分らしく生きる季節ならば、これからの人生そんなに捨てたもんじゃないかも知れません。
# by maru33340 | 2019-02-03 19:44 | お勧めの本 | Trackback | Comments(4)

音楽・本・映画などについての私的な感想


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